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やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

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「ことば」の錯覚から目覚めよう(1)

01-14(月)12時42分
こんにちは、やまがみてるおです。

ご訪問ありがとうございます。




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はじめてお越しの方は、「こちら」を見てね。




インターネットラジオfmGIG「開運ラジオ」を

お聴きくださいました、何人かのかたから、

感想をおうかがいし、とってもうれしく思いました。

お聴きくださいましたかた、聴き逃されたかたも、

ほんとうに、ありがとうございました。




*****




赤ちゃんがこの世界に誕生する瞬間を想像してみましょう。




およそ十か月にわたり、お母さんのお腹のなかで身体的に成長し、

誕生のときを迎えると、この世界へと誕生します。




子宮のなかの世界から、私たちの世界へ。




誕生後、私たちは五感をとおして世界を体験していきます。

五感をとおしてのみ、物理世界を感知するようになります。

五感のみが世界を感知するための(生きるための)、

私たちに与えられた触媒(道具)だからです。




両親、家族に抱きしめられたとき、

手をにぎってもらったとき、

世話をみてもらっているとき、

それらの感触とおして世界を体感します。




耳は世界の音を私たちに届け、

少しののちに目が見えるようになります。




世界の音を耳にし、

両親、家族、さまざまな人たちの姿、

世界の景色を目にし、それらとの関係や、

かかわりかたを徐々に学んでいくことになります。




しだいにことばをおぼえはじめます。




知的好奇心が芽生えると、

さまざまなものに対して起こる疑問を、

両親や家族など、

人生の先輩に尋ねるようになっていきます。




「これは何?」

「それは何?」

「じゃあ、あれは?」




質問を受けた両親、家族や人生の先輩たちは、

自分の知っていることを「唯一の真実」であるかのように教えます。




これまで伝えあってきたことは、

もしかしたら「唯一の真実」ではないのかもしれないのですが、

それを伝えている本人は「唯一の真実」であると信じているので、

ここに悪意はありません。




つまり「自分が真実であると信じている『誤り』」を、

私たちは長く、数百年、数千年、あるいはそれ以上にわたって、

疑うこともなく、伝え合っていた、ということなのです。




「これは何?」

「これは花よ」

「花って何?」

「植物の一種よ」

「植物って何?」

「植物とはね、種を植えると芽を出し、成長し、花をつけるの」

「じゃあ、種って何? 芽って何?・・・」




類人猿との共通の祖先から分離し、

人類の祖先が誕生のは、

およそ20万年まえといわれています。




その後、どこかで「ことば」を開発し、さまざまなものに名前をつけていきました。




世界に花が誕生したのは、およそ3億年まえであるといわれています。




3億年まえに世界に誕生したものを、

およそ20万年まえに現れた私たち人類が、

「花」と名づけ、その後そのように認識し、取り扱うようになりました。




2億9千9百80万年にわたって、名まえをもたなかった存在を―。




(私たちが共通認識している)花を、

「花」と呼んでいるのは、私たち人間だけなのです。




世界(宇宙)にとっては、それは「花」ではありません。

ではこの「花」という「ことば」「概念」は、どこにあるのでしょうか?




私たちの頭のなかだけです。




花を「花とはこういうものである」と共通認識しているのは、

私たち人類の頭のなかにある、概念レベルだけの話なのです。




世界には「花」という独立した部分、パーツは、存在していません。




20万年前に世界に現れた私たちだけが、

世界から小さな部分(私たちが花と呼ぶ部分)を取り出して、

認識し、それを「花」と呼び、

「それ以外の何ものでもない」と、錯覚して生きているのです。



くわしくは、

『「いまここ」にさとりを選択する生きかた』をご参照ください。



概念からの目覚めを体験しましょう。




*アマゾンのカスタマーレビューに

5名ものかたが、さっそく感想をお書きくださいました。


どちらのかたのレビューも力強いことばで、

著書をご紹介してくださっており、

強く勇気づけられました。


ほんとうに、ありがとうございます。


読んでくださったかたは、

カスタマーレビューにて応援いただけますとうれしいです。


どうぞよろしくお願いいたします♪


『「いまここ」にさとりを選択する生きかた』カスタマーレビューはこちら




*Information*

*「やまがみてるお&ユウ “意識の目覚め”トークセッション2013」開催!

