誰でも「悟り」プロジェクト   意識の中心みいつけた!

やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

スポンサーサイト

-----(--)--時--分
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 |コメント:(-) |トラックバック:(-)


つとむさんの思考観察記録(7)私たちは意識的な観察によって、人生で背負ってきた執着から目覚めていく

03-07(木)15時38分
こんにちは、やまがみてるおです。

ご訪問ありがとうございます。




*ブログランキング、応援お願します♪

精神世界ランキング  にほんブログ村

はじめてお越しの方は、「こちら」を見てね。




2013年2月10日 

『無意識、習慣的な「ノー!」に気づき、意識的に「イエス」を選んでみる』

2013年2月12日 

『思考が「ノー!」ということを、あえて選択してみる』

において私は、思考が私たちに語ることと逆の選択をしたときにどうなるのかを、

自分の目で確かめてみることをおすすめました。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

2013年2月13日 つとむさん


やまがみさん、こんばんは。

今まさに、思考が物凄い勢いで「ノー!!!」と

言っていることを選択している最中です。

(この部分は、思考が「ノー!」といっていることを選択し、

それがうまくいったというふうにも取れますが、

つとむさんは、思考が「ノー!」といったことに対して、

「イエス」を選択したことをいっていることがあとで判明します。

私の記事のタイトル自体が

誤解を招きかねない表現であったことをお詫びします)


ちょっとした「ノー!」(に対して「イエス」)を選択してみる

ということは今までも何度かあり、

結果なぜだかうまくいくという経験をしています。


(そのように以前はうまくいったこともありますが)

しかし今回は試練としか言いようのないほど、

なぜだかうまくいかないのです(笑)

日に日に「ノー!」警報がおおきくなります。

しかしこれも起こるべくして起こったこと。

あるがままを、ただ観て行こうと思います。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

2013年2月13日 やまがみてるお


> 今まさに、思考が物凄い勢いで「ノー!!!」と言っていることを

> 選択している最中です。

> ちょっとした「ノー!」を選択してみるということは

> 今までも何度かあり、

> 結果なぜだかうまくいくという経験をしています。


思考の「ノー!」がうまくいくという経験をされたのですね。

おそらく、うまくいったように見えても、

短期的なものであるとは思うのですが、

長期的にどうなるか、また観察を続けてみてください。


> しかし今回は試練としか言いようのないほど、

> なぜだかうまくいかないのです(笑)

> 日に日に「ノー!」警報がおおきくなります。

> しかしこれも起こるべくして起こったこと。

> あるがままを、ただ観て行こうと思います。


思考はあるがままの出来事に「ノー!」といいますが、

それに気づき、操作せず、ただ起こるがままを観察してみてください。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

2013年2月13日 つとむさん


ご返事ありがとうございます!

すみません。

少し言葉足らずでした。

(いいえ、私の記事のタイトルから、

 言葉足らずだったからです。すみませんでした)


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

記事のなかでは、例として

たとえば「社会的なルールを守らないなんて、けしからん!」という

気もちが起こったことに気づいたときに、

それを放っておく選択をします。

そうして、その結果を観察してみることをおすすめしました。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(つとむさんのコメントのつづき)


>それに気づき、その「社会的なルールを守らない人」のことは

> あえて、 放っておく選択をします。


このような、よく起こるようなことを放っておく選択をしていたのですが、

思考が主張するような悪い状況にはならず、

主張は虚偽であることに気付くようになってきました。


むしろ予想よりも良い結果に落ちつくこともよくありました。

しかし今回のような、苦手な事象が起きた時の思考の観察は、

まるで試されているかのようです(笑)


あるがまま起こることに、良いも悪いもないということを

理解し始めてはいるのですが、

思考が呼び戻そうとしてきます。

自我は苦しいですが、この思考、状況をただただ観察するのみです。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

