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やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

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つとむさんの思考観察記録(4)イヤホンからの声を聞いている視点

02-26(火)20時01分
こんにちは、やまがみてるおです。

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―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

2012年12月28日 つとむさん

やまがみさんのブログを読み始めてしばらくしたある日、

道を歩いていたら

突然初めて体感として観察意識に入ったことがありました。

何が起きてもいいんだ。


ただここで見てるだけで良い。

私はここにいるんだ。


そのような胸がホッとするような

深い安心感に包まれてボッーとしてたのですが、

次の日にはいつも通りに戻ってました。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

このような意識の鮮明な状態は、

「思考からはなれ、ただ思考に気づいている意識状態」になったときに起こりえます。

けれども私たちには

「無意識に思考に同一化する習慣」が身についてしまっているため、

すぐにまた「思考に気づいている状態」から、

それに気づかずに同一化している状態に戻ります。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(つとむさんのコメントのつづき)

今思うと、その時は完全サレンダー状態だったのかなと思います。


最近少しずつつ観察意識に入れる頻度が多くなってきましたが、

あの時のはっきりとした安心感までには至れずにいます。


>けれどもこれは、何か成し遂げるような意識状態ではありません。


あの感覚を再び得ようとしてました(笑)


以前もアドバイスいただきましたが、

自然に起こることを得ようとするから思考でもがくんですね。

>それをこえたところで、それすらもあるがままに受け入れています。


何も求めることなく受けいれていこうと思います。

求めるなら求めるをあるがままです!


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

その状態とは、「ただ思考に気づいている意識状態」であるため、

成し遂げて、なるのではありません。


「ただ思考に気づいている」ことをいっていますので、

頭のなかのおしゃべりに気づいていたら、それがその意識状態です。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

2012年12月29日 やまがみてるお

こんにちは。

いつもありがとうございます。

> やまがみさんのブログを読み始めてしばらくしたある日、

> 道を歩いていたら突然

> 初めて体感として観察意識に入ったことがありました。

> 最近少しずつつ観察意識に入れる頻度が多くなってきましたが、

> あの時のはっきりとした安心感までには至れずにいます。


いつも自然に思考が観察されている状態

―これが思考からはなれた意識の定着した状態なのですが―

(私たちは人生の全経験をとおして、

思考を観察せずにそれと同一化してきたため)

その状態に戻るためには、

少しの努力が必要だと私は考えています。


でも、必要なことは、それだけなんです。

数か月の新しい意識状態の習慣化―


> 何も求めることなく受けいれていこうと思います。

> 求めるなら求めるをあるがままです!

とりあえず文句を言っているのは、「思考」だけです。

ただそれに気づきつづけることが大切です。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

思考の観察とは、思考を観察することによって、

「思考からはなれた視点」の存在に気づき、

「その視点から思考を観察しつづけていくこと」です。



けれども、この「思考からはなれた視点」に

なかなか気づけない人がいらっしゃることも確かです。


これを伝え合うことに、私たちは苦難しているのです。


つとむさんが、その意識状態を見つけたのは、

つぎの経験によってでした。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

2013年1月13日 つとむさん

ラジオの時間にギリギリ間に合うことができました。

(私の出演させていただいた

 ラジオ放送を聴いていただいたあとのコメントでした)


私もラジオを聴きながら、

幼い頃からさとりに慣れ親しむとどんな大人になるのかな? 

と思いました。

さとりの絵本、楽しみにしてます!


(これは、私のラジオでのトークに対しての感想です。

 私は、これから悟りをお伝えする対象年齢を

 少しずつ引き下げていきたいと考えています。

 思春期世代向けの悟り本を書き、さらにそのあと、

 悟りをお伝えする絵本を描きたいと思っています。

 その内容に対する、つとむさんのご感想です)