◆日時:2013年1月19日(土)14時00分~17時00分 (13時45分受付開始)

◆会場:大阪 淀屋橋駅 徒歩5分 

◆参加代金:4500円

ユウさんは新年(2013年)より、

「意識の目覚め」を教育をとおしてお伝えするために、

新しいブログをはじめられました。

新しいブログはこちら

詳細はこちら

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*ワンクリック、応援おねがいします。

 みんなで世界観を転換しましょう♪

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コメント:

「いまここ」にさとりを選択する生きかた
やまがみ 様

「いまここ」にさとりを選択する生きかた
 早速読まさせて頂きました。
 横浜でもたくさん並んでいました。
 ご成功 ご発展を期待しております。
2013/01/14(月) 14:12:33 |URL|kky #- [編集]
やまがみさん、実践中なのですが、質問させてください。やまがみさんが最初の一瞥から定着するまでの3ヵ月間、常に後頭部に何かを感じながら日常生活をされていたでしょうか?

一日の反復訓練は起きている間中ほとんどずっと(たとえば10時間とか)気づき続けておられましたか?

シャンプーで頭を洗っている時はどう感じておられるのでしょうか?
2013/01/14(月) 15:19:00 |URL|nobody #- [編集]
「気付き続けること」を今実践しています。
…が、なかなか難しいです。
すぐ無意識の思考に戻ってしまう。

一人でいるときは結構出来てると思うんですが、人と一緒だと引っ張られちゃいますねー(´・ω・`)

とりあえずこのまま頑張ってみます!
2013/01/14(月) 16:56:57 |URL|華月 #- [編集]
kkyさんへ
こんにちは。

kkyさんは、横浜にお住まいなのですね。
すぐには行くことのできない書店でも、
本を販売していただいていることを思うと、
ほんとうにうれしく思います。

そういう話をうかがえたこともまた、うれしいです。

これからも精いっぱい、意識の目覚めをお伝えしていきますね。

情報、ありがとうございました。
2013/01/14(月) 22:42:04 |URL|やまがみてるお #- [編集]
nobodyさんへ
こんにちは。

おそらく、nobadyさんが思われているよりも、忘れていたはずだと思います。

というのも、最初は、忘れる習慣が身についており、そちら側が優勢だからです。

> 一日の反復訓練は起きている間中ほとんどずっと(たとえば10時間とか)気づき続けておられましたか?

ですから、最初のうちは、「意識するぞ」と注意していても、すぐに忘れ、しばらくして「思い出す」、
そしてまたすぐにわすれ、しばらくしたら、「思い出す」、というようなことをくりかえしていったと思います。

けれども、こういうことをあきらめずにずっとつづけていくと、やがて、忘れる回数とその忘れている時間がしだいに少なくなっていきます。

逆にいうと、思い出す回数と、思い出している時間(思考が意識されている時間)が、しだいに長くなっていきます。

いつ定着するかわかりませんし、思考は、私たちをだましつづけたいわけですので、何度もあきらめるよう、定着なんてするはずはない、というメッセージを送ってきます。

それにも負けずに観察をつづけると、やがて習慣が逆転します。


後頭部について、

> やまがみさん、実践中なのですが、質問させてください。やまがみさんが最初の一瞥から定着するまでの3ヵ月間、常に後頭部に何かを感じながら日常生活をされていたでしょうか?

