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やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

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「思考を観察する」とは、「思考」の「虚偽」の可能性に意識を向けて、その「虚偽」を観察すること

04-20(土)11時30分
こんにちは、やまがみてるおです。

ご訪問ありがとうございます。




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私は、思考からはなれた視点が定着して、

まもなく5年になります。




思考の観察方法をお伝えさせていただきはじめて、3年になります。




この間に、たくさんの人にご交流いただけましたおかげで、

より「伝わりやすい方法」や「そのための説明方法」を

学ばせていただくことができました。




けれども5年も経過すると、

当時の私自身の経験の記憶は自然にうすれはじめていました。




そんなときに、ふたたび思考に同一化し、

自分を見失う時間を体験することができました。

(詳細は、『「思考の語ること」を「脇においた」反応(行動)を選ぶ』をご参照ください)




体験中は、同一化していることに気づきませんでしたので、

なぜだか「気分が悪い」という状況を体験しました。




思考は、この状態(同一化の状態)を維持しようとしますので、

私たちがそれに疑問を感じないように導きます。




思考に取り込まれつつあるとき、思考は私に以下のようにいいました。

「気分が悪くても、あなたには、

思考からはなれた視点が定着(習慣化)しているのだから、そのままでいいよ」




最初のうち、私は、まんまと、このことばにだまされました。




そうして、自分がなぜ「気分が悪いのか」には目を向けず、

「私は思考を観察している」という思考と同一化したまま、

すごすことになりました。




「気分がすぐれないとき」、

その背後には、かならず、「思考との同一化があります」




そのようなときには、自分のなかに、不快な思考がないか、探しましょう。




不快な思考が見つかったら、

それを否定せず、その内容を変えようとせず、止めようともせずに、

その思考の語りかけてくることと、

「いまここ」の自分の状態を照らしあわせて観察し、

その思考の語りかけてきていることが果たして真実なのか、

それともかならずしも、真実ではない(現実とは一致しない)のかを観察しましょう。




ネガティブ性がピークに達したときにはよく、

「ああ、もうダメだ」や「最悪だ」などのことばが、

自分を支配していることに気づくことがあります。




だいたいの場合は、一致していないことが観察されるでしょう。




「ああ、もうダメだ」といっていても、冷静に観察すると、

そのときの自分の状況は、以前のダメではなかったときと、まったく変っておらず、

ダメでもなんでもないことが観察されるでしょう。




「最悪だ」といっていても、冷静に観察すると、

自分のイメージする最悪の状況ではなく、

「最悪」といっているのは「思考」だけであることが観察される、

というようなことが起こります。




これまで私は「ただ思考を観察しましょう」「しつづけましょう」ということばで

お伝えさせていただいていますが、このことばは、

「思考」の「虚偽」に気づくという意味で使わさせていただいています。




「ただ思考の『虚偽』を観察し、しつづけていきましょう」

そうすると、自然に、その虚偽に振り回されなくなるからです。




思考といっしょになって、「そうだ、そうだ」とその状況を確認することは、

私のお伝えしている、「観察」ではありません。

同一化のままです。




※観察しているつもりで、思考と同一化が起こっている場合


「ああ、もうダメだ」という思考に気づく→

「あ、私は『もうダメだ』という思考に気づいたぞ!→

 OK!→思考との同一化のまま




※思考の「虚偽」が観察されているとき


「ああ、もうダメだ」という思考に気づく→

「あ、私は『もうダメだ』という思考に気づいたぞ!→

思考は「もうダメだ」といっているけれども、

ほんとうに、もうダメなのだろうか?

(思考がいっていることと自分の状況が、一致しているかを観察する)→

ほとんどの場合、一致していないことが観察される→

思考の虚言癖が確認される→

思考の虚偽を何度も観察することで、しだいに、だまされにくくなっていく




思考はいつも「オオカミがきたぞー!」と叫んでいたのですが、

私たちは、これまで、それを聞くと無条件にそのことばを信じ

(オオカミがくる場所から一目散にはなれ)

その後じっさいに「オオカミがきたかどうかを確認せずにいた」のです。




私たちは、このように、

空想のオオカミにずっとだまされつづけている可能性があるのですが、

それに気づくためには、思考の語ることばが虚偽である可能性に、

まず目を向ける必要があります。




思考の虚偽の可能性に意識を向け、

じっさいに観察することで、この虚偽を見破ります。




その後は、「ただ思考の『虚偽』を観察し」「しつづける」だけで、

かならずうまくいくでしょう。




オオカミ少年のうそがわかっているのに、

だまされつづけることができると思いますか?




