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やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

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さおっちさんの「思考の観察記録」

12-21(金)12時47分
*Information*

「意識の目覚め」をお伝えするコラボ・トークセッションを開催します。

「やまがみてるお&ユウ “意識の目覚め”トークセッション2013」

◆日時:2013年1月19日(土)14時00分~17時00分 (13時45分受付開始)

◆会場:大阪 淀屋橋駅 徒歩5分 

◆参加代金:4500円

詳細はこちら

お申し込みはこちら




こんにちは、やまがみてるおです。

ご訪問ありがとうございます。




*ブログランキング、応援お願します♪

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はじめてお越しの方は、「こちら」を見てね。




2012年12月9日の記事で、

5ヶ月ほどまえより、思考の観察をはじめられ

ご自身のブログで観察記録をされている方をご紹介しました。




ご本人さんの許可が得られましたので、ご紹介します。




さおっちさんです。




さおっちさんは、2012年4月24日(4月20日の記事)に

はじめてコメントをくださいました。




さおっちさんは、自分のブログをはじめられたことや、

思考の観察をはじめられて感じるようになった、

質問や感想を、ときどき私のブログのコメント欄にて、

書いてくださるようになりました。




5月1日(4月30日の記事)のコメントでは、よく質問される不安、

さおっちさんの場合は、「会話中にはよく忘れる」ということを打ち明けられています。




5月13日(5月10日の記事)には、つぎのように書かれています。

(この日の記事のテーマは「自我をあきらめること」)




*****

私(自我)をあきらめる・・・

そうですね。

最近わかりはじめてきました。

以前は自我を観念を消していかないと真我には到達しないと思っていました。




そして自我、観念を浄化していくと

ストレスや問題も消えてなくなるとそう思っていました。




でもそういうことではなくて、

問題が起きてもその問題にエネルギーを注がなくなるということでしょうか?

その問題が気にならなくなってどうにかしようという気持ちがなくなるといか・・・

最近そんなふうに思います。

何が起きても大丈夫な自分というか、ブレないでいられる自分といか・・・

*****




そのとおりです。

ここで、さおっちさんも、おっしゃられているとおり、

思考を観察し、思考からはなれた意識でいることができるようになると、

私たちは、思考に翻弄されない、ブレない自分でいられるようになっていきます。




そこから、さおっちさんの「思考観察記録」がはじまります。

「思考の観察~1週間後の途中経過」 (2012.05.19)

「思考の観察~2ヶ月経過」 (2012.07.04)

「思考観察~2ヶ月から3ヶ月の経過過程」 (2012.7~9?〔記事は、9.16〕)

「思考観察~4ヶ月の経過過程」 (2012.10.7)
 ↑
(4ヶ月も経つと、おどろくような変化があらわれていますね。
 3~4ヶ月で、起こるといってもいいのかもしれません)

「思考観察~5ヶ月の経過過程」(2012.11.24)

2012年11月末の時点で、5ヶ月目です。




「思考観察~5ヶ月の経過過程」のコメント欄にて

さおっちさんは、つぎのように書いています。




*****

どうやらようやくエゴに翻弄されることがなくなってきました。

長いこと、どうして人生がうまくいかないのかわからなかったのですが、

思考を観察してからあっという間にわかってしまいました。

*****



この半年を、「あっという間」と

表現しておられることに注目していただきたいと思います。




「あっという間」に感じる、半年間の努力で、

「長いことうまくいっていなかった人生」の謎が解けるということなのです。




私のコメントに対する、

さおっちさんの返信の一文が、

思考観察に、つまづいておられる、

たくさんの方の覚悟、決意に貢献できると幸いです。

(何度もお話しているとおり、

 習慣化されるまでのこの努力だけが必要なのです)




*****

本当に

ただただ自分の思考を淡々と観察していく、

それだけなんですね。




そして本当の自分の気持ち、

本当は自分はどうしたいのか、

を知らないもんなんだなと思いました。




まだまだ長い旅の途中ですが、

やっと人生は楽しいって思えるようになりました。




遅咲きですね(汗)




