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やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

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思考が「ノー!」ということを、あえて選択してみる

02-12(火)23時35分
こんにちは、やまがみてるおです。

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最近の私の提案している方法、

「思考が『ノー!』ということを、あえて選択してみる」方法は、

お試しいただけましたでしょうか。




思考が「ノー!」ということを、あえて選択してみましょう。

思考を観察する目的は、思考の虚偽を見破るためです。




思考とは、私たち一人ひとりの

過去の経験の記憶からはじきだされた意見(指示)です。




この意見が、他者との違いに着目し、

自分(自分だと思っている部分)を守るために

個別意識を形成しています。




これが自我です。




思考の虚偽と一体化したままであるかぎり、

それを見破ることはできません。




思考の観察になれてきましたら、

思考があれやこれやと頭のなかでおしゃべりしているときに、

それに気づくことができるようになります。




そうしたら、つぎに思考が「ノー」といっていることに気づいたときに、

その「ノー」といっていることをあえて選択してみましょう。




たとえば、社会的なルールを守らない人と遭遇したときに、

「社会的なルールを守らないなんて、けしからん!」という

気もちが起こったことに気づいたときに、

それに気づき、その「社会的なルールを守らない人」のことはあえて、

放っておく選択をします。




そうして、その結果を観察します。




「社会的なルールを守らない人」を放っておいたときに、

どれほどひどいことが起こるのかを

自分の目でしっかりと意識して観察するのです。




これには、比較的うまくできることと、苦手なことがありますので、

苦手なことが起こったときには、あまりうまくいかない、

もしくはまったく忘れてその思考の内容と同一化してしまうこともあります。




けれども、そのようなことが起こったときにも自分を責めず、

思いだしたときに、そのようなことが起こったことにただ気づきます。




これによって、自分のなかでどういう気持ちになったのかが観察されます。




こうして、意識的に「思考とは別の選択をした場合」と、

無意識に「思考に巻き込まれた場合」の違いが観察されます。




思考の観察に慣れてきたら、

思考が「ノー」といっていることを、

あえて受けいれてみましょう。




その結果、どうなるかを「観察」しましょう。




思考が「ノー」といったとおりのひどい出来事が起こるのか、

それとも、あまり関係がなかったのかを観察します。




その結果(体験)を蓄積していきましょう。




思考からはなれた視点が、意識的に

「思考とは別の選択をした場合」にもたらされる結果の利点を理解しはじめると、

意識的な選択をおこなうことはどんどんと容易になっていくでしょう。




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コメント:

やまがみさん、こんばんは。

今まさに、思考が物凄い勢いで「ノー!!!」と言っていることを選択している最中です。

ちょっとした「ノー!」を選択してみるということは今までも何度かあり、結果なぜだかうまくいくという経験をしています。
しかし今回は試練としか言いようのないほど、なぜだかうまくいかないのです(笑)
日に日に「ノー!」警報がおおきくなります。
しかしこれも起こるべくして起こったこと。
あるがままを、ただ観て行こうと思います。
2013/02/13(水) 00:11:51 |URL|つとむ #- [編集]
つとむさんへ
> 今まさに、思考が物凄い勢いで「ノー!!!」と言っていることを選択している最中です。
> ちょっとした「ノー!」を選択してみるということは今までも何度かあり、結果なぜだかうまくいくという経験をしています。

思考の「ノー!」がうまくいくという経験をされたのですね。
おそらく、うまくいったように見えても、短期的なものであるとは思うのですが、長期的にどうなるか、また観察を続けてみてください。

> しかし今回は試練としか言いようのないほど、なぜだかうまくいかないのです(笑)
> 日に日に「ノー!」警報がおおきくなります。
> しかしこれも起こるべくして起こったこと。
> あるがままを、ただ観て行こうと思います。

思考はあるがままの出来事に「ノー!」といいますが、
それに気づき、操作せず、ただ起こるがままを観察してみてください。
2013/02/13(水) 01:16:49 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ご返事ありがとうございます!