2013年2月13日 やまがみてるお


こんにちは。

> >それに気づき、その「社会的なルールを守らない人」のことは

> >あえて、放っておく選択をします。


> このような、よく起こるようなことを

> 放っておく選択をしていたのですが、

> 思考が主張するような悪い状況にはならず、

> 主張は虚偽であることに気付くようになってきました。

> むしろ予想よりも良い結果に落ちつくこともよくありました。

ここがポイントですよね。


思考の逆の選択をしても、

「思考が主張するような悪い状況にはならない」ことや

「むしろ予想よりも良い結果に落ちつくこともよくある」ことを

観察し、それを体験すること。


そういう体験をたくさん積みあげていくと、今度は逆に、

思考が「ノー!」ということを放っておくほうが、

自分にとって得策であることが体験的に理解されていきます。


そうしたら、もう自分を説得する必要はありません。


思考なんて、信じるに値せず、それに従わないほうが

自分に利益があることがわかるのですから。


> しかし今回のような、苦手な事象が起きた時の思考の観察は、

> まるで試されているかのようです(笑)

> あるがまま起こることに、良いも悪いもないということを

> 理解し始めてはいるのですが、思考が呼び戻そうとしてきます。

> 自我は苦しいですが、

> この思考、状況をただただ観察するのみです。


人それぞれ、自分にとって重要視していることが違います。

より重要と感じていることに対してこれをおこなうことは

やはり、それなりに難しくなっていきます。


私にとっての試練は、死や病でした。

5~6年ほどまえからそれ(試練)ははじまっていたのですが、

愛犬ががんになったり、後ろ足が不随になり、歩けなくなったりと、

大きな病気をとおして私を苦しめはじめました。


2011年あたりからは、死を覚悟しても受け入れられずに

恐怖することが何度もありました。

おそらく、このころから、ゆっくりと死別に対する免疫を

つけてくれていたのだと思います。


2012年9月に亡くなったのですが、

その頃には、それに対しても「ノー!」とはいわず、

ただあるがまま、起こるがままの時間を

大切にすることができるようになっていました。

このおかげで、ほんとうに貴重な時間を

いっしょにすごすことができたと思います。


いきなり、とっても重要に感じていることに対する

執着を解くことなんて、できるはずはありません。


それを体験している私たちは、肉体をもち、

それをとおしてすべてを体験している人間なのですから。


徐々に、徐々に、より重要視しているものに対しても、

思考が「ノー!」といったときにそれに気づき、

「イエス」を選択して、その後何が起こるか観察していくようにすると、

より負担が少なく、やがて、人生で背負ってきたほとんどの執着から

解放されることができるのでしょうね。


(私が、生死の執着からも解放されていく過程は、

 「愛犬との残された時間(1)」

 「愛犬との残された時間(19)」 をご参照ください)


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

『無意識、習慣的な「ノー!」に気づき、意識的に「イエス」を選んでみる』

『思考が「ノー!」ということを、あえて選択してみる』

のなかでもご紹介してありますが、

思考が「ノー」といったときにそれに気づき、あえて「イエス」を選択する方法は、

自分にとって比較的重要ではないことに対しておこないはじめましょう。

そしてその観察になれていくにしたがって、

少しずつより重要だと感じることにもおなじように挑戦していくようにして、

結果を観察します。


思考と現実とのあいだに、何の関係もないことが、

観察をとおして体験されると、

思考を説得する必要がなくなります。


思考(自我)にとっても、自分にとって「利益のある選択」が重要だからです。




*Information*


*2013年3月8日20時00分~ スピリチュアルTVに出演します。

『「いまここ」にさとりを選択する生きかた』をテーマに

さとりについてお話させていただきます。

ぜひご覧ください。


スピリチュアルTVはこちら




*『「いまここ」にさとりを選択する生きかた』ナチュラルスピリット刊、好評発売中!

発売1週間で初版完売いたしました。

ご購入ありがとうございました。

まだの方は、ぜひ! ブログ、誰でも「悟り」プロジェクトの集大成です!



お読みくださいました方で、応援いただける方は、

アマゾンにてカスタマーレビューを書いていただけましたら、うれしいです。

応援、よろしくお願いいたします♪


これまでに書き込みいただきましたカスタマーレビューはこちら

書き込み、応援、ほんとうに、ありがとうございます!