>ああ、本当に楽しみな時代になってきました。




私もほんとうにそう思います。

*****




さおっちさんは冗談で「遅咲き」と表現されていますが、

(これも思考の判断にすぎませんので・・・)

私は「遅咲き」は存在しないことをここでお伝えしておきます。




なぜなら、これから先を生きる人生で、

もっとも若い瞬間、それが「いまここ」の私たちだからです。




だからこそ、

「何かをはじめるのに、『遅すぎる』ということはない」

といわれているのです。




さて、ここからは、私が説明するよりも、

あとはみなさんが、半年後

(じっさいには3~4ヶ月で体感されるようになるとは思いますが)

に体験されることがもっともいい理解の方法だと思います。




それは、確かに「つまらないこと」に感じられるでしょう。

なぜなら、思考は考えることによってのみ、存在できるからです。

それは思考にとっての、存在意義を捨てることなのですから。




それでも、これに意識を投入することのできた人は

おどろくようなことを体験されるでしょう。

その後、人生が一変するのですから。




2013年、この記事を読んだ人のなかから、

どれくらいの方が「意識の目覚め」を体験することになるのか、

楽しみでなりません。




悟りの時代は訪れています。




悟りは、選ばれた人だけに起こることではありません。

思考をつねに淡々と観察することによって、

その虚偽を自分の目(意識)で、あばいた人のもとに起こるのです。




*さおっちさんのブログ「本当の自分」はこちら



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コメント:

こんにちは。
こんにちは。
ご紹介していただき恐縮です。
こうやって改めてまとめて下さったのを拝見すると感慨深いです。
思考観察を始めて一番苦しかった2~3ヶ月は、自我が暴れ馬のように感じられました。

でもその都度やまがみさんに質問させていただいて、丁寧にお答えいただいたことを大変嬉しく思いました。がんばろうとういう力に変えることができました。
まだまだこれだけはゆずれない!!と自我が出てくることがありますが、今ではやっと鎖をつけて手なずけてるペットのようになりました。

思考観察をされていて、今つまずいておられる方がいらっしゃるとしたら、、、
ただひたすら観察していくだけです。
質問もいりません。
ワークもいりません。
上手くいかないと自分を責めることもいりません。
ただただほんとうに、そんな瞬間さえ観察していく・・・
それが一番の早道のような気がします。
きっとすぐ開けてきますから。
大丈夫です。
そんなことをお伝えしたいです。

やまがみさん ありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いします♪



2012/12/22(土) 19:52:10 |URL|さおっち #- [編集]
やまがみさん、こんばんは、ガジュ丸です。

さおっちさんのブログ拝見しました。
素晴らしきことが進行しています。
おふたりに、そしておふたりの<開いて行く>姿勢に感謝します。
大切で貴重なことだと思います。

私は田舎に暮らしています。
今日は土曜日で(多分そうですよね?自信が持てず今カレンダーで確認しました。OK!)、昼間かなり長い時間外で過ごしました。
たっぷり厚着をして(笑)

宇宙の果てまで続く青い空、青を背景に踊り続ける白い雲、静かな冬の山、鳥たちを優しく受け止める樹々、風に乗って気持ちよさそうに弧を描く鳶(とび)、小さな小さなスズメ、柿をくわえて嬉しそうにどこかへ飛んで行くカラス、ひよどり、青さぎ、たくさんの名も知らぬ小鳥たち、銀色にきらめく川、川で遊ぶ水鳥、いろいろな色と形の植物たち・・・。

ズーッと見てました。
鳴き声を聞いていました。
気持ちが良いので、あまり自我(エゴ)の出番はなかったですね。

普通なら晩酌を始める遅い時間に瞑想を始めました。
そしたら、なんと、会話が始まりました???

