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やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

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思考から離れた視点に気づくって・・・、こんな感じ (再アップ)

12-13(木)15時41分
こんにちは、やまがみてるおです。

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見えるものか、聞こえるものか、どちらかに対象を決めましょう。




(A)見えるものを選んだ場合




自分の目をとおして、見えるものに意識を向けましょう。




目に見えるものに意識を向け、

それを見ていることに気づいたら、

そのことに気づいた存在に意識を向けましょう。




その存在がほんとうの自分です。




その存在をとおして、外側の世界を意識し続けましょう。




その状態に慣れ親しみましょう。






例)


「私はいま花を見ている」


視覚001


花を見ていることに気づいたということは、

花を見ている存在が「いる」ことを意味します。

あなたの内側から花を見ていることに

気づいた存在に意識を向けましょう。

その存在をとおして、花を見つづけましょう。


視覚002






(B)聞こえるものを選んだ場合




自分の耳をとおして、聞こえるものに意識を向けましょう。




何か音が聞こえていることに気づいたら、

そのことに気づいた存在に意識を向けましょう。




その存在がほんとうの自分です。




その存在をとおして、外側の世界を意識し続けましょう。




その状態に慣れ親しみましょう。






例)

「いま鳥の鳴き声が聞こえる」


聴覚001


鳥の鳴き声が聞こえたことに気づいたということは、

その音を聞いている存在が「いる」ことを意味します。

あなたの内側から鳥の鳴き声を聞いていることに

気づいた存在に意識を向けましょう。

その存在をとおして、音に耳を傾けつづけましょう。


聴覚002




その存在から、思考に気づき、

思考を観察しましょう。




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コメント:

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2012/12/14(金) 09:19:59 || # [編集]
やまがみさん、おひさしぶりです。

あれから思考を観察し続けているのですが未だに
「気付いている意識」というのが掴めません。
エクササイズもやっているのですが。

やまがみさんに質問させて頂きたいのですが、
最近思うのですが「気付いている意識」に気付こうとする事自体がもしかして思考(エゴ)の餌食になっているのかなと。

「エゴに気付いている」という事はその時点でいつもとは違う視点になっている若しくは距離が取れている(マインドはマインドに気付けないから)と思うのですが、私の場合はそこで「気付いている意識」に気付こうとするとわからないので探してしまい、結局思考を使ってしまう事になりループになっている感じが最近してきています。

「気付いている意識」に気付ける方はそうではないのでしょうが、「気付いている意識」がビンッと来ないとどうしても「それ」を探してしまいます。

もう「思考を観察し続ける」だけで良いのではないか?
気付いている意識に気づけなくても良いのではないか?
「思考に気付いている」というただそれだけの
事をもっと信頼して良いのではないかという気持ちが沸いてきます。
ただこれも思考の罠なのかと考えてしまいます。

ご意見頂ければと思います。
2012/12/15(土) 12:55:51 |URL|おりえ #- [編集]
思考を観察する
やまがみさん、はじめまして。
(ユウさんとタカヤさんのブログを読んで、知りました。)

私は、半年前くらいに「思考を観察する」をやっていました。
たしかその時は…2週間くらいで飽きてしまって、それっきりだったんですが。(^^;)

最近また興味が出てきたので、再開してみました。
そうしたら、かなり良い感じです。(^^)
途中にブランクがあっても、それすらも糧になっていると思いますので、飽きて止めてしまった人でも再開してみると、何らかの変化があるかもしれませんね。

それで、これは私個人的な感覚なのですが。
数日間、思考を観察するをやっているうちに、「○○から意識を抜く」という感覚がピッタリ来るようになりました。
身体的感覚から意識を抜く、思考から…、感情から…。そう意図しただけで、意識が気付きの意識として自立してくれます。
まぁ後は、意識的に意図しなくても、それが常になってくれれば、いいなぁ~。(^^;)

それから、私が思考を観察する中で“思考がこんがらがった”時は。
「思考<観察する意識<それを観察する意識」っていう感じで、二段構えで観察してみました。(笑)
これがなかなか、私には有効でした。

そしてそして、やまがみさんの出版される本、楽しみにしています。
(毎日、ナチュラルスピリットのHPを見に行って、お知らせ、まだかなぁ?まだかなぁ?って、してます。笑)
2012/12/15(土) 15:17:22 |URL|光龍 #- [編集]
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2012/12/15(土) 16:54:45 || # [編集]
かがり火さんへ
こんにちは。