*「セルフ・ラブ」をテーマにしたコラボレーション・イベント神戸にて開催決定!


やまがみてるお 寺川貴也 ユウ トークセッション「セルフ・ラブやるよ!」


◆日時:2013/03/22 (金)

◆時間:18:30 - 22:00 (開場:18:00)

(22時半頃まで延長する場合があります)

◆会費:¥4,000 (食事 + ワンドリンク込)

◆場所:神戸JR元町駅から徒歩5分の会場です

(詳細は申し込みいただいた方にご連絡いたします)


詳細はこちら

お申し込みはこちら





*ワンクリック、応援おねがいします。

 みんなで世界観を転換しましょう♪

精神世界ランキング  にほんブログ村
 
関連記事
スポンサーサイト


コメント:

やまがみさん、こんにちは。

今日一日は、原因不明のざわざわ感に巻き込まれたり、観察していたりしました。

そこで質問なのですが、やまがみさんご自身は、さとりの定着前(あるいは後でも)、不安感やざわざわ感にどう対処しておられましたでしょうか?

エックハルトトールさんの言うところの、インナボディやペインボディも含めての観察をしていく感じでしょうか。

良ければ、ご返答お願いいたします。
2013/03/08(金) 20:17:27 |URL|けいじ #- [編集]
体験の主体
やまがみさん、こんにちは。
今更で申し訳ないのですが、基本的な質問をさせてください。
「体験の主体」を仮に「S」とする時、


訓練前:(無意識S)→自我(思考放置)→体験

訓練中:(無意識S)→自我(思考意識)→S(ここ重要)→体験

定着後:S→体験


この説明で正しいでしょうか?
2013/03/09(土) 05:20:14 |URL|nobody #noRfYm1U [編集]
けいじさんへ
こんにちは。

> 今日一日は、原因不明のざわざわ感に巻き込まれたり、観察していたりしました。
> そこで質問なのですが、やまがみさんご自身は、さとりの定着前(あるいは後でも)、不安感やざわざわ感にどう対処しておられましたでしょうか?

私の場合は、さとりの定着まえは、重度のうつ状態でしたので、ざわざわ感に巻き込まれて、とってもひどい状態でした。

いまだからいえるのですが、けっきょく、ざわざわ感をつくっているのも、自分自身の思考だったということです。

つまり、ざわざわ感を悪いものとして、そこから逃れようとしているのも、思考です。

ざわざわ感を否定し、抵抗し、改善を望み、それによって、その存在を強化していることになっていたのです。

ですから、ざわざわ感は止めようとしても、かえって強くなります。

ざわざわ感も思考が原因で起こっているわけですから、
思考を観察し、思考(ざわざわ感には対処をしなければならない)さえも起こるがままに、観察することができれば、それは自然に消えていきます。

けいじさんのざわざわ感のもとになっている思考があるはずです。

それは、たとえば、「働かなければならない」などかもしれませんし、
「さとりをひらかなければならない」などかもしれませんし、
もっとほかのものかもしれません。

そのようなものさえもすべて含み、ただあるがまま、起こるがままに、そこからはなれた視点に気づき、その視点からさらにそれに気づけるようになっていくことで、しだいにその影響下からはなれることができるようになっていくと思います。

まずは、思考に気づいている視点に気づき、その視点から、思考を観察されることが重要だと思います。
2013/03/10(日) 14:56:33 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさん
ごぶさたしています。
ガジュ丸です。

-「いまここ」にさとりを選択する生きかた-
発売と同時にAmazonで購入し読ませていただきました。
分かりやすい表現で、自分なりに理解が深まりました。
ありがとうございました。

昨年末から思考観察を続けています。
言い訳になりますが、仕事に追われる日々のため、とてもコンスタントな実践とは言えない状態です。

座る瞑想(TM)は中断しています。
かわりに時間の取れる時、自宅の庭を歩きながら思考観察をしています。

自分では「歩く瞑想」なんて呼んでいますが、寒空の下厚着して1時間半とか2時間同じところをグルグル回ってる私を見て、最初は家族も心配していました。
近所の人が、どう思っているかは不明です。(笑)