ただ、今夜の会話は、いつもの脳内一人芝居とは、少し趣きが違いました。
「私」とおぼしき登場人物が、自我(エゴと言う名のわが友)に話しかけます。
自我はめずらしく黙って聞き役です。

「君はもうじゅうぶん頑張った。長い間良くやった。だから少しゆっくりしたらいい。」

「君も本当は、あの鳥たちのようにのびのびと大空を飛びたいんだろ?肩の力を抜いて気持ちよく風に乗りたいし、思いっきり歌いたいんだろ?今まで悲しい気持ちで閉じてた心を開いて、<すべて>を感じたいんだろ?」

「現実で何とかうまくやっていくために、一杯ブレーキを踏み続け、たくさんブロックして、閉じて閉じて、きっと辛かったよね。でももう力を抜いていいよ。そして君がほんとうに好きな在り方、心の奥深いところでいつも望んでた存在の仕方を<今>選んでいいんだよ。君がそれを選んでも何にも心配いらない。君と僕は今までもずっと一緒だったし、これからもずっと一緒にやって行く。だからすべてOKだよ。」

怠け者の私は、たくさんサボりながら、それでも22年間瞑想を続けてきました。
こんな会話は、初めてのことです。

やがて呼吸が乱れ、いつもと違う感覚となったので、途中で瞑想から離れました。(こういうことも珍しいですね。)

うーん・・・、
「自我」は今まで良く頑張って来た僕の良き友達、愛すべきパートナー。
でも今とても苦しんでいる。
自我(自分、エゴ)が話しかける僕と離れて、自分自身で考える時間を必要としている。

今夜はこう感じました。

やまがみさんのこのブログに出会って10日経ちました。
指折り数えました。
時間感覚がすこしおかしい。

今日は主語が「私」と「僕」の間でブレてます。
59歳の私としては、口語ならまだしも、こういう文章で久々の「僕」の登場は愉快です。
文体も内容も、「私」が「僕」だった頃に戻ってて不思議な感じです。

<じゅうぶん頑張った。>、<長い間良くやった。>、<悲しい気持ち>、<閉じてた心>、<一杯ブレーキを踏み続け>、<たくさんブロックして>、<閉じて閉じて>、<きっと辛かったよね。>

こういう言葉は、僕が29年間地方都市で零細企業を経営していることと関係していると思います。
いろいろありますから。

そして20歳の頃、3歳上の兄が交通事故で突然いなくなり、その事実が自分の手にあまり、心の中に閉じ込めてしまったこととも関係していると思います。

あす日曜日の天気はどうなんでしょうね?
いい天気なら、また今日のように、自然と自我と僕とで遊んでみたい。
雨や雪もいいですね。
瞑想も楽しみです。

やまがみさんに感謝の気持ちをこめてご報告です。


2012/12/23(日) 00:48:33 |URL|ガジュ丸 #- [編集]
静かなる愛
思考を観察すると、どうして本来の意識が目覚めるのか。自分なりに考えてみようと思いました。
何でそんな事をしようとしたかと言うと、どうしても、観察に対して冷たさを感じてしまうんですね。自分は。(^^;)
血が通ってない感じがするし、感情も動かない。(感情が動いたら、観察じゃないし。笑)

そう考えていたら、思考からお返事が来ました。(笑)
-------------------------------
思考を観察して、思考に気付くということは、思考の内容にも気付いているということ。
つまり、思考を認めているということ。。。
否定も肯定もしないで、その存在をただ存在させている、ということ。
-------------------------------
…だそうで。

「へぇー、そうなんだ」と、それを感じながら思考を観察してみたら、静かなる愛を感じました。
この感覚は、とても懐かしい。(^^)
思考を観察するということに、思考は愛を感じているのでは?と、私には感じられました。

思考を観察するときは、否定も肯定もしないし。
思考を詮索したり、無視したりもしない。
ただそこに在ることを、ただ静かに気付いている。
それに気付いた時、自然とハートが開いたみたいです。(笑)

話しは変わりますが、さおっちさんのブログ、読ませていただきました。
心情や感覚の変化が、リアルに伝わって来ますねぇ。
思考を観察し続ける際の苦労なども、痛いほど分かります。
(私はそれで、一旦辞めてしまいましたからねぇ~。^^;)

やまがみさんと、さおっちさんのブログから、継続する決意と勇気を頂きました。(^^)
2012/12/23(日) 11:23:34 |URL|光龍 #- [編集]
やまがみさん、こんにちは、ガジュ丸です。
連続の投稿でお騒がせします。

どんでん返しかもしれません。(笑)

今朝目覚めてすぐ、
「ん? きのう昼間の意識状態や、夜の瞑想はどうなんだろう?」、
「ちょっとおかしくないか? 矛盾してないか?」
との疑問が沸いて来ました。

<「自我」ではないと「私」が感じる存在が(すなわち誰だか不明なキャラクターとしての「私」が)、「自我」とおぼしき存在に、昨日の投稿のように「語りかける」???>

「語りかける」という行為は、「思考活動」じゃないか?
だとしたら、これは抵抗する自我の巧妙なトラップじゃないのか?