すみません。
少し言葉足らずでした。

>それに気づき、その「社会的なルールを守らない人」のことはあえて、 放っておく選択をします。

このような、よく起こるようなことを放っておく選択をしていたのですが、思考が主張するような悪い状況にはならず、主張は虚偽であることに気付くようになってきました。
むしろ予想よりも良い結果に落ちつくこともよくありました。

しかし今回のような、苦手な事象が起きた時の思考の観察は、まるで試されているかのようです(笑)
あるがまま起こることに、良いも悪いもないということを理解し始めてはいるのですが、思考が呼び戻そうとしてきます。
自我は苦しいですが、この思考、状況をただただ観察するのみです。
2013/02/13(水) 03:17:42 |URL|つとむ #- [編集]
つとむさんへ
こんにちは。

> >それに気づき、その「社会的なルールを守らない人」のことはあえて、 放っておく選択をします。
> このような、よく起こるようなことを放っておく選択をしていたのですが、思考が主張するような悪い状況にはならず、主張は虚偽であることに気付くようになってきました。
> むしろ予想よりも良い結果に落ちつくこともよくありました。

ここがポイントですよね。

思考の逆の選択をしても、
「思考が主張するような悪い状況にはならない」ことや
「むしろ予想よりも良い結果に落ちつくこともよくある」ことを観察し、それを体験すること。

そういう体験をたくさん積みあげていくと、今度は逆に、思考が「ノー!」ということを放っておくほうが、自分にとって得策であることが体験的に理解されていきます。

そうしたら、もう自分を説得する必要はありません。

思考なんて、信じるに値せず、それに従わないほうが自分に利益があることがわかるのですから。

> しかし今回のような、苦手な事象が起きた時の思考の観察は、まるで試されているかのようです(笑)
> あるがまま起こることに、良いも悪いもないということを理解し始めてはいるのですが、思考が呼び戻そうとしてきます。
> 自我は苦しいですが、この思考、状況をただただ観察するのみです。

人それぞれ、自分にとって重要視していることが違います。

より重要と感じていることに対してこれをおこなうことはやはり、それなりに難しくなっていきます。

私にとっての試練は、死や病でした。

5~6年ほどまえからそれ(試練)ははじまっていたのですが、
愛犬ががんになったり、後ろ足が不随になり、歩けなくなったりと、
大きな病気をとおして私を苦しめはじめました。

2011年あたりからは、死を覚悟しても受け入れられずに恐怖することが何度もありました。
おそらく、このころから、ゆっくりと死別に対する免疫をつけてくれていたのだと思います。

2012年9月に亡くなったのですが、その頃には、それに対しても「ノー!」とはいわず、
ただあるがまま、起こるがままの時間を大切にすることができるようになっていました。

このおかげで、ほんとうに貴重な時間をいっしょにすごすことができたと思います。


いきなり、とっても重要に感じていることに対する執着を解くことなんて、できるはずはありません。

それを体験している私たちは、肉体をもち、それをとおしてすべてを体験している人間なのですから。

徐々に、徐々に、より重要視しているものに対しても、思考が「ノー!」といったときにそれに気づき、「イエス」を選択して、その後何が起こるか観察していくようにすると、より負担が少なく、やがて、人生で背負ってきたほとんどの執着から解放されることができるのでしょうね。
2013/02/13(水) 14:23:36 |URL|やまがみてるお #- [編集]
こんばんは!

>思考なんて、信じるに値せず、それに従わないほうが自分に利益があることがわかるのですから。

本当にそうでした。。。
昨日から今朝にかけ、苦手な思考に焦らされてしまい、無駄な労力を使う羽目となってしまいました(汗)
しかし「やっぱり虚偽だった!」という気づきも得られました。
こういうことの積み重ねですね。

>私にとっての試練は、死や病でした。

チャスティーちゃんのことですね。
私もこちらのブログで経過を見守ってましたが、幼い頃そばにいた愛犬を思い出し、寂しさと悲しさで胸が張り裂けそうになりました…。
お互い体を持って生きている以上、必ず訪れる別離ですが、自我は抵抗し恐怖します。
その自我の視点を超えて、あるがまま、起こるがままを観ることにより、恐怖ではなく、「大切で貴重な時間」として選択できるんですね。