思考観察=「歩く瞑想」のおかげで、自我=自己意識の正体が、以前より良く見えて来ました。
正体が見えて、ずいぶん落ち込んだりもしました。
この落ち込みには結構辛いものがあるのですが、ただ自分の場合は、自我を客観的に捉える度合いが深まるほど、思考観察もやりやすくなると感じています。
このまま続けたいと思います。

いつも質問ばかりで恐縮なのですが、後記についてやまがみさんのご意見をお聞かせいただければ幸いです。

3週間前の日曜日、叔父の1周忌がありました。
田舎なので法要の後は酒宴です。
仲の良い従弟たちと熱燗を飲み、前夜あまり寝てなかった私は、炬燵で気持ちよく眠りました。
帰る時間となったので、妻が私を起こしました。

その時、不思議な意識状態を体験しました。

起こされて目を開けると、仰向けで寝ている私の上方から<見知らぬ>女性がやさしく声をかけています。
(なぜか、とても優しく、懐かしく感じました。けしておノロケではありません。)
しかし私にはその女性が誰なのか、何を言っているのか、そして自分がどこに居るのか、自分が誰なのか、まったく理解できません。
もう少し正確に言うと、相手のことを女性であるとか、人間であるとかの認識も無かったと思います。
同様に「自分」という意識もまったくありませんでした。
完全に無思考の状態で、ただ見ている。そんな状態です。

時間にして数秒だったのか、十数秒だったのかは分かりませんが、しばらくの間そのような状態が続きました。
次に旧式のコンピューターがゆっくり起動するように、私の思考が機能し始め、私は私が私であり、優しく私を起こしていたのは、妻であること、そしてその場所では叔父の1周忌が行われ、そろそろ帰る時間になったことを理解しました。
(妻のことが最初誰か分からなかったと後で話したら、「私は孤独だわ・・・。」と、妻はちょっと怒ったような寂しそうな顔をしてました。)

あの存在状態、意識状態は、赤ちゃんのそれと似ているのではないか?
あの存在状態、意識状態に在るなら、たしかに「死」は恐怖の対象とならない。
あの存在状態、意識状態に在るなら、過去や未来は存在せず、ただ「今」に在り続ける。
あの存在状態、意識状態には、自我と呼ばれるものは、その欠けらも存在しない。
もしかするとあの不思議な意識状態こそが、やまがみさんの言われる「体験の主体」であり、「真我」ではないのか?そうでないにしても、それに近い何かでは?
熟睡状態に不意をつかれた「自我」が出遅れ、図らずも「真我」が表面化したのではないか?

法要から3週間経った今も、こんな思いが駆け巡ります。

もちろんこういうことは、深い眠りの最中にとつぜん大きな音で目覚めた時などに起こり得る、よくある現象かと思います。
またあの時の私はアルコールも入ってたので、「単に酔っ払ってただけ」と言ってしまえば、それまでです。
それでもなぜか気になるのです。

あの時表出したものは、「真我」すなわち「体験の主体」なのでしょうか?
それとも単に寝惚けていただけ、酔っ払っていただけなのでしょうか?

このことを知ることは、思考観察にとってプラスになると感じています。
やまがみさんのご意見をお聞かせ願えれば幸いです。
長文となり申し訳ありません。


2013/03/10(日) 15:11:49 |URL|ガジュ丸 #- [編集]
nobodyさんへ
こんにちは。

以下、nobodyさんのことばを、一旦私のことばに置き換えています。
それで、nobodyさんの感じられていることと比較ください。

> 「体験の主体」を仮に「S」とする時、

(このコメントを読まれている読者のかたへ、この「S」は、静寂の「S」です)