後頭部に何を感じておられるのかが、よくわからないのですが、もう少し説明いただけるでしょうか。
説明いただいても、わからないこともあるかもしれませんが・・・。

後頭部から、気づいているというような感覚なのでしょうか?


> シャンプーで頭を洗っている時はどう感じておられるのでしょうか?

シャンプー中についても、意識しているほうがいいのでしょうが、定着までの3ヶ月においては、私の場合はそれほど意識はしなかったように思います。

いまでは、入浴中も、シャンプー中も、あまり無意識になることはありませんが。

シャンプーも、後頭部の感覚に関係があるのでしょうか?
2013/01/14(月) 22:54:41 |URL|やまがみてるお #- [編集]
華月さんへ
> 「気付き続けること」を今実践しています。
> …が、なかなか難しいです。
> すぐ無意識の思考に戻ってしまう。

華月さん、まったくオッケーです!

難しいと感じるのは、当然のことですから。

さて、「すぐに無意識の思考に戻ってしまう」とおっしゃられているということは、
どれくらいの時間のあとでかはわかりませんが、華月さんは、自分がそれまで
「無意識の思考に戻っていた」ことに「気づいた」ということです。

これはどういうことかというと、一度古い習慣に巻き込まれたけれども、
「意識する」という新しい習慣のための「気づき」が起こったということになります。

古い習慣とともに生きていたときは、「思い出す」ことは一度もありませんでした。

いまは「思い出しました」

これが前進なのです。

「…が、なかなか難しいです」という「思考」に気づき、

そんな「思考」は気にせずに、その調子で観察をつづけてくださいね。
2013/01/14(月) 23:01:21 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさんこんばんは^^丁寧にご返信くださりありがとうございます。

(気づき続ける時間に一定基準があるというよりも)思い出し続けることによって主従逆転のシーソーが傾いていくわけですね^^ありがとうございます。

後頭部なんですけどね、見ていることに気づいている存在に意識を向けて体験の主体を発見しようとすると、私の場合「後頭部がムズムズ」するのです。その状態を保ちながら観察を続けるのかと思い込んでいました^^;
シャンプーのことは、お風呂中はなぜか思考が活発になりまして、体験の主体の発見もやりにくかったので聞いてみました^^

とするとやまがみさんは定着までの間に、体験の主体を意識している時、肉体の一部の部位に「感覚」の変化などはまったくなかったんでしょうか?
2013/01/15(火) 00:14:52 |URL|nobody #noRfYm1U [編集]
nobodyさんへ
> とするとやまがみさんは定着までの間に、体験の主体を意識している時、肉体の一部の部位に「感覚」の変化などはまったくなかったんでしょうか?

私の場合は、うつ状態が非常にひどいときに、思考に気づくことができると理解し、観察をはじめたからか、
思考に気づいているときには、うつ状態から開放されて楽になり、無意識になるとうつに苦しめられるというような状態がつづいたと思います。

このため、思考に気づき、うつから開放されるとそれだけで非常に精神状態が安定しますので、身体的な変化があったかもしれませんが、それどころではなく、変化に気づかなかった可能性もあります。

もしかしたらnobodyさんの「後頭部のムズムズ」は、つねに起こっており、無意識のときには気づかれておらず、意識化したときに気づく、というようなことが起こってはいませんでしょうか。

私たちは、緊張状態におちいっているときには、無意識に体が緊張しているものです。

意識化したときに、それは気づかれ、緩めることができるようになります。

「後頭部のムズムズ」が、無意識の緊張からきているものであり、日常的に起こっているのですが、気づかれておらず、意識化したときにのみ、意識にのぼる、という可能性があるのではないかと思ったのですが。
2013/01/15(火) 00:53:45 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさんありがとうございます。身体感覚の変化はあったかもしれないということですね。

私は無意識時に後頭部のムズムズが日常的に起こっているのかどうかまったく今まで自覚がありませんでした。その可能性について今振り返ってみても思いつきません。えみさんのおっしゃっていた「体の信号」かも知れないということですよね。その可能性もありますね。だとすると、無意識に常に緊張している…そう考えるとちょっと怖くなってきました。