>人生で背負ってきたほとんどの執着から解放されることができるのでしょうね。

ああ、今までこの執着のせいでどれほど自分を痛めつけてきたことか…。ここ数日の試練で再認識させられました。
「イエス」を選択し続ける覚悟ができたかもしれません。
2013/02/14(木) 02:04:06 |URL|つとむ #- [編集]
やまがみさんの本とブログにありましたモーニングページを毎日書くようにしましたら、頭の中のおしゃべりや雑念がかなり減りました。教えていただき、感謝しています。瞑想の時はやまなかったのに不思議です。みな、このひっきりなしのおしゃべりに左右されたり、本心が隠されたりしているのかなあと思います。ノーといった時に逆の選択をする、ですが、苦手なこと(恋愛)は、なかなか放置するのが難しいですねえ。
2013/02/14(木) 22:57:23 |URL|まかろん #- [編集]
つとむさんへ
こんにちは。

> >思考なんて、信じるに値せず、それに従わないほうが自分に利益があることがわかるのですから。
> 本当にそうでした。。。
> 昨日から今朝にかけ、苦手な思考に焦らされてしまい、無駄な労力を使う羽目となってしまいました(汗)

思考は、ほんとうに狡猾ですよね。

油断すると、苦手な出来事の体験などをとおしてすぐに、また取り込まれてしまうようなことを体験します。

> しかし「やっぱり虚偽だった!」という気づきも得られました。
> こういうことの積み重ねですね。

何度もくり返して、それでも気づきつづけるしかありませんよね。

> チャスティーちゃんのことですね。
> 私もこちらのブログで経過を見守ってましたが、幼い頃そばにいた愛犬を思い出し、寂しさと悲しさで胸が張り裂けそうになりました…。

命のあるものどおし、最後は別れが待っているのですが、わかっていても、悲しいですね。
命のあるものの宿命なのでしょう。

> お互い体を持って生きている以上、必ず訪れる別離ですが、自我は抵抗し恐怖します。
> その自我の視点を超えて、あるがまま、起こるがままを観ることにより、恐怖ではなく、「大切で貴重な時間」として選択できるんですね。

それでもやはり、悲しみとつらさを体験しながら、それを淡々と見つめ、体験しているような感じでした。

> ああ、今までこの執着のせいでどれほど自分を痛めつけてきたことか…。ここ数日の試練で再認識させられました。
> 「イエス」を選択し続ける覚悟ができたかもしれません。

ほんとうに苦手なこと(死別やその可能性など)が起こったときは、無理して「イエス」を選択するように強要するのではなく、それを感じ、ただ見つめる、それを体験するような感じです。

「イエス」を選択するのは、自分にとって些細なことからにすることを忘れないようにしてください。


最近、つとむさんとのコメント欄のやり取りをふたたび読み直していたのですが、少しずつ記事にしたいと思ってきたのですが、それは承諾していただけますか?

つとむさんの体験とコメントの記録が、ほかの人の役に立つと思います。

またきりがよさそうなときにでも、と思っています。
2013/02/15(金) 02:17:53 |URL|やまがみてるお #- [編集]
まかろんさんへ
> やまがみさんの本とブログにありましたモーニングページを毎日書くようにしましたら、頭の中のおしゃべりや雑念がかなり減りました。

モーニングページ、内面的な思考を掃除する、いい道具だと思います。

モーニングページの提唱者のジュリア・キャメロンさんは、それを、「脳の排水」って呼んでいます。

毎朝の脳のごみを掃除するようなものですね。

> みな、このひっきりなしのおしゃべりに左右されたり、本心が隠されたりしているのかなあと思います。

多くの人が、これに気づいていないことが問題なのですよね。

> ノーといった時に逆の選択をする、ですが、苦手なこと(恋愛)は、なかなか放置するのが難しいですねえ。

苦手ではない、ほんとうにささやかなことから、選択し、その結果を見るようにすると、負担が少ないですよ。
2013/02/15(金) 02:21:36 |URL|やまがみてるお #- [編集]
こんにちは、やまがみさん。
いつもありがとうございます。