> 訓練前:(無意識S)→自我(思考放置)→体験


訓練前:無意識の「体験の主体」(思考の背後に忘れられている「体験の主体」)が、思考(思考からなる自我)を体験している状態。


> 訓練中:(無意識S)→自我(思考意識)→S(ここ重要)→体験

訓練中:無意識の「体験の主体」(思考の背後に忘れられていた「体験の主体」)が、思考(思考からなる自我)を体験している状態から、思考(自我)をこえた「体験の主体」の存在に目覚め、それをとおして「思考」や「出来事」(日常)を体験している状態(ただし永続的に体験されるのではなく、断続的にしだいに、回数、時間ともに増加する傾向で体験する)。


> 定着後:S→体験

定着後:「体験の主体」が取り戻され、それが「思考」や「出来事」(日常)を体験している状態。
定着により、その後、無意識に思考に巻き込まれる傾向がしだいにより減少していく。

nobodyさんは、おなじことを、別の伝え方でいっていると思います。
2013/03/10(日) 15:23:48 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ガジュ丸さんへ
こんにちは。
お久しぶりです。
著書のご購入、ご感想、近況報告、ありがとうございます。

> 昨年末から思考観察を続けています。
> 言い訳になりますが、仕事に追われる日々のため、とてもコンスタントな実践とは言えない状態です。

「コンスタントな実践とは言えない状態」だと気づかれているということは
「コンスタントな実践」ではないけれども、ときおり「思考に気づいている」こともあるということですので、
評価対象です。

「コンスタントな実践ではないことは悪いことである」ということすらも「思考」であることを観察することができるように注意していくと進歩が早いと思います。

「歩く瞑想」、おもしろいですね。

> 思考観察=「歩く瞑想」のおかげで、自我=自己意識の正体が、以前より良く見えて来ました。
> 正体が見えて、ずいぶん落ち込んだりもしました。
> この落ち込みには結構辛いものがあるのですが、ただ自分の場合は、自我を客観的に捉える度合いが深まるほど、思考観察もやりやすくなると感じています。
> このまま続けたいと思います。

先にもお話しましたが、自己の正体が見えてきて、これを悪いものととらえているものも「思考」であることに気づけるように注意して観察をつづけてください。

いいも悪いもなく(いい悪いをいっているのは思考ですので、それさえも)「ただ気づく」こと「気づきつづけること」が大切です。

ガジュ丸さんが法要のときに体験されたことは、「真我」に近いのではないかと思います。
神秘体験と呼ばれているものだと思います。

「体験の主体」はもっと身近で、あたりまえに体験している自分という感覚のおおもとのようなものです。

「体験の主体」が定着すると、その後しだいに自我の部分が希薄に感じるようになっていき、それに台頭して真実の自分の感覚(これが「真我」です)が自分の感覚として感じられていきます。

ですから、ガジュ丸さんが今後、「真我」体験を求められるようになると、悟りは起こりにくくなります。

「いまここ」でただ思考に気づいている状態をつづけていくと、そこに、思考に気づいている視点が安定化されていきます。

これが確立されると、その後、それまでは自分だと感じていた部分がしだいにゆっくりと減少していき、そこに真我が残ります。

奥さまとのあいだの誤解が解かれますようにお祈りしています。
2013/03/10(日) 15:58:42 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ありがとうございます。

>けいじさんのざわざわ感のもとになっている思考があるはずです。

よくよく自分の思考を観察してみたら、「~しなくてはならない」というプレッシャーのような思考に気付きました。


実は、ざわざわ感を感じた時に、思考として出てきたのは、このときに、あくまで思考(言葉、イメージ)のみを観察するのか、あるいは、思考・感情(この場合は、ざわざわ感)の両方を観察すればいいのか?というものでした。

感情のもととなっているのも思考であるなら、やはり思考(言葉、イメージ)を観察すればいいのかなどと、ぐるぐるしておりました。

>そのようなものさえもすべて含み、ただあるがまま、起こるがままに、そこからはなれた視点に気づき、その視点からさらにそれに気づけるようになっていくことで、しだいにその影響下からはなれることができるようになっていくと思います。

ということなので、このぐるぐる思考も、また感情も、観察していけばいいのかな、と勝手に落ち着きました。大事なことは、体験の主体から見ていくことなのかと。

難しく考えすぎでしょうか。(笑)
2013/03/11(月) 10:41:33 |URL|けいじ #- [編集]
やまがみさん、スピリチュアルTV出演、お疲れ様でした。