これは、私の個人的な意見であることをおことわりしておきます。

アジズは、とってもすぐれた観察眼を持つマスターだと思います。

そのため、ときには難解に感じることもありますが、

悟りを、とってもうまく説明してくれており、私たちの理解を助けてくれます。

ただ、私が、「ステート・オブ・プレゼンス」の定着を目的におすすめするなら、

かがり火さんの書かれてあった二冊の候補は、あまり効果を期待できないのではないかと思います。

ただ、理論的に学びたいという欲求には、どちらも応えてくれます。

『ヒューマンブッダ』も、「ステート・オブ・プレゼンス」定着後に読むと私は、
非常に理解が進みましたので。

いまは理論を学ぶよりも、定着に焦点を当てた本から学ばれ、
定着後に、それらの理論的な理解を補うという方法をおすすめします。

定着に焦点を当てたもので、私がおすすめするのは、

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』
『アジズとの対話』
『恩寵の扉が開くまで』
『ニュー・アース』
『楽天主義セラピー』
『ポケットの中のダイヤモンド』などです。
2012/12/15(土) 22:38:20 |URL|やまがみてるお #- [編集]
おりえさんへ
こんにちは。

おりえさんは、思考には気づくことができるわけですね?

> 「エゴに気付いている」という事はその時点でいつもとは違う視点になっている若しくは距離が取れている(マインドはマインドに気付けないから)と思うのですが、

これはそのとおりで、思考に気づいているということは、そこから、距離が取れている(はなれている)ということです。

> 私の場合はそこで「気付いている意識」に気付こうとするとわからないので探してしまい、結局思考を使ってしまう事になりループになっている感じが最近してきています。

おそらく、気づいている意識から、思考に気づいているのですが、気づいている意識自体が、あまりにも、ささやかなものなので、これではないと、おりえさんの思考は思いたい、という可能性もあります。


思考からはなれた視点が定着していたらいいわけですから、

思考に気づきつづけるだけでも、効果は同じです。

説明するために、それに気づいている意識という説明をして、その視点を定着させましょうとお話しています。

つねに思考に気づいており、思考からはなれた視点でものごとを判断できるようになっているのなら、それは悟りの意識状態です。

> 「思考に気付いている」というただそれだけの
> 事をもっと信頼して良いのではないかという気持ちが沸いてきます。

しばらくその状態を評価して、
どのように感じるようになったか、また教えていただけるとありがたいです。
2012/12/15(土) 22:53:19 |URL|やまがみてるお #- [編集]
光龍さんへ
はじめまして、コメントありがとうございます。

> 私は、半年前くらいに「思考を観察する」をやっていました。
> 途中にブランクがあっても、それすらも糧になっていると思いますので、飽きて止めてしまった人でも再開してみると、何らかの変化があるかもしれませんね。

とってもうれしいお知らせですね。
途中で飽きた人にも、ブランクも気にせずに再会してほしいと思いました。

> それで、これは私個人的な感覚なのですが。
> 数日間、思考を観察するをやっているうちに、「○○から意識を抜く」という感覚がピッタリ来るようになりました。
> 身体的感覚から意識を抜く、思考から…、感情から…。そう意図しただけで、意識が気付きの意識として自立してくれます。

これは、「いまここ」に意識が集中するようになる、ということでしょうか。
これをやると、意識が「いまここ」にしっかりと根付くように感じました。

> それから、私が思考を観察する中で“思考がこんがらがった”時は。
> 「思考<観察する意識<それを観察する意識」っていう感じで、二段構えで観察してみました。(笑)
> これがなかなか、私には有効でした。

この説明はわかりやすいかもしれませんね。

書籍の出版は、初版が2013年1月1日に決定しましたので、年末くらいから流通しはじめると思います。

もう少ししたら、時期もはっきりと告知する予定にしています。

ぜひ、書店でペラペラと見てみてくださいね。
2012/12/15(土) 23:03:21 |URL|やまがみてるお #- [編集]
かがり火さんへ、追伸の返信
私はとっても強度のうつでした(笑)