私が後頭部がムズムズする理由として思っていたのは、やまがみさんのご著書の図解どおりに目の奥に位置する後頭部に「意識の焦点が移動するような感覚」と言うんでしょうか、仏像の「半眼(はんがん)」になるような感覚があるのです。その時目の前のものがぼんやりしてよく見えなくもなるのです。

体験の主体の最初の一瞥ではないかと感じた時に、後頭部にぽっかりと円形の穴が開いたように感じたものですから、後頭部に意識の焦点をあてて体験の主体を再発見しようとしておりました。体験の主体を何も意識しなければ(無意識なら)ムズムズも全く感じません。

思考に気づく。そして気づいた存在に意識を向けるその瞬間に、後頭部がムズムズします。若干眼球が動くような気もします。
2013/01/15(火) 01:17:13 |URL|nobody #noRfYm1U [編集]
乱入すみません(*_*)

私もnobodyさんのように後頭部にムズムズというか、後頭部に意識があるような感じがあります。

自己観察をしているときはその後頭部の意識から世界を見ている感じ…。

私の場合は、頭の前の方に思考があって、それを後ろの意識から見ている感覚です。

言葉にするのって難しい(・_・;

その後ろから見ている感覚になると、思考が消えてしまいます。
これでいいのかな…?と思いながらやっております…
思考に気付い時点でその観察対象がなくなっちゃうんです。
2013/01/15(火) 11:40:27 |URL|華月 #- [編集]
ひょっとしたら…ですが
nobodyさん、やまがみさん

これは、私の想像なのですが。
ひょっとして、nobodyさんは瞑想を習ったり、瞑想をした経験が少ないのではないでしょうか?

瞑想の定義は、人によって様々あるとは思いますが。
瞑想で何をしているかと言うと、注意力と集中力を自分自身の内に向ける事を、意識して行っているのですよね。
この観点から言えば「思考を観察する」は、立派な瞑想です。

今まで、注意力と集中力を自分の外の世界にしか使っていなかった人が、その力を自分の内の世界に向けて使うと、
そういう感覚(ムズムズ感)を感じると表現された方を数名知っています。

試しに、後頭部側から観ているのではなく、顔の真正面から観ている様なイメージに変えると、今度は額の周辺がムズムズするかもしれません。
(今、外の世界を見ている視点をグルリと回転させて、向き合っているイメージで自分の内を観る感じです。)
もしそうだとしたら、人間の自然な反応ですので(慣れの問題ですので)心配することは無いと思います。

華月さんの場合は…私からよりも、やまがみさんからのレスの方が何倍も嬉しい内容になると思いますので、止めておきますね。(^^)
(月曜日の華月さんのコメントと、やまがみさんのレスは、勉強&励みになりました! ^_^)
2013/01/15(火) 12:49:23 |URL|光龍 #- [編集]
nobodyさんへ
こんにちは。

光龍さんがお教えくださったこともあり、少し調べてみますと、
瞑想をはじめられたかたに、眉間や後頭部にムズムズと感じることがまれにあることがわかりました。

ただ、インターネットで調べた場合、その情報の出所の信憑性に疑問が残ります(ただやみくもに信じるわけにはいきません)ので、そのなかで、一番参考になりそうなものは、宝彩有菜さんの情報ではないかと思いました。

宝彩さんは、瞑想中には、思考以前のもの(潜在意識下の思考)も、自然に整理されていると語り、それをキャッシュメモリーと呼ばれているようです。

宝彩さんは、生徒さんからの成長を報告するメールの返信で、つぎのように語っています。

「キャッシュメモリーが全部片付いて、当面の課題も無い状態になると、マインドは超リラックスしますから、エクスタシーを感じる準備が整ってきたのかもしれませんね。頭頂がむずむずする、額がスースーする、これらは、それの前兆であることが多いですね。でも、「そら、来た」とか「思う」と、すっと消えたりしますから、放っておくことです」