やまがみさんのやり方を実践している仲間で今日話し合いを持ちました。

思考に気づいていると思いながらも、「私はいま思考に気づいている」と思考・言葉を使ってしゃべりながらやってしまっている…
これでいいのでしょうか?
そんな話が出ました。


「気づいている、気づいている」と言葉が出て、それがいい気づきをしていると理解?しているという話にもなりました。


思考観察というのは…、そのコツを、段々、きちんとつかんでゆかないと方向を間違えてしまうこともあるような気がします。

思考観察、思考観察と言葉ではシンプルに言えますが…、
きちんと理解・実践するには、気をつけないといけないポイントが確かにあるなと実感しています。

セミナー・講習会・ネットなどで…
直接やまがみさんに色々聞けるのは、書籍出版のあと、思考観察のコツをきちんと理解するには大切な、貴重な機会になると確信しています。
2013/03/11(月) 21:26:20 |URL|平井ケンタ #- [編集]
けいじさんへ
こんにちは。

> >けいじさんのざわざわ感のもとになっている思考があるはずです。

> よくよく自分の思考を観察してみたら、「~しなくてはならない」というプレッシャーのような思考に気付きました。

思考という表現をしていますが、私たちの意識の届かない部分の無意識下の思考も、私たちに影響を及ぼしているのですよね。恐ろしいことですが。

> 実は、ざわざわ感を感じた時に、思考として出てきたのは、このときに、あくまで思考(言葉、イメージ)のみを観察するのか、あるいは、思考・感情(この場合は、ざわざわ感)の両方を観察すればいいのか?というものでした。

無意識下の思考は、なかなか意識下に出てきませんので(今回のように意識を向けなければ)、それは感情であったり、緊張感であったりとさまざまな形で現れますが、それも観察することができれば、私たちはしだいに解放されていくことができるということなのですよね。
2013/03/11(月) 22:29:01 |URL|やまがみてるお #- [編集]
平井ケンタさんへ
いつも、ありがとうございます。

> やまがみさんのやり方を実践している仲間で今日話し合いを持ちました。

仲間の方と集まられて、体験をシェアしあわれることはいいことだと思います。

> 思考に気づいていると思いながらも、「私はいま思考に気づいている」と思考・言葉を使ってしゃべりながらやってしまっている…
> これでいいのでしょうか?
> そんな話が出ました。

> 「気づいている、気づいている」と言葉が出て、それがいい気づきをしていると理解?しているという話にもなりました。

思考は本当に、狡猾ですので、このことには大いに注意しなければいけません。

> 思考観察というのは…、そのコツを、段々、きちんとつかんでゆかないと方向を間違えてしまうこともあるような気がします。

> 思考観察、思考観察と言葉ではシンプルに言えますが…、
> きちんと理解・実践するには、気をつけないといけないポイントが確かにあるなと実感しています。

とっても重要なポイントですので、記事にしてお伝えしたいと思います。
2013/03/11(月) 22:32:27 |URL|やまがみてるお #- [編集]
何か初歩的な事のようにも感じられて、今回の質問をするのを最初は躊躇ったのですが、思いきって質問してみてよかったです。

理解がさらに深まりました。
ありがとうございました。
2013/03/12(火) 07:56:19 |URL|けいじ #- [編集]
けいじさんへ
こちらこそ、ありがとうございます。

また変化などあれば、ご報告、お待ちしています。
2013/03/12(火) 13:59:45 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさん、こんばんは。
早速ご返事いただき、ありがとうございます。

おっしゃるとおり、思考観察の過程で、自我に関し「いい悪い」の判断をしていることが多いようです。

私の場合、自我・思考が無意識の内に「いい悪い」の判断をしている時は、緊張状態・凝縮状態・呼吸が浅い状態、つまりあまり快適でない状態にあり、あれこれ判断してない時は、リラックス状態・開放状態・弛緩状態・呼吸がゆるく深い状態、つまり心地よい状態になっているようです。