いまは、完全に完治していますし、うつになるまえよりも幸せです。

そうして私が感じていることは、

私たちは無意識の思考に乗っ取られ、操作され、いじめられているということであり、

これが、うつの原因だということです。

> ステートオブプレゼンスを感じているときは、
> マインドの活動が弱まるのかそれほど深刻さはありません。
> この道を突き詰めて行けば、うつとは無縁になり、
> もっと生き生きと活動できると思っています(副産物かもしれませんが)。

したがって、ステート・オブ・プレゼンスは、思考から私たちを救います。

> そうなると嫌々でも行動したほうが良いのでは?と思いますが、
> それもなかなかできないという葛藤を感じています。

ですから、私が第一におすすめすることは、ステート・オブ・プレゼンスの達成です。

とりあえずそれまでは、ほかのことは捨て、まずはそれによって、

「真の人間」になると、そのあとは、おのずと道が見えてくると思います。
2012/12/15(土) 23:10:53 |URL|やまがみてるお #- [編集]
はじめまして
はじめまして
ガジュ丸と申します。
昨日やまがみさんのブログを知り、やっと2011年11月21日まで読了しました。

すばらしい内容のブログをありがとうございます。でもすごい質量で、正直疲れ果てました(笑)

実は私も、昔やまがみさんが取り組まれたのと同じ瞑想の上級コースを20年ほど前に習いました。

とは言っても、とても熱心な瞑想者とは言えず、やったり、やめたりで、20年の内の1/3の期間くらいしか実習していません。

2週間合宿の後、教えてくれた組織ともまったくコンタクトを取っていません。
だから、もしかしたら、私の瞑想はかなり我流に成り果てている可能性も高いです。
(誤解を避けるために申し上げますが、コンタクトを取らなくなったのは、私がこの組織や瞑想システムに、特に批判的だからという訳ではなく、遠い田舎に暮らしてることも含め、ただ何となくそうなったという次第です。)

やまがみさんが指摘された通り、この瞑想には「思考から離れた意識の状態に気づき、その状態を定着させる」という積極的な方法はありません。

「長期間定期的に瞑想を続けることで、純粋意識、超越意識、真我etc に触れる時間を増やす。

時間と経験量を増やすことで、徐々に自我の力が弱まり、それに連れて純粋意識、超越意識、真我etc が、ゆっくり顕現して来る。」

間違ってるかもしれませんが、私はこの瞑想をこのように理解しています。

だからこそなのですが、やまがみさんの見解には、良い意味で大変驚きましたし、強烈な刺激を受けました。

ここで質問をさせてください。

この瞑想を行う者が、瞑想中に経験する「思考からの分離状態」を、しっかり「定着させる」ために、特に気をつける点、あるいは具体的にやるべきこと、やれることなどがありますでしょうか?

「定着させる」ために行うべきことは、既にこのブログで、本当に丁寧に分かりやすく説明していただいてます。
私も実践(練習)させていただきます。

これとは別に、もし、やまがみさんもご経験の、マントラとスートラを用いる、この瞑想を実践する者向けのアドバイス等ありましたら、ご教示いただければ幸いです。

初めてのコメントで、このようなことをお願いする無礼をお許しください。


2012/12/15(土) 23:11:41 |URL|ガジュ丸 #- [編集]
おりえさんへ、追伸
光龍さんという方が、コメント欄にて、

「思考<観察する意識<それを観察する意識」っていう感じで、二段構えで観察する方法を教えてくれました。

これはわかりやすい説明かと思うのですが、一度試してみてください。
2012/12/15(土) 23:14:36 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ガジュ丸さんへ
はじめまして。
コメントありがとうございます。

ガジュ丸さんもおっしゃられているとおり、

> 「長期間定期的に瞑想を続けることで、純粋意識、超越意識、真我etc に触れる時間を増やす。
>
> 時間と経験量を増やすことで、徐々に自我の力が弱まり、それに連れて純粋意識、超越意識、真我etc が、ゆっくり顕現して来る。」