ところで以前、言葉の思考がよくわからない

というコメントをさせて頂きましたが、

今日ラジオを聴くためイヤホンを

スマホに付けて聴いていたところ、気づきがありました。


ラジオを聴きながら「体験の主体」を意識していたら、

「あれ? 思考の出所と、イヤホンで聴いた時の

音の響く場所は同じでは?」と感じ、

その後ラジオが終わってイヤホンを外して街を歩くと、

思考がまるで頭の中で響くラジオのように感じられました。


思考は注意して聴くこともできますが、聴き流すこともできる。

また、街の雑踏のように自分で無理矢理消すことはできませんが、

気にしなければただの聞こえてくる雑音。

聴いている主体は雑音とは別物。

と言った感覚を得ました。


普段イヤホンはまったく使わないのですが、

やまがみさんのラジオを聴くために

用意したイヤホンで意外な気付きがあり驚きました。


ラジオを聴いて良かったです!

素晴らしい気付きを頂きありがとうございます。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

もちろん、つとむさんのこの気づきは、私が与えたのではありません。


つとむさんは、思考の出所と、

イヤホンで聴いた時の音の響く場所が同じだと気づかれ、

ラジオを聴いている自分と、

頭のなかのおしゃべりの声を聞いている自分とが、リンクし、

その視点が浮き彫りにされたわけです。




「思考に気づいている意識」、「観察者の視点」の存在がわからないかたは、

ラジオなどをイヤホンで聴いてみて、

イヤホンからの声を聞いているときの自分に気づき、

(イヤホンからの声を聞いている自分と

頭のなかのおしゃべりの声に気づいているときの

「観察者の視点」はおなじです。)

その自分から、頭のなかのおしゃべりを観察してみてください。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

2013年1月14日 やまがみてるお

ラジオ聴取ありがとうございます。


> さとりの絵本、楽しみにしてます!

ありがとうございます。


自分の使えるあらゆる媒体をとおして、

悟りをお伝えしていきたいと思います!


(もしも、悟り系の絵本に興味をもっていただけました

 出版社の方がいらっしゃいましたら、

 ぜひ、ご一報いただけましたら、幸いです。

 これからは、かならず必要になってくると私は思っています)


> ラジオを聴きながら「体験の主体」を意識していたら、

> 「あれ? 思考の出所と、

> イヤホンで聴いた時の音の響く場所は同じでは?」と感じ、

> その後ラジオが終わってイヤホンを外して街を歩くと、

> 思考がまるで頭の中で響くラジオのように感じられました。


それですよね、

思考からはなれた視点で、思考を観察している状態です!


> 思考は注意して聴くこともできますが、聴き流すこともできる。

> また、街の雑踏のように自分で無理矢理消すことはできませんが、

> 気にしなければただの聞こえてくる雑音。

> 聴いている主体は雑音とは別物。

> と言った感覚を得ました。


まさに、それが、思考からはなれた意識状態です!


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「思考は注意して聴くこともできますが、聴き流すこともできる。

また、街の雑踏のように自分で無理矢理消すことはできませんが、

気にしなければただの聞こえてくる雑音。

聴いている主体は雑音とは別物」
 byつとむさん


イヤホンからの声を聞いているときと、

頭のなかのおしゃべりに気づいている意識はおなじです。


イヤホンをとおして流れてくる声に対しても、

私たちは普段は無意識に聴いているのです。


聞こえてくるものに対して意識すると、

私たちは、自分の内側に、

それに気づいている視点が存在していることに

気づくことができるようになります。


これを私のワークショップに参加してくださったある方は、

本を黙読しているときに、

頭のなかで本を読んでいる声に気づいている視点と表現されていました。


本を黙読しているとき、頭のなかのことばに気づいている意識が存在します。

イヤホンからの声を聞いている自分とおなじような感覚の「それ」です。


それは、あまりにも近く、いつもいっしょにすごしてきた「それ」であるため、

「それ」を「それ」だとは、なかなか気づけないだけなのです。


けれども、「それ」こそが、「それ」です。


本を黙読しているときの、頭のなかのことばに気づいている自分、

イヤホンからの声を聞いていることに気づいている自分、

「それ」こそが、私たちの伝え合っている「それ」なのです。


その意識こそが、「観察者の視点」です。

その意識こそが、「思考からはなれた意識」です。

その意識こそが、「体験の主体」です。

その意識こそが、「ほんとうのあなた」です。




*Information*


*『「いまここ」にさとりを選択する生きかた』ナチュラルスピリット刊、好評発売中!