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コメント:

直感が間違うと、過去を参照した予測の正当性へのすり替え
やまがみさん、引き続き素晴らしい更新ありがとうございます。思考とは離れて気の赴くままに散歩していたら、ある指圧院が目に止まりました。ここだ!と思い始めてみると停滞した快復に勢いがるきました。ここで思考の登場です。過去参照すると、あと2回ぐらいで全快するのではないか。全快したらあれもできるこれもできると思考の正当性を展開します。結局あと2回では全快に至らなかったんですが、それを直感で動くとこうなるという見事なすり替えが行われていました。
あと二回といったのは思考です。この未来予測というのは、考えをと感じが混ざっているため、同一化しやすいですね。特に天気予報をなんとなく信じるとか含めてですね。皆が思考を脇においておく自由さを得て、真の意味で思考とハートが共存共栄する時代ですね。その時に思考は理屈を考え出していくでしょう、わたしはただそれに違和感を感じたら、気づくだけ。
2013/04/20(土) 13:19:20 |URL|Green bird #Pg6Ch65A [編集]
こんにちは
やまがみさん、コメント返信ありがどうございます。

ふと、今日のブログを拝読しまして小さな疑問が浮かんだのですが、思考の虚偽を観察する。

思考が言っている事が本当かどうか疑ってみるというのは、これは思考の範囲の事ではないかと思うのですが、思考を思考で疑う事によってブレイクスルーが起こるということでしょうか?

思考によるさらなる自作自演に巻き込まれてしまうだけなのではないかと疑問に感じまして。
2013/04/20(土) 13:30:59 |URL|ラムダ #- [編集]
Green birdさんへ
こんにちは。

Green birdさんの体験のシェア、ありがとうございます。

> 皆が思考を脇においておく自由さを得て、真の意味で思考とハートが共存共栄する時代ですね。

思考とハートが共存し、どちらもが、私たち(主体)のために価値ある働きをこなしてくれる、そんな時代ですね。

> その時に思考は理屈を考え出していくでしょう、わたしはただそれに違和感を感じたら、気づくだけ。

違和感を感じたとき、これがサインですが、このサインすら、見逃してしまうことが起こりえますので、意識性を高める努力が必要なのですよね。
2013/04/20(土) 13:33:29 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ラムダさんへ
こんにちは。

> ふと、今日のブログを拝読しまして小さな疑問が浮かんだのですが、思考の虚偽を観察する。
>
> 思考が言っている事が本当かどうか疑ってみるというのは、これは思考の範囲の事ではないかと思うのですが、思考を思考で疑う事によってブレイクスルーが起こるということでしょうか?

もちろん、疑うだけでは、思考の範囲内ですよ!

その後に、現実を観察する必要があります。

事実(自分の状況)を観察したときには、そこには「思考」はありません。

事実がどうだったのか、が観察されるだけです。

思考が「もうダメだ」といっているときに、そのときの自分が、ほんとうに「もうダメ」か、どうかを観察することをいっています。

思考が「もうダメだ」といっていることに気づいたら、その「もう、ダメだ」は、どういう状態のことをいっているのかを考えます。

たとえば、「人生終わりだ」とかいうことばが浮かぶかもしれません。

そうしたら、いまの自分の人生が、ほんとうに、終わっているかを観察します。

おそらく、人生はまだ何の変化もなく、つづいているはずです。
2013/04/20(土) 13:48:53 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさん、こんにちは。
ご無沙汰してます。

最近の記事を拝見していると、どうやら思考の内容には気づいていても、その内容のままうごいてしまっていたようです。(^-^;

ここ数日は、思考にたいして、本当にそうですか?と問いかけています。

やまがみさんの記事、皆さんのやりとり、参考にさせていただいてます。

コメント欄のコメントが多いと、なぜか嬉しくなります。(笑)



2013/04/20(土) 13:50:52 |URL|けいじ #- [編集]
思考の虚偽の観察
確かに、以前は自分自身の思考だけは、無条件に信じてしまっていました。
思考の内容を信じていない様なときでも、それは正しいのか?とか、それは間違えていないのか?とか。。。(^^;)

「思考の観察」をするようになってからは、思考を観ていると勝手に消えていってしまうので、思考の相手をする事も少なくなりましたが。
それでも、何かの背後に隠れていたり、そしらぬ顔で何かにくっ付いている思考などは、ちゃんと意識を向けてあげないと、見過ごしてしまったりし易いですね。
(特に、先入観とか思い込みとか、そういうものは接着剤の様に働きますね。 ^^;)

ですので、今回のやまがみさんの「思考の虚偽の観察」のプロセスは、とても参考になりました。
ご自分の体験を公開してくださって、ありがとうございます。(^^)
2013/04/20(土) 15:30:12 |URL|光龍 #- [編集]
けいじさんへ
こんにちは。