目覚めた瞬間に、こういう「思い」が登場しました。
普通の場合、この「思い」の主体は「自我」とみなされ、「眠っている間も自我は、いろいろ頑張ってるんだ・・・。」となるのでしょうが、今朝の場合は、目覚めと完全に同時だったので、それが「自我」だったのか、そうでなかったのか自信を持てません。

ただ昨夜瞑想中の「語りかけ」は、通常の言語というよりも、言語化される以前の何か特殊な「想念」(言葉ではないもの)によりなされていたようにも感じます。

これを書きながら、ふと気付いたことがあります。実況中継ですね。(笑)

この「語りかけ」、この「想念」は、自分が長く親しみ、やまがみさんも以前2年間実践された、TMシディの「スートラ」を意識の中で唱えている感覚に似ています。

また、瞑想の中で「スートラ」を唱えている時、自分の場合は、スートラの周囲(?)を、やはり言語のような、言語でないような、言語化される以前の「想念」、「意図」とでも呼べば良いようなものが訪れるのですが、昨夜の「語りかけ」は、この「想念」が行っていたようにも感じます。

ここで仮に「想念」と呼んでいるものを、言葉で説明するのはむつかしいことです。
でも必要なことと感じるので、挑戦してみます。

(1) 例えば、仕事が忙しく半年ぶりに瞑想する場合、TM(マントラ瞑想)の時は「ワオ、やっぱり雑念が多いわ!」と微笑している(気付いている)「想い」。

(2) 同じくTMシディ(スートラ瞑想)の時、「うん、やっぱり重いわ。」、「長いこと座ってなかったから、つまんない思考や感情やストレスをいっぱい溜め込んで、ヒュー、おもい、想い、思い、重いわな!」とやはり笑っている(気付いている)「想い」。

(3) 「想念」は、小さな「気づき」である。

(4) ?????

やはり、うまく描写できません。(笑)

私は20年以上、休み休みではありますが、それでも自分なりに真剣に瞑想をやって来ました。
その慣れ親しんだ瞑想が、10日前やまがみさんのブログに出会い、<「意識」と「思考」の識別、思考の観照、そしてその状態の定着>を試みたことで、激変しました。

もちろん私は、この変化を肯定的に捉えています。
やまがみさんがここで説かれる方法論が、強力かつ的確な推進力になってくれたと確信しています。

昨夜語りかけていたのは、「真我」だったのか、それとも「自我」なのか?
あるいは、「真我」でも「自我」でもない、「クローン自我」のようなものなのか?

私の場合は、慣れ親しんだ瞑想が絡んでいるために、事態が少々ややこしくなっているのかもしれません。
こちらのブログを訪問する方で、私と似たような立場の方もおられるかと思います。
一見どんでん返しのようなこの現象も、いつかどなたかの役に立つこともあるのではないかと投稿させていただきます。


2012/12/23(日) 15:07:11 |URL|ガジュ丸 #- [編集]
はじめまして
最近やまがみさんのブログ読みはじめました。それからさおっちさんのブログも読みました。以前、思考を観察することを先生から学びしばらくやっていましたが、淡々とすることにやはり飽きて?継続できませんでした。そうすると、現象に振り回されエネルギーを消耗してしまうのです。私も再度、思考に気づき続けることに、チャレンジしたいと思います。きっかけをいただき、ありがとうございます。
2012/12/23(日) 19:19:21 |URL|マカロン #- [編集]
質問させて下さい☆
久しぶりにコメントさせて頂きます。

やまがみさんのブログを夢中で読み始めた頃から早一年。

さおっちさんのブログをじっくり拝見させて頂き、とても感銘を受けました。
もっと真面目にしっかりと思考観察に意識を傾けようと決めました。

一つ質問させてください。

“思考している”と気付く瞬間の主体は、自我ではないような気もするのですが
“思考している内容”を認識しているのは、やはり自我だと思うのです。

あまり深く考えずに、初心者の私は
“自我を使って、自我(思考)を観察している”と思っていても
大丈夫でしょうか?