発売1週間で初版完売いたしました。

ご購入ありがとうございました。

まだの方は、ぜひ! ブログ、誰でも「悟り」プロジェクトの集大成です!



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応援、よろしくお願いいたします♪


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◆日時:2013/03/22 (金)

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(22時半頃まで延長する場合があります)

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コメント:

やまがみさん、つとむさん…
貴重なアドバイスありがとうございます。
大変参考になります。

私の場合、かなり前に、スピリチュアルや坐禅やキリスト教に出会いました。

しかしながら、いま一つ、それらそれぞれのエッセンスをつかむことが出来ず、中途半端な学びのままだったように思います。

それが、数年前、ある時突然、ネットサーフィン中に、ガンガジさんが「純粋意識」と表現してる動画に出会い、彼女の先生・パパジさんの動画や書籍などに触れはじめ、やっと坐禅や瞑想のコツが自分なりに飲み込めて、一挙に世界が変わりはじめました。
天野清貴さん関係の書籍の、SPの説明にも体が震えたものです。

坐禅的には、「眼耳鼻舌身意」、すなわち、見える、聞こえる、匂いがする、味がする、触れる、思えるなどの意識の働きを起こるがまま気づいていると、私の本体のありか、真我・仏性に貯金をするような感覚で響く。
いまは、そんな感じで毎日を過ごしています。

そして…、
思考・マインドの観察が非常に不十分だという自覚を繰り返し感じるに至った去年…、
たまたま読んだ、雑誌スターピープルを通して、やまがみさんの教えに出会ったという流れです。

「それ」の感覚を伝える難しさは、私と色々な先生との間の質疑応答の経験からもよく理解出来ます。

やまがみさんが、色んなタイプの求道者にフィットした「それ」の伝え方を模索して下さることは、本当に本当に有り難いことです。

たくさんの方に必ずや恩恵があることでしょう
(^^)

これからも、多角的・柔軟的なアドバイス、どうぞよろしくお願いいたします。合掌感謝
2013/02/26(火) 23:33:13 |URL|平井ケンタ #- [編集]
平井ケンタさんへ
こんにちは。

「思考に気づいている視点」は、これまでの説明からでも、
見つけだしていただける方も、ある程度の割合で存在していますので、
私といたしましても、ある程度の手ごたえを感じることができていました。

けれども、なかなか伝わらないことがあることも確かで、そういうときには、
これまでの伝え方のままでは、「思考観察」が伝わらないまま、
一向に思考からはなれられない状態が続いていくこともありえると感じるようになり
それに対する対処法を模索しはじめた段階です。

やはり、思考を観察し、思考に気づくことで思考からはなれ、それに気づいた存在に意識を向け、その存在から思考を観察することで、定着は約束されます。

こうなると、遅くても3~4ヶ月で、快を体験することができるようになると私は考えています。
(最近では、もっと早く定着が可能だと感じるようになってきましたが)

平井さんのいうように、

> 坐禅的には、「眼耳鼻舌身意」、すなわち、見える、聞こえる、匂いがする、味がする、触れる、思えるなどの意識の働きを起こるがまま気づいていると、私の本体のありか

も、「すべてに気づいている意識」のことをいっているのであり、
その視点からおこるがままに気づくことの重要性を説いていると思います。

けれども、「思考に気づいている視点」からこれがなされていないと、
思考は狡猾ですので、自分(思考)の存続を守るために、「私は思考を観察している」という思考で
私たちを拘束することも可能なわけです。

「思考からはなれた視点」によってはじめて、「思考」と「現実」との関係を観察することができます。

「思考観察」をしているつもりでも、「『私は思考を観察している』という思考と同一化している状態」では、それによって思考の虚偽は見破られませんので、「思考」が私たちの支配力を、それ以降も、もち続けていくことになります。