> 最近の記事を拝見していると、どうやら思考の内容には気づいていても、その内容のままうごいてしまっていたようです。(^-^;

今回の体験は、ほんとうに貴重な体験でした。
じっくりと観察しながら、体験させていただきました。

> ここ数日は、思考にたいして、本当にそうですか?と問いかけています。

そうして、「いまここ」の現実(自分)と、しっかりと比較して、観察してくださいね。
2013/04/20(土) 21:12:25 |URL|やまがみてるお #- [編集]
光龍さんへ
こんにちは。

> 確かに、以前は自分自身の思考だけは、無条件に信じてしまっていました。

無条件に信じて、無条件に振り回されていたのですよね。

> 「思考の観察」をするようになってからは、思考を観ていると勝手に消えていってしまうので、思考の相手をする事も少なくなりましたが。

思考の相手をすると疲れますよね。
この余剰エネルギーを、また別のことに活用できますので、生産的になると思います。

> それでも、何かの背後に隠れていたり、そしらぬ顔で何かにくっ付いている思考などは、ちゃんと意識を向けてあげないと、見過ごしてしまったりし易いですね。

油断大敵ってことですね。

思考からはなれた視点が、定着したあとも、油断をしてはいけないということを、
今回は再確認しましたし、これも伝えていかなければと思いました。
2013/04/20(土) 21:17:14 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさんへ
コメント返信ありがとうございます。

返信内容を拝読させていただいて真っ先に感じてしまったのが、

「こんなこと自分にできるわけない・・・」

でした。

思考の虚偽も何も、肉体の疲労感や目の前の債務が消えてなくなるわけでもないのに嘘も何も無いじゃないか?
少なくともこの身体の反応はリアルそのものだ。

なら、何を疑って何を観察すれば良い?

自分は単に思考観察と言う都合の良い現実逃避がしたいだけだろう?
でもまともに現実逃避もできてやしない。

自分は何をしたい?何を感じたい?何に気付きたい?

他の方の観察記録を読んではそれがすぐにできたわけではないと頭の片隅ではわかりつつもどこか、すぐにできたように見えて羨ましくなってしまう一方、自分にはこんな観察なんてとてもできないなどと考えてしまう。

その考えを疑おうにも現に、観察できていない自分がいる。
疑いようの無い事実を前に思考の虚偽を見破る事などできるのだろうか?


この先もどうなっていくかほとんど予見できてしまう状況下でいったい、どうなるというのか?

例え、人生終わったと思っても今もこうして「終わっていない」自分がいることに気付いたとしても「だからどうした?」と言うのだ。

「何かがおかしい。」

「自分は間違っているに違いない。」

でも、これが「思考の思う壺」だとしたら?

何を信じれば良いのかわからなくなってくる。
少なくとも、頭の声は信じるに値しないのだろうけども、こうも目の前の状況を眺めてしまうとことごとく思考の通りになっていると感じざるを得ない。

脱線してしまったのか?変なところで自分は他者とは違うと言うある種の「特別意識」が強い。
それ故、他者はできて当然。自分には無理。という変な理屈ができあがる。

変だとわかってはいても・・・何かを掴んだわけでも気付いたわけでもなく、確証無き信念は信念足り得ないのも事実。

手探り状態とは言え、手に何の感触もないのは気持ち悪い。

ブログももはや観察記録から単なる思考の垂れ流しに成り下がっているわけですが、元より誰かに読ませるつもりで書いてないのでそこは気にせず書き続けています。

自身のブログを見ると、「観察、あれで観察?」と言いたくなります。
思考に踊らされている。

どっちに転んでも、思考の手のひらで踊らされているような、そんな気分です。
こんな強大な相手と距離を置く事なんかできるのかとも不安になります。

子供の頃は、ここまで変に同一化してなかったような気がします。
自分の見てる世界と同じ物を他人は見ているのか?
自分と言う「意識」に対して何だか不思議な感覚を持っていた気がしますが、そんな感覚も遠い過去になってしまって思い出しようもないですし、あの頃感じていたものが何なのかもよくわからないです。

何と言うか、肉体と言う器を通して世界を、目の前のものを見ているような、そんな感覚だったように思います。

子供の頃なので他愛の無い多くの「不思議」のなかの一つだったのだと思いますが。

あの頃からロクに友達も無く、父は私が生まれる前から別居していて母と二人暮らしでした。
そんな母も外に働きに出ていたので、独り遊びの時間がそれだけ多く、それだけいろんな事を思案していたのでしょう。