放っておくというのは、これに対しても、「思考せず」、思考とおなじように対処するということですね。

記事は、こちらです。
http://homepage3.nifty.com/hosai/mail-q-a/meisou-99-28.htm

> えみさんのおっしゃっていた「体の信号」かも知れないということですよね。その可能性もありますね。だとすると、無意識に常に緊張している…そう考えるとちょっと怖くなってきました。

そうだとしても、私はあまり気にする必要なないと思っています。
私も、いまだに、気がつくと肩が緊張していたり、眉間に力が入っているというようなことが起こります。

大切なことはそれに気づき、その(思考以前のもの、潜在意識下の思考の)虚偽に気づくことです。

気づくと開放されますので。

しばらく観察して、また体験をお教えください。
2013/01/15(火) 15:00:19 |URL|やまがみてるお #- [編集]
華月さんへ
華月さんも、nobodyさんとおなじように、
思考を観察されると、後頭部がムズムズというか、
いつもとは違う感覚を感じられるのですね。

nobodyさんへの返信でお書きしましたとおり、
宝彩有菜さんのアドバイスが一番信頼にたるのではないかと思いました。

記事は、こちらです。
http://homepage3.nifty.com/hosai/mail-q-a/meisou-99-28.htm

> 自己観察をしているときはその後頭部の意識から世界を見ている感じ…。
> 私の場合は、頭の前の方に思考があって、それを後ろの意識から見ている感覚です。

その状態で思考を観察して、大丈夫なはずです。

思考の観察になれ、思考からはなれた意識状態に慣れ親しんでいくと、
長い時間ののちに、やがて私たちは、この体にさえ、拘束されていないという感覚を感じるようになります。

これは、幽体離脱とかと、語られていることだと思います。

ことばにしたり、知的に理解することはできませんが、
これは体験的に、「そうだ」と感じることによって、しだいに確信されていきます。

新しい存在状態に慣れていくようなものです。

これまでの意識状態から、そういう新しい意識状態を体験されていますので、
若干、おどろいているのだと思います。

> その後ろから見ている感覚になると、思考が消えてしまいます。
> これでいいのかな…?と思いながらやっております…
> 思考に気付い時点でその観察対象がなくなっちゃうんです。

これが、「ノーマインド」の状態ですので、その状態で、思考を見張りつづけると、
ほとんど思考が起こらないことを体験されるはずです。
2013/01/15(火) 15:15:21 |URL|やまがみてるお #- [編集]
光龍さんへ
こんにちは。
情報提供、ありがとうございました。
けっこう、そういう体験をされているかたがおられるようですね。

私自身で解決できないことも、光龍さんのように情報を提供してくださるかたがあると
解決できることもあり、ほんとうに助かっています。

> 試しに、後頭部側から観ているのではなく、顔の真正面から観ている様なイメージに変えると、今度は額の周辺がムズムズするかもしれません。
> (今、外の世界を見ている視点をグルリと回転させて、向き合っているイメージで自分の内を観る感じです。)

これは、私自身も試してみようと思いました。
意識の場所は、どこにも固定されていないはずですので、
意識が普遍であることの確認になるのではないかと思いました。

PS.光龍さんのカスタマーレビュー、ほんとうにうれしかったです。
本の内容を端的に表現してくださっており、
はじめて本の販売ページを訪れてくださったかたにも全体像をわかりやすく提示していただけました。
「思考観察」をじっさいにはじめられている感想や、絵に対する感想も、とってもうれしかったです。
2013/01/15(火) 15:29:02 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさん、わざわざ調べてくださってありがとうございます^^
華月さん、光龍さん初めまして^^貴重なご意見をありがとうございます。