この辺のぼんやりした感覚を頼りに、これからも思考観察を続けて行きます。

貴重なアドバイス、ありがとうございました。

2013/03/14(木) 07:00:54 |URL|ガジュ丸 #- [編集]
ガジュ丸さんへ
こんにちは。

> 私の場合、自我・思考が無意識の内に「いい悪い」の判断をしている時は、緊張状態・凝縮状態・呼吸が浅い状態、つまりあまり快適でない状態にあり、あれこれ判断してない時は、リラックス状態・開放状態・弛緩状態・呼吸がゆるく深い状態、つまり心地よい状態になっているようです。

そうですね。

おそらく、これは誰にでも起こっているこなのだろうと思います。

恐ろしいことに、緊張状態が起こっているときには、潜在意識下で無意識の思考に巻き込まれているのです。

> この辺のぼんやりした感覚を頼りに、これからも思考観察を続けて行きます。

私もこの緊張状態をサインに、思考にのぼらないうちの思考に気づく(ただそれに気づくと、緊張がゆるみます)ようにしています。
2013/03/19(火) 00:00:13 |URL|やまがみてるお #- [編集]

コメントの投稿

  • URL
  • コメント:
  • パスワード
  • 秘密
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック:

トラックバック URL:http://oyamagamiteru.blog.fc2.com/tb.php/354-38dd6679

TOP

template designed by honome

FC2Ad

プロフィール

やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

 ご質問には、記事のなかで
 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

著書

『スターピープル vol.56』より、連載がスタート!

ぜひ、ご覧ください!

アクセスカウンター

カテゴリ

はじめての方へ―最初にお読みください (1)
応援ください (1)
日々感じたこと (56)
意識の中心―「ゼロ視点」 (19)
願望実現の真実 (31)
スピリチュアル (23)
自我―いつわりの自己 (88)
言葉・思考・概念のトリック (83)
「大いなる存在」につながる (9)
シンクロニシティ―「大いなるものの意図」 (5)
悟り―意識の目覚め (40)
いまここ―時間と空間の幻想 (13)
内なる声―感じる能力 (17)
癒し―感情からの解放 (25)
経済的豊かさについて (1)
常識の虚偽 (40)
記憶の糸 (1)
あるがままの受容 (14)
悟りの時代の訪れ (23)
スピリチュアル・エゴ (5)
私が人生で体験してきたこと (101)
悟りの誤解 (30)
エクササイズ (15)
まんが「悟り」プロジェクト (22)
「誰でも悟りプロジェクト」まとめ (13)
読者さんとの思考観察記録 (13)
著書 (1)
セミナー・ワークショップ・イベント (38)
動画 (2)
アート活動 (9)
お知らせ (6)
おすすめスピリチュアル・ティーチャー (14)
おすすめブログ (0)
ご縁 (1)
絵本の力 (1)
コメント欄の質問への答え (22)
「誰でも悟りプロジェクト」復習 (4)
メディア出演 (10)
真実を知っている視点 (8)
悟りへの3つのアプローチ (8)
邪悪への対処法 (3)
エゴ消滅のプロセス (18)
能力の目覚め (6)
自分の人生を生きる (10)
自責と他責 (6)
悟りの全体像 (23)

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

記事ランキング

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

↓Twitter やってます♪↓

検索フォーム

QRコード

QR

ランキングサイト

精神世界ランキング にほんブログ村 人気ブログランキング FC2ランキング  ブログ総合ガイドの Lisme 精神世界サイトランキングTOP100 blogram投票ボタン

↓↓↓お気に入りのブログ↓↓↓

このブログをリンクに追加する

私の悟りに一役を買った書籍

やまがみてるおの書籍は、以下のインターネット書店でもご購入いただけます。

ブックサービス

お仕事のご依頼

セミナー・ワークショップのご依頼、 執筆のご依頼は、 こちらからお願いいたします。           担当:原田

名前:
メール:
件名:
本文:

Copyright

Copyright(C)Teruo Yamagami 2011-2015 All Rights Reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。