おそらく「私は思考を観察しています」といわれている方のなかの何割かの方は、この状態にあると思います。

そうして、結果が体験されないと、またもとの状態に戻っていってしまうでしょう。

最近は、このようなことを解消するための、別の角度からの伝え方を模索しはじめました。
「それでも、わかりません」という方は、正直におっしゃっていただけると、ではこの表現はどうですか?
と新しい、たとえや提案ができるかもしれません。

やっていて、たいへんだな、と感じることもありますが、これをすることで、新しい世界のために貢献できるのですから、それも私をとおして起ころうとしている「宇宙そのもの」役割なのだと思うと、ただゆだねていこうと思います。
2013/02/27(水) 00:55:52 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさん。
論理的でわかりやすい文章を作るのが苦手な私が書いたコメントを、丁寧なご説明とともにわかり易く、また興味深くまとめて頂き本当に感謝しております。

私自身の体験だったのですが、忘れかけていたことも多々あり、自分を省みる機会となって今後も思考観察を継続していこうというモチベーションにもなりました。
本当にありがとうございました!!
2013/02/27(水) 01:58:50 |URL|つとむ #- [編集]
平井ケンタさんへ
初めまして。
こちらこそありがとうございます!

私もまだ観察が定着しきれているとは言い難いところもあり、平井ケンタさんとやまがみさんのやり取りを参考にさせて頂くこともしばしばです。

これからも思考観察で得た気付きを教えて頂いけると幸いです。
よろしくお願いします(^^)
2013/02/27(水) 02:01:48 |URL|つとむ #- [編集]
いつもありがとうございます
いつも楽しいブログありがとうございます

体調があまり良くなく身体的な痛みがあるのですが、これって「思考の観察」に応用することが出来ますか?

私の場合、色々とためしてはみるのですがまだ「観察者」としての実感がつかめていません

腎臓結石で石が排泄されてしまうとウソのように痛みがなくなるのですが今のところ出ていないので痛いのです

どうせ痛みを感じているなら、ただ感じているのも(笑)もったいないような気がします

何かアドバイスがあればよろしくお願いします
(バカな質問ですいません)



2013/02/27(水) 11:03:15 |URL|さんとる #- [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013/02/27(水) 14:15:21 || # [編集]
つとむさんへ
こんにちは。

> 論理的でわかりやすい文章を作るのが苦手な私が書いたコメントを、丁寧なご説明とともにわかり易く、また興味深くまとめて頂き本当に感謝しております。

ありがとうございます。
けれども、これも、つとむさんの純粋な疑問を私に投げかけてくださったおかげなのですよね。

> 私自身の体験だったのですが、忘れかけていたことも多々あり、自分を省みる機会となって今後も思考観察を継続していこうというモチベーションにもなりました。

私も、古い記事ででも、おなじように感じることもあります。

え? これ自分が話したこと? って!

私もおなじ、普通の人なのです(笑)
2013/02/27(水) 16:14:33 |URL|やまがみてるお #- [編集]
さとるんさんへ
こんにちは。

こちらこそ、いつもお読みいただき、ありがとうございます。

身体的な痛みがあるとのこと、つらいことだと察します。
(ことばでしか、お力になれずに、すみません)

医学的なことは、何もいえませんが、
私が、恐怖や痛み、身体的変化を感じたときに、やっていることは、

その恐怖や痛みや変化を否定せずに、感じるようにしています。

痛みの場合は、その痛みを感じ、その後、どうなるか、観察します。

あいにく、私の場合は、痛みの影響がそれほど大きくないものであったからかもしれませんが、
それは、その後影響力を弱めていきました。

たとえば、最近私は耳鳴りがひどく、「キーン」どころではなく、ひどいときには「ゴー」とずっとうなっています。

(私は、過去に突発性難聴を発症し、そのときから、聴覚能力が芳しくありません。耳鳴りも何年も止んだことがありません。それが最近、とくにひどく感じられ、イライラと感じはじめていました)