母の職業上、動物の生き死にを人より多く見てきましたが、未だに生き物の死と言うものには不思議なものを感じます。

心臓が止まったとか、そんな医学的な「死」ではなく、「何か」が抜けてしまったように感じる「死」。

確かにそこにあったような「何か」がスーッと身体から抜けてしまったのか明らからに見た目はさっきまで生きていた状態と変わらないのに明らかに「死んだ」とわかる。

あの抜けたものが「意識」なのだとしたら、どことなく納得できる自分がいます。

変な身の上話をしてしまいましたが、今の自分は道を見失ってただ海を宛てもなくさまよってるクラゲのようなモノです。
ただ、無抵抗にそれこそ流れに身を任せていればいいものを、無駄に宛ても無く必至こいて泳いでるようなものでしょう。

自分はそんなに「過去」に囚われていないつもりでも、未だに「どうしてこうなったんだろう」って考えてしまっている時点で強く過去に囚われているのでしょう。
2013/04/21(日) 22:36:09 |URL|ラムダ #- [編集]
ラムダさんへ
こんにちは。

> 子供の頃は、ここまで変に同一化してなかったような気がします。

個人差はありますが、誰でもそうですよね。

人生の過程で、いつのころからか、思考が私たちを支配するようになり、
疑うことすら思いうかばないようになっているのでしょうね。

> 母の職業上、動物の生き死にを人より多く見てきましたが、未だに生き物の死と言うものには不思議なものを感じます。
> 心臓が止まったとか、そんな医学的な「死」ではなく、「何か」が抜けてしまったように感じる「死」。
> 確かにそこにあったような「何か」がスーッと身体から抜けてしまったのか明らからに見た目はさっきまで生きていた状態と変わらないのに明らかに「死んだ」とわかる。
> あの抜けたものが「意識」なのだとしたら、どことなく納得できる自分がいます。

思考観察がむつかしいようですので、そういう現実を観察されるといいかもしれません。

命のあるものが、やがて命のないものへとかえっていく。

あるがまま。

> ただ、無抵抗にそれこそ流れに身を任せていればいいものを、無駄に宛ても無く必至こいて泳いでるようなものでしょう。
> 自分はそんなに「過去」に囚われていないつもりでも、未だに「どうしてこうなったんだろう」って考えてしまっている時点で強く過去に囚われているのでしょう。

『「過去」に囚われていないつもり』がじゃましている可能性があります。

『私は「過去」に囚われていない』といって、「とらわれている自分」(あるがままの自分)に抵抗しているのです。

『「過去」に囚われている自分』に意識を向けて、それを感じられてみるといいかもしれません。
2013/04/22(月) 10:51:11 |URL|やまがみてるお #- [編集]
返信ありがとうございます。
思考観察は人を選びますね。

普通の人より時間がかかりそうです。
自分が憎いぐらい出来が悪い。

周りはできて自分はできないなんていつもの事ですが、見事に思考のハメられた気がします。

自分にもできるように思わせておいて現実を突き付けて落とす。

悪魔のような存在です。
何やってももう手遅れな気もします。

これも、思考なんでしょうが…もうどうにもお手上げですね。

わからなくなってきました。

何がいけないのか?何の罰なのか?
自分の人生なんだったのか?

虚しくなります。
2013/04/22(月) 12:28:55 |URL|ラムダ #- [編集]
虚しく感じるのも思考なら、どんな思考が隠れているのか?

目に見えないものを相手にどう立ち回ればいいのか?

感じるとはどういうことか?

今の自分にはわからないことだらけです。

学びが足りないのか?
他の人はどう観察してきたのか?

コメントやら記事やらである程度参考にはなっても、どこか飛び飛びな気がして仕方が無い。

本気度が足りないのか?
熱意が足りないのか?
知識が足りないのか?
苦しみが足りないのか…

何かが間違っていた、いけなかったんだと思いたい自分がいます。
2013/04/22(月) 12:45:04 |URL|ラムダ #- [編集]
ラムダさんへ
> 思考観察は人を選びますね。

私自身は、万人に可能だと信じてお伝えしていますが、

思考との同一化のどっぷり度には、個人差があり、

このどっぷり度が深いほどに、思考の虚偽を盲信する度合いが強くなっていますので、

それを疑うことができるようになるまでに、差がでるのだと考えています。
2013/04/22(月) 12:51:58 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ラムダさんへ
まずは、考えても、答えは出ないことに、意識を向けてみてください。

考えたら、答えが出るかのように感じていますが、
考えることによって、思考に同一化させられているのです。
2013/04/22(月) 12:53:38 |URL|やまがみてるお #- [編集]

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やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

 ご質問には、記事のなかで
 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

著書

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