光龍さんのおっしゃるとおり、私は瞑想を習ったこともやったことも一度もないため、この「ムズムズ」が初めての感覚なんです^^;

やまがみさんの確認くださった記事も注意して読ませていただきました。
ですがやまがみさん、その上でもう少しだけ発言させてください。

剣術の教えで「残心(ざんしん)」と「捧心(ぼうしん)」について読んだことがあるのですが、
捧心の捧ぼうは「ささげる」という字で、捧心の意味は「心を対象物に向けること」です。対象物に意識が「着く」ことを意味します。

対して残心はそのままで心が残っている状態。「水面が無心に月の姿を写しているような状態」と言われています。古流から現代剣道に至るまでにこの残心の解釈は意見が別れるのですが、
「無心に写すがゆえに(対象物に)こだわらず、離れた状態」と唯心一刀流の伝書に記されています。

私はこの体験の主体の定着を「残心の定着」と同じことではないのかと何となく感じるようになりました。

私が最初の一瞥を感じたのがほんの三日前のことになりますので、確かなことは何もわからないのですが、「思考に気づいている存在」または「見ていることに気づいている存在」の体験の主体を探すと、どうしても後頭部の一定範囲をふわふわと浮遊するような感覚が付きまとうのです。それどころか今日の感覚では意識が後頭部に「座る」ようにぴったりとした感覚も生まれつつあります。光龍さんのおっしゃるグルリ回転する見方を試しても後頭部に意識が座る感覚は変わりませんでした。

その時同時に、目が閉じかかり「半眼」を体が欲しているようなのです。目を開いた状態で何かを見ている時に、「半眼」になると意識の焦点が前方から後方へすーっと後頭部まで引き下がる感覚が発生します。

半眼⇒残心

という流れがどうしても気になっています。

思考に気づいている存在の位置が肉体の一箇所に特定できるかどうかの自信はまったくないのですが、少なくとも見ることに気づいている存在から体験の主体を探す場合、脳内のどこかに意識の焦点が統合される視覚の中枢点があるような気がしてならないのです。

やまがみさんにこの件でこれ以上お手間をかけるつもりはないのですが、私なりにもう少し後頭部のことを観察してみます。

華月さんのおっしゃる「後ろから見ている感じ、思考は前」という感覚が私には非常に共感できました。
華月さん、光龍さん、やまがみさんありがとうございました^^
2013/01/15(火) 23:09:30 |URL|nobody #noRfYm1U [編集]
nobodyさんへ
こんにちは。

> 剣術の教えで「残心(ざんしん)」と「捧心(ぼうしん)」について読んだことがあるのですが、
> 捧心の捧ぼうは「ささげる」という字で、捧心の意味は「心を対象物に向けること」です。対象物に意識が「着く」ことを意味します。
>
> 対して残心はそのままで心が残っている状態。「水面が無心に月の姿を写しているような状態」と言われています。古流から現代剣道に至るまでにこの残心の解釈は意見が別れるのですが、
> 「無心に写すがゆえに(対象物に)こだわらず、離れた状態」と唯心一刀流の伝書に記されています。

nobodyさんのおっしゃられるように、体験の主体と、残心の定着はおなじことをいっているのかもしれませんね。

> やまがみさんにこの件でこれ以上お手間をかけるつもりはないのですが、私なりにもう少し後頭部のことを観察してみます。

私にはあまり体験のないことなのですが、おなじような体験をされているかたが、もっといらっしゃるのかもしれませんね。

後頭部の観察でまた何か気づいたら、お教えくださいね。

2013/01/17(木) 18:02:20 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさん
こんばんは^^
後頭部のことはもっと観察してからもちろん全てご報告させてください。

恐縮ですがまた質問させてください。
この質問は「今のやまがみさん」の感覚についてです。

「電波とラジオ」の関係を「思考と体験の主体」に置き換えるとすると、思考のキャッチはどこでなされているとお感じになってますか?聴覚中枢や視覚中枢としての脳内に感じませんか?
2013/01/18(金) 01:31:45 |URL|nobody #noRfYm1U [編集]
nobodyさんへ
「電波とラジオ(受信機)」の関係から、

「思考」を「電波」、「体験の主体」を「ラジオ(受信機)」にたとえてということですね。

> 「電波とラジオ」の関係を「思考と体験の主体」に置き換えるとすると、思考のキャッチはどこでなされているとお感じになってますか?聴覚中枢や視覚中枢としての脳内に感じませんか?