この「ゴー!」を苦しく感じはじめると、不安や恐怖におそわれるようなことが起こります。

そこで私の場合は、この「ゴー!」に気づいたときには、「ゴー!」に意識を向け、それを否定せず、ただ「ゴー!」と耳がうなっていることを感じるようにします。

そうすると、その「ゴー!」は否定されませんので、「ゴー!」の否定によって起こっていた私自身の「抵抗」が弱まり、この抵抗が弱まったおかげで、「いまここ」の否定が減少し、その分「いまここ」が楽になります。

結局のところ、私たちの思考が「いまここ」を否定しなければ「いまここ」は住みやすくなることを経験します。

> 体調があまり良くなく身体的な痛みがあるのですが、これって「思考の観察」に応用することが出来ますか?

「痛み」は「いまここ」に連れ戻してくれる「サイン」にもなりえます。

「痛み」を感じたら、その「痛み」に意識を向けて、その「痛み」を感じてみてください。

そうすると、「思考」がその痛みを増幅することは、なくなるはずだと思います。



> 私の場合、色々とためしてはみるのですがまだ「観察者」としての実感がつかめていません。


それは、どこかにあるものだと、探さないようにしてください。


それは、探しださなければいけないところにあるのではなく、ただ盲点に隠れているだけのことです。


「探すのをやめたとき、それは見つかる」を試してみてください。
2013/02/27(水) 17:07:55 |URL|やまがみてるお #- [編集]
光龍さんへ
コメントありがとうございます。

> >「ノーマインド」でなくても、「頭のなかのBGM」や「思考」に、「ただ気づいている」ことを目標にします。

私たちにとって大切なことは、「悟り」(思考に気づいている状態)の「定着」ではなくて、「いま(この瞬間に)『思考』に気づいている」か「否か」です。

このことにフォーカスすることができるようになると、私たちはますます思考に巻き込まれにくくなることができるようになっていきますものね。

今回、光龍さんが試された「自分が感じている身体イメージ」に対して「ただ気づく」ことでも「体験の主体」を取り戻すことができるとのこと、これからもつづけられ、また結果をご報告いただけましたらと思います。
2013/02/27(水) 18:54:30 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさん…
内容の濃いアドバイス、毎回ありがとうございます。

確かに、思考は実に狡猾だと日々実感しています。
どこまでも追いかけてくるというか、忍び込んでくるというか…
プロの空き巣狙いみたいというか…

わかりたい、理解したいという思考の働きにも巻き込まれ、思考を観察しているようで、知らず知らず思考のなかにまた舞い戻ってしまうことを自覚して、自分で自分を笑ってしまいます。

現代は、ますます情報社会になり…、
個別・自我意識を強調するなか、昔より随分、一人一人の思考癒着が強まって来ているような気がします。

だからこそ、本来の「自分」を思い出すには、五感観察ということ以上に「思考観察の力」が大切だし、注目されているということかと思っています。

丹念に、また淡々と、繰り返し繰り返し、思考観察を続けてゆくこと。

マイペースで実践をしながら、その必要性にしみじみ気づかされてる毎日です。

坐禅や瞑想に行き詰まっている友人に、最近、自然に、やまがみさんの書籍を紹介している私がいます。合掌感謝
2013/02/27(水) 21:04:39 |URL|平井ケンタ #- [編集]
平井ケンタさんへ
こんにちは。

本当にそうですね。
つくづく、思考は狡猾だと感じます。

けれども、ここでお話しているようなことに、興味を持ってくださる人が増えてきているということは、
思考の狡猾さも見破られつつあることの証明だと思います。

> 丹念に、また淡々と、繰り返し繰り返し、思考観察を続けてゆくこと。
> マイペースで実践をしながら、その必要性にしみじみ気づかされてる毎日です。

ただ、自分のなかの思考に気づきつづけてください。

> 坐禅や瞑想に行き詰まっている友人に、最近、自然に、やまがみさんの書籍を紹介している私がいます。

平井さんがことあるごとに私の活動や著書をご紹介くださっていること、本当に感謝しています。

2013/02/28(木) 00:25:25 |URL|やまがみてるお #- [編集]

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やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

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 お答えさせていただくことも
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