…というか、それしかできないのです(^_^;)

以前からずっと気になっていましたので、これを機にスッキリしたいと思い、
質問させて頂きました。

急ぎではありませんので、お時間が取れるときにでも
どうぞ、よろしくお願い致します。
2012/12/24(月) 13:51:29 |URL|フルムーン #- [編集]
さおっちさんへ
こんにちは。

コメントありがとうございます。

そして、最高のアドバイス、ありがとうございます。

このアドバイスもまた、たくさんの人の力になるでしょう!


こちらこそ、これからもよろしくお願いします。

これからも、

マイペースで、

「意識の目覚め」をお伝えしていきましょうね!
2012/12/24(月) 21:20:54 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ガジュ丸さんへ
こんにちは。
返信、遅くなってすみません。(しばらく、インターネット環境のないところで過ごしていましたので・・・)


ガジュ丸さんが今回体験された、
内なる対話の声の主が、自我なのか、それとも真我なのか、という問いですが、
それは、自我の可能性もありますし、真我の可能性もあります。


真我は、直感的に体験される傾向が高いとは思いますが、
それが語りかけという媒体をとおすこともありえます。


ただし、語りかけは、自我にも利用可能であるため、
それがどちらなのかを判断するには、習練が必要です。


思考の観察に慣れていくと、
思考が起こったときに、「これは思考だ」とすぐにわかるようになっていきます。

そうなると、それに気づいている視点が真我ということになります。



どちらにしても、そのとき、ガジュ丸さんは、
自分のなかに二人の視点が存在していることを体験したことには違いありません。


エックハルト・トールもはじめて思考からはなれた意識に気づいたとき、
つぎのようなことが起こったと書いています。

絶え間ない不安や苦しみに悩まされてたある夜、
「こんな自分と生きていくなんて、ごめんだ!」と思ったときに、
この「こんな自分となんて生きていきたくない」といっている「自分」とは誰なのか、
と疑問に思い、自分のなかに二人いることに気づき、
このうちの一人が「ほんとうの自分」であるはずだ、と感じた書いています。
(『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』15ページ)


真我の声は、直感的なものなのではありますが、
受け手側がそれに対応していない場合、言語という媒体を利用することは十分にあります。

> ただ昨夜瞑想中の「語りかけ」は、通常の言語というよりも、言語化される以前の何か特殊な「想念」(言葉ではないもの)によりなされていたようにも感じます。

おそらく、ガジュ丸さん自身が、それを言語化したのだろうと思いますが、
もとは、言語以前の想念だったのではないかと思います。

思考の観察に慣れていくと、真我の、「思考をこえた想念」を直接認識する能力が
自然に上がっていきます。

ガジュ丸さんの受信機としての能力が上がると、自我の声と真我の声の違いは、
もっと容易に理解できるようになっていきます。


今回ガジュ丸さんが体験された声は、
自我に語りかけるという演出はあれど、真我の声といってもいいと思いますが・・・。


どちらにしても、「思考に気づく」という練習を続けていくことが大切だと思います。
2012/12/24(月) 22:52:22 |URL|やまがみてるお #- [編集]
光龍さんへ
こんにちは。

> 思考のお返事
> -------------------------------
> 思考を観察して、思考に気付くということは、思考の内容にも気付いているということ。
> つまり、思考を認めているということ。。。
> 否定も肯定もしないで、その存在をただ存在させている、ということ。
> -------------------------------

すばらしいですね。

ほんとうに、否定も肯定もなく、いいも悪いもないものを、
ただ起こるがままに観察するだけなのですよね。

ほんとうに、ただ観察するだけって、たいへんなことですよね(笑)
2012/12/24(月) 23:09:49 |URL|やまがみてるお #- [編集]
マカロンさんへ
こんにちは。