もちろん承諾いたします。
やまがみさんの記事だけでなく、こちらのコメント欄に書き込んでいかれた方々の体験や考えも、今まで私にとって大きな学びとなっています。
今回のやまがみさんと私のやりとりが、少しでも他の方の気付きに繋がれば幸いです。
よろしくお願い致します。
2013/02/15(金) 19:01:41 |URL|つとむ #- [編集]
質問です♪
質問します。
思考や五感を観察・観照することをトライしていると…、
いつの間にか、それがうまくいってるかどうかチェックするもう一つの思考が働き出す感じがあります。
その、観察を誘導する思考は常には続けて、その観察誘導用の思考自体を観察することはなかなかうまく行かないという自覚があります。
例えるならば…、
宇宙(覚醒)に出られるように導くロケットのような思考という感じです。

そんな思考は、ほっといていいでしょうか?

うまく伝わったか心配ですが、何かアドバイスなど頂けましたら有り難く思います。合掌 平井
2013/02/16(土) 08:41:28 |URL|平井ケンタ #- [編集]
つとむさんへ
ありがとうございます。

つとむさんとのやりとりは、

なかなか、たくさんの人の参考になるものになりそうです。

いい記事になりそうで、とっても楽しみです!
2013/02/16(土) 11:03:43 |URL|やまがみてるお #- [編集]
平井ケンタさんへ
こんにちは。

> 質問します。
> 思考や五感を観察・観照することをトライしていると…、
> いつの間にか、それがうまくいってるかどうかチェックするもう一つの思考が働き出す感じがあります。

ここで起こっていることは、

「もう一つの思考が働き出す感じがあり」、そのことに気づきつつはあるのですが、その思考に同一化しているということです。

つまり、思考や五感(「いまここ」)を観察しはじめ、それに気づきはじめたところまではいいのですが、
「それがうまくいってるかどうかチェックするもうもう一つの思考が働き出す感じ」が起こりはじめると、
観察を忘れ、その新しくあらわれた、チェックする思考に同一化してしまっているということです。

その、「それがうまくいってるかどうかチェックするもうもう一つの思考」にさえも気づき、ただ観察することができるようになりたい、ということです。

> その、観察を誘導する思考は常には続けて、その観察誘導用の思考自体を観察することはなかなかうまく行かないという自覚があります。

すでにこの時点で、思考を操作しようとする思考との同一化が起こっています。

思考の内容は変えようとせず、思考を止めようともせず、ただ気づきます。

それがうまくいっているかどうかを気にする思考が現れても、それに気づき、思考の内容は変えようとせず、思考を止めようともせず、ただ、そのような思考が起こっていることを観察します。

> そんな思考は、ほっといていいでしょうか?

すべての思考を「ただ、ほうっておく」訓練をしています。

すべての思考を「ただ、ほうっておき、それでも、事態はそれほど悪くはならない」ということを、目撃したいのです。

思考はそのとき平井さんに、「うまくいっていないぞ(ノー!)」といっているのです。

そしてそれに巻き込まれ「うわー、うまくいっていないなんて、たいへんだ!」と同一化しているのです。
2013/02/16(土) 11:19:33 |URL|やまがみてるお #- [編集]
思考って狡猾ですね
やまがみさん、先日はメッセージにて返信くださりありがとうございました。

個人的なことだったので、メッセージにしましたが、他の方が書き込まれているコメントを読むと
私自身もとても参考になることがあり、コメントに書き込んだ方が、
他の方にとっても私自身にとってもプラスになることがわかったので、
これからはこちらに書き込ませて頂きたいと思います。