じつは私は、「体験の主体」が定着した矢先は、そのように感じていました。

脳内の、中心にです。

ブログをはじめた当初、私はこれをお伝えするために「意識の中心」ということばを使っていました。

私たちには「意識の中心」があり、この「意識の中心」から思考や感情、体、出来事を観察すると、すべてがうまくいくことを体験する、と。

けれどもそのあと2~3年かけて、ゆっくりと、この感覚が薄れていくというような感覚を経験しました。

それは長い時間をかけてゆっくりと起こりました。

それまでは、体の内部、頭の内部から、世界を体験していたのですが、思考からはなれた意識状態で生きていると、しだいに、思考からはなれた意識、すなわち「体験の主体」は、この体に束縛されていないと感じるようになりました。

そう感じるにつれて、「体験の主体」は、私の体のなかに存在しているという感覚から、宇宙全体にあまねく偏在していると感じるようになりました。

いまではそういう偏在の感覚から、「この体」を生きていますので、思考が起こったときも、偏在の感覚から、それを体験しています。

このような体験をしたため、「意識の中心」ということばは、この感覚にふさわしくないと感じるようになり、その後は使わず、いまでは「体験の主体」と呼んでいます。
2013/01/18(金) 02:06:00 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさん
やまがみさん、こんばんは^^本当にいつも丁寧にご回答いただきありがとうございます。
「意識の中心」の記事を改めて全て読み直しました。

では「体験の主体」とは『遍在』であり、思考の受信も『遍在』で起きると今は認識していらっしゃるものの、定着の矢先までは脳内の中心にて思考を観察されていたということですね。そして思考観察を始めてから定着するまでの間は脳内や肉体の一部に感覚的な変化があった可能性もないとは言えない。

よくわかりました。このまま観察を続けます。つとむさんのおっしゃるイヤホンとラジオの気づきや華月さんのおっしゃる後頭部の意識の話が気になっていましたので伺いました。ありがとうございました^^
2013/01/19(土) 00:37:55 |URL|nobody #noRfYm1U [編集]
nobody さんへ
こちらこそ、いつもありがとうござます。

> では「体験の主体」とは『遍在』であり、思考の受信も『遍在』で起きると今は認識していらっしゃるものの、定着の矢先までは脳内の中心にて思考を観察されていたということですね。そして思考観察を始めてから定着するまでの間は脳内や肉体の一部に感覚的な変化があった可能性もないとは言えない。

おそらくこういう変化も、もっと記録しておくべきことなのかもしれませんが、その当時の私にはこの価値がわかりませんでした。

私の場合は、当時重度のうつ状態であったこともあるのだと思いますが、とくに体感覚が希薄に感じられており、生きているという感覚も薄いところにそういう体験をしました。

このためか、記憶があまり定かではありませんことをご了承ください。

> よくわかりました。このまま観察を続けます。つとむさんのおっしゃるイヤホンとラジオの気づきや華月さんのおっしゃる後頭部の意識の話が気になっていましたので伺いました。

イヤホンとラジオの関係は伝わりやすい表現かもしれませんので、もっと試していただく価値があるかもしれませんね。
2013/01/20(日) 15:16:38 |URL|やまがみてるお #- [編集]

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やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

 ご質問には、記事のなかで
 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

著書

『スターピープル vol.56』より、連載がスタート!

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