単純で、淡々とした作業ですので、ほんとうにつまらないかとは思います。

けれども、ある程度のところで、それは定着します。

その後は、まったく努力なく、思考に気づけるようになります。

それまで、続けられるかが、鍵です!
2012/12/24(月) 23:12:30 |URL|やまがみてるお #- [編集]
フルムーンさんへ
こんにちは。

フルムーンさんの疑問は、自我の定義によるのだと思います。

私の定義では、自我とは、「無意識に思考に巻き込まれている状態」のことをいっています。

「無意識に思考に巻き込まれる」と、思考の内容に翻弄され、私たちはエネルギーを浪費します。

「思考に気づき、そこからはなれた視点で、その内容を観察できている」と、

その内容には振り回されません。

その意識状態に慣れていくと、思考はただ起こり、
やがて消えていくものであることを観察するようになります。

そうすると私たちは、思考は起こり、消えていくことにただ気づいている状態になり、
そうなると、思考の内容の影響を受けなくなります。

> “思考している内容”を認識しているのは、やはり自我だと思うのです。

先の私の定義によると、
思考の内容を認識することと、
思考の内容に無意識に同一化することとのあいだには、大きな違いがあります。

同一化せず、思考さえ意識的に観察できていたら、定着に近づくはずです。


> “自我を使って、自我(思考)を観察している”と思っていても
> 大丈夫でしょうか?

この点は、気にする必要はありません。

自我を使っていると思っていようと、

「思考との同一化が起こっていなければ」、

それは自我では起こりえないことですから。


どう思おうとも、「思考に気づくこと」「それを続けること」こそが必要なことだからです。
2012/12/25(火) 01:08:09 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさん

ご返信、ありがとうございます。

>自我とは、「無意識に思考に巻き込まれている状態」のこと

あぁ!なるほど~!
「無意識な思考」と「意識的に観察されている思考」
とてもわかりやすいです。

「意識的に観察されている」状態のとき、あまり思考は出て来なくなりますね。
頭の中が比較的静かというか・・・。

・思考に気づく
・同一化せず、意識的に観察

先程、キッチンやトイレなど、部屋のあちこちに
上記を書いた紙を貼ってまわりました(笑)

とにかく、つべこべ言わず、ただただやり続けます!
報告兼ねて、またコメント書かせて頂くかもしれません(*^_^*)

とってもスッキリしました♪
本当にありがとうございました。
2012/12/25(火) 11:33:06 |URL|フルムーン #- [編集]
フルムーンさんへ
こんにちは。

> 「意識的に観察されている」状態のとき、あまり思考は出て来なくなりますね。
> 頭の中が比較的静かというか・・・。

そうですね。
その状態が、ノーマインド、無思考状態です。

意識的であるとき、むやみに思考は起こりません。
無意識に思考が起こっているときに、
思考はつぎつぎと発展しながら受け継がれていったり、
堂々巡りをしたりするのです。

> ・思考に気づく
> ・同一化せず、意識的に観察
>
> 先程、キッチンやトイレなど、部屋のあちこちに
> 上記を書いた紙を貼ってまわりました(笑)

しばらくして慣れてきたら、そのようなサインのないところでも、
意識的になれるように注意していくようにしてくださいね。

それらに依存するようになると、
けっきょくそれらのサインがないと無意識のままの人になってしまいますので。
2012/12/25(火) 21:10:27 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさん

>けっきょくそれらのサインがないと無意識のままの人になってしまいますので。

あぁ、本当にそうですね。
目指す状態は、いつでもどこでも意識的に思考を観察できていること、ですものね。

それに、せっかくのサインも風景と化してしまっては意味がないですし…(^-^;)