それぞれの方に起きることは、個人的なことでも
思考に同一化しているという意味では、個人的なことはないですね。

今回、平井ケンタさんのコメントとやまがみさんのReコメントがとても参考になりました。


実は私、人から何か誘われると断れないんです。
断りたいなと、どこかで感じていても、熱心に勧められると、
Noと言えなくて承諾してしまうのです。

その私の傾向自体には気づいていますが
いざ人から勧められると、Yesと承諾してしまうのです。

その結果、精神的にも物理的にもとても困った状況になるのです。


改めて、その状況を思い出してみても、完全に人に自分を明け渡している感じで
どんな思考が働いているのかさえ、わかりません。


ただ、そうして承諾した後は、「自分はやっぱりNoと言えない」というチェックする思考や
「どうしたらこの傾向を改めることが出来るんだろう?」という思考に同一化して

もうすでに記憶の中にしかない出来事をいつまでも考え
悩んだり落ち込んでいることがよくわかりました。


一見、状況の改善策を見出そうとしてる思考そのものが
悩みや苦しみの原因ですね。


自分はどうしてこうなんだろう?と考えていることが、
すでに思考と同一化している状態であり
そのことに気づく必要があるのだということが
よくわかりました。


私の場合で言えば、なぜ断れないんだろう?と、今この瞬間考えて、
未来に断れるようになる方法や答えを空想することでなく、
今この瞬間に思考と同一化していることに気づくことのみが唯一の正解なのかなと。


それをやまがみさんは、思い出したら気づくと言われているのだと思いますが、
思考に同一化していることと、思考に気づいていること、

今の私にとってはまだ非常に微妙な違いなので
そんなことに気づいた自分を認めながら、
また気づきを深めたいと思います。


本当に思考って狡猾というか手強いですね。
微妙なニュアンスで意識を絡め取っていきます。

ありがとうございました(*^。^*)
2013/02/16(土) 12:42:57 |URL|momo #SFo5/nok [編集]
やまがみさん…
懇切丁寧なアドバイス、私にかなり響きました。 ありがとうございます☆

知らず知らずたくさんの思考に巻き込まれながらも、思考観察を可能にする『クラッチ』装置が私の内部にも確かに存在することが理解され始めました。

これからマイペースでじっくり取り組んで行きますので、またよろしくお願いします(^^)合掌感謝
2013/02/16(土) 17:24:58 |URL|平井ケンタ #- [編集]
momoさんへ
ほんとうに、思考は狡猾ですよね。

だからこそ「ただ気づく」こと、思考していることを「思い出す」こと、が最初のステップになります。

お話を聞いていると、これまで何度も断れなかったことがあるようですので、
momoさん自身、すでに断りたいという自分の本音には、気づいているのですよね?

それでも断れない、ということなのでしょうか。

何かを頼まれたときには、おそらく、無意識に、
「嫌われたくない」や「好かれたい」という欲求に同一化し、つい「イエス」といってしまうのかもしれませんね。

思考を観察して、思考が起こっていないことに気づいているときや、
思考が起こっていることに気づいているときは、
思考からはなれています。

ですから、「いま何か考えているかな?」と思考を観察すると、
思考が起こっていないことに気づくか、起こっている思考に気づきますので、
観察すると、自然に思考からはなれるはずです。

ただ観察することを忘れ、思考と同一化しているのです。

ですから、四六時中、観察していると、つねに思考からはなれているはずです。

けれども、しばらくすると、観察を忘れるのです。

ですから、「思い出す」といういいかたもしているのです。
2013/02/17(日) 00:19:36 |URL|やまがみてるお #- [編集]
平井ケンタさんへ
そうですね、
大切なことは、マイペースです。

忘れてもオッケーです。それでも思い出したいだけだということを覚えておいてください。

「意識、意識、意識!」

「思い出す! 思い出す! 思い出す!」です。


思い出したら、前進です。自分を褒めてあげてください。

これを忘れると、

「やまがみに思考を観察をしろといわれたのに、また忘れたのか?」という思考に巻き込まれます(笑)
2013/02/17(日) 00:24:33 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさん、丁寧な返信をくださりありがとうございます。

もう一度、直近の断れなかった出来事を思い出してみました。


>momoさん自身、すでに断りたいという自分の本音には、気づいているのですよね?