了解です!
様子を見ながら、剥がす方向で進めていきます。

貴重なアドバイスをありがとうございます。
2012/12/25(火) 22:41:04 |URL|フルムーン #- [編集]
フルムーンさんへ
こんにちは。

何かの目印は、最初はいいアイデアとして機能しますが、
やがて依存に変わり、それに頼るようになるとふたたび無意識のなかへと私たちは戻ってしまいます。

習慣を変えるときに、一番苦しいのは、
最初です。

長くつづけるにしたがって、
しだいに自然にそれがおこなわれるようになっていくのですが、
その苦しいときに、多くの人は引きかえしていきます。

「最初をどう乗り切るか」です。
2012/12/27(木) 14:19:59 |URL|やまがみてるお #- [編集]
十牛図
やまがみさんのブログの全ての記事を読んだわけではないので(今、過去記事から順番に読み進めています)、ひょっとしたら十牛図にふれられた事があるかもしれませんが。
さおっちさんのコメントを読んでから、ずーっと感じていた事を、書いてみようかと思います。

さおっちさんのコメント中の、『自我が暴れ馬のように感じられ』という一文を読んで、私は何故か禅の十牛図を思い出していました。
それで、改めて調べてみました。

牛を「悟り、本当の自分、欲、心」など、人によって様々に解釈されますが…
牛を「思考」の象徴であると解釈すると、面白いほどピタリと一致します。(笑)

十牛図(思考観察のプロセス)
1.尋牛:牛を捜そうと志すこと。(思考と一体になっていて、思考に気付かないでいる状態)
2.見跡:牛の足跡を見い出すこと。(思考に気付いている状態)
3.見牛:牛の姿を垣間見ること。(思考を観察している状態)
4.得牛:力づくで牛を捕まえること。(思考の様々な妨害が始まり、思考が暴れている様に感じる)
5.牧牛:牛を手懐ける。
6.騎牛帰家:牛の背に乗り家へ向かうこと。
7.忘牛存人:家に戻り牛のことも忘れること。
8.人牛倶忘:全てが忘れ去られ無に帰一すること。
9.返本還源:あるがままの自然を受け止めること。
10.入鄽垂手:俗世間に戻り生活を楽しむこと。
【↑鄽(テン)の字が、文字化けするかもしれません。】

私は今「4.得牛」の最中で、思考観察では、その先の実感がないので、途中までしか解説が出来ませんでした。(^^;)
自分が今どの辺りに居るかの目安にはなりそうですが…まぁ、その程度しか使い道はなさそうですね。(苦笑)
でも、1や2に戻ってしまっても、「あぁ、1に戻ってたっ!」って認識できるので、動揺や落ち込みは、しなくなりました。(笑)

それから、さおっちさんの「アマゾン予約開始」のコメントも助かりました。
やまがみさんの、ブログの過去記事も、本も、読むのが楽しみです。(^^)
2012/12/29(土) 20:44:08 |URL|光龍 #- [編集]
光龍さんへ
こんにちは。
コメントありがとうございます。

まさしく、十牛図は、悟りまでの過程をお伝えしているものだと思います。
ときどき、ほかの方の著書などでも、紹介されていることを目にします。

「自我を手なずける」という作業は、ほんとうにたいへんな作業に感じられます。

> 4.得牛:力づくで牛を捕まえること。(思考の様々な妨害が始まり、思考が暴れている様に感じる)
> 5.牧牛:牛を手懐ける。

やはり、このあたりを体得するのが一番難しく感じと思います。

「捕まえる」「手懐ける」は、思考であることを意識してください。

「捕まえる」→「捕まえたい」→「捕まえてはいない」
「手懐ける」→「手懐けたい」→「手懐けてはいない」

それが思考であり、「捕まえる」必要もなく、「手懐ける」必要もなく、

ただそれらが、たんなる思考であることに気づくことが大切だと私は感じます。

そうすると、いつのまにか、牛の背に乗り、家に戻っているものです。

> 自分が今どの辺りに居るかの目安にはなりそうです。

私も、この目安は助けにはなると思います。

どこかの目的地まで歩いて移動しているときなど、
地図を見たときに、自分の位置を理解することは、道を誤らないためにも、大切なことだと思いますので。

そしてこの地図のもっともすぐれている点は、

10.入鄽垂手:俗世間に戻り生活を楽しむこと。

をお伝えしている点にあると思います。

そこから、私たちは同時に世間に生きている自分を生きはじめます。


著書のこともありがとうございます。

私の本が、光龍さんの力になれましたら、幸いです。
2012/12/30(日) 16:07:40 |URL|やまがみてるお #- [編集]

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プロフィール

やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

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