相手の方から話があり、それがお誘いのお話だとわかってからは、
今の自分には余裕がない状況なので断りたいという気持ちがありました。

ただ、その時もまだ、お相手の方は話をしており、私はその話を聞きながら、
「どう言ったら納得してもらえるだろう?」「困ったなぁ」と考えていました。

一通り話が終わった後、「今、私はこういう状況なので、そのお話は無理だと思います」と告げたら、
その状況は誘われている方にとっては、アピールポイントだったらしく、
さらに話に熱が入って説明されました。

私は今の自分の状況を説明して断れなかった時点で、どうして良いかわからなくなり、
その時からはただ、相手の話を聞いているという感じでした。

そのうち話を聞いていると、良い話かもしれないと思うようになり、
お誘いを承諾したのですが、後で冷静に考えると、
話そのものは良い話かもしれないけれど、
今の自分にとっては負担が大きい話だと後悔したという感じです。

いつもこういう感じなのです。


>それでも断れない、ということなのでしょうか。

>何かを頼まれたときには、おそらく、無意識に、
「嫌われたくない」や「好かれたい」という欲求に同一化し、
 つい「イエス」といってしまうのかもしれませんね。


そうですね。

嫌われたくないというより、もっと卑屈な感じで、
許してほしいという欲求の方がピッタリきます。

他にも人と対応していると、相手を待たせてはいけないとか、
その場ですぐに対応しなければいけないというような緊張というか、
信念もあるみたいです。

こうして文章にしてみると、外側への対応と内側の観察が同時に出来なくて、
外側への対応に集中すると、同じパターンを繰り返してしまっている感じがしますので、
外側への対応に集中し始めていることに気づけたら、ちょっと深呼吸でもして、
内側への気づきを思い出すようにします。

今の私にはすごく難しいのですが、
慣れてきたら、外側への対応をしながら、
内側に気づき続けることは、容易になるのですか?
2013/02/17(日) 16:47:25 |URL|momo #SFo5/nok [編集]
momoさんへ
> 相手の方から話があり、それがお誘いのお話だとわかってからは、
> 今の自分には余裕がない状況なので断りたいという気持ちがありました。
> ただ、その時もまだ、お相手の方は話をしており、私はその話を聞きながら、
> 「どう言ったら納得してもらえるだろう?」「困ったなぁ」と考えていました。

この時点でmomoさんは、すでに「相手の人に納得してもらう必要がある」と感じているのかもしれませんが、
ほんとうは、「相手の人に納得してもらう」のではなく、「自分はどうなのか?」が問われているのだと思います。

> 私は今の自分の状況を説明して断れなかった時点で、どうして良いかわからなくなり、
> その時からはただ、相手の話を聞いているという感じでした。

ほんとうに断るためには、説明も必要なく、ただ「ノー!」と断ればいいだけなのです。

この「ノー!」と思考の「ノー!」の違いを、私たちは混同しています。

あるがままにゆだねるとは、強引なセールスマンの押しにゆだねることではありません。

あるがままにゆだねるとは、自分のほんとうの気持ちにゆだねることです。

この場合は、そんな「お誘いには、興味がない」ということを選択することです。

思考の「ノー!」は、すべての出来事に対して起こります。さらにこれによって、多くのことが混乱します。

このため、これに気づき、そこからはなれて私たちは生きたいのです。

思考からはなれて生きることができるようになると、

心の快/不快に気づくことができるようになります。

快は私たちを幸福に導き、不快は、私たちを不幸に導きます。

ですから、心の快を選び、不快を遠ざければ、おのずと幸せになります。

> 慣れてきたら、外側への対応をしながら、
> 内側に気づき続けることは、容易になるのですか?

内側に気づく(思考からはなれ、心の快/不快に対応する)だけで、ものごとはうまく進展するはずです。

快/不快を大切にしはじめると、momoさんを、そういうふうに扱うような人とも、自分の意思で会わないようになっていくからです。

2013/02/18(月) 12:23:41 |URL|やまがみてるお #- [編集]

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やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

 ご質問には、記事のなかで
 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

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