私も、この瞑想をしていたから、「思考からはなれた意識状態」に、気づきやすい意識状態になっていたのかもしれません。

ブログで書いていることのくり返し、まとめになるのかもしれませんが、私たちの目的は、

思考が起こったときに、それに気づき、そこからはなれた視点で、判断できるようになることです。

ですから、やはり「思考が起こったら、それに気づく」ことが大切です。

そうして、気づいた思考に振り回されないようにすることです。


思考に気づいていても、そこで油断して、その内容の影響を受けていては、意味がありません。


いつも思考は私たちを責めます。

責められたときに、それに気づき、

責める必要のないことを意識し、責めないようにする。


それをつねにできるようになると、

思考からはなれた視点で生きることができるようになります。


たんなる習慣だと私は考えていますので、

これが習慣化されたら、悟り(定着)です。
2012/12/15(土) 23:28:40 |URL|やまがみてるお #- [編集]
かがり火さんへ、追伸の追伸
「ヒューマンブッダ2」か「エンライトメント」では、

どちらをおすすめしますかという質問には答えていませんでしたね。

けれども「ヒューマンブッダ2」まだ読めていませんので、

比較できないんです。すみません。

お許しください(笑)

2012/12/15(土) 23:45:43 |URL|やまがみてるお #- [編集]
>思考に気づきつづけるだけでも、効果は同じです。

それでもいんですね。なんというか正直肩の荷が下りた感じです。
最近「気付いている意識」に気付くという事に疲れていました。

今まで思考に気付けてもなかなか「気付いている意識」がわからず、どうしてもそれを探すための思考でループになっていたので。

>おそらく、気づいている意識から、思考に気づいているのですが、気づいている意識自体が、あまりにも、ささやかなものなので、これではないと、おりえさんの思考は思いたい、という可能性もあります。

この可能性も考えたのですがなんというか「ピンッ」とこなくて「ここか????」とこれも結局思考を使ってしまいます。

>「思考<観察する意識<それを観察する意識」っていう感じで、二段構えで観察する

すいません、これはよくわからないのです。どうしても「観察する意識」で躓くので。

>しばらくその状態を評価して、
どのように感じるようになったか、また教えていただけるとありがたいです。

心強い言葉ありがとうございます。
実践してみます。
2012/12/16(日) 01:08:37 |URL|おりえ #- [編集]
おりえさんへ
おそらく「ここか????」の「そこ」のことなのですが、

あまりも、あたりまえで、もともと、ずっとそれといっしょにいたものなので、

それには気づきにくいのだと思います。

またしばらくやってみて、観察結果などをお教えくださいね。
2012/12/16(日) 01:38:31 |URL|やまがみてるお #- [編集]
管理人のみ閲覧できます
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2012/12/16(日) 10:40:55 || # [編集]
かがり火さんへ
こんにちは。
いつもありがとうございます。

ステート・オブ・プレゼンスが定着すると、
そのあとは自然に、自分だとそれまで信じていた部分(思考)が、
自分の真実ではなかったことを体験的に理解していきます。

その後、自分の真実とは、すべての起こりをゆるしている「それ」であると
実感するようになっていきます。

これの感じかた、これの説明のしかたはそれぞれに違いますが・・・。

私も『ヒューマンブッダ2』を知的に理解したいために購入しました。
けれども、実体験が進むと、知的理解はそれほど必要ではなくなります。

おそらく、かがり火さんも体験されるでしょうが、そうなると、
読める本と読めない本があることに気がつくようになるだろうと思います。

それはいい本、悪い本という意味ではなく、
わかっているという感覚が強くなり、
内容にかかわらずに、読む必要性を感じなくなり、このため、手が進まなくなるのです。

そういうわけで、まだ読めていない一冊なのです。

追伸は、すばらしい進歩ですね。

観察を続けてくださいね。
2012/12/17(月) 21:38:33 |URL|やまがみてるお #- [編集]
こんばんは、ガジュ丸です。

やまがみさん、先日はていねいな回答をありがとうございました。
とても参考になりました。

「思考との同一化から離れるために、思考以外の何か―私の場合は「マントラ」でしたが―を必要としているかぎり、私たちは思考から完全に自立することはできません。」

上記は、やまがみさんのブログ(2011年11月4日)より引用させていただきました。
これを読んでから、なんとなく気にかかっていました。

「物は試し」と、おとといの瞑想の一部を、初めてマントラなしでトライしてみました。
かなり新鮮でした。
マントラがない分だけ、「純粋(?)意識」と「思考」の識別がしやすかったように感じました。

やまがみさんがおっしゃるように、マントラは瞑想を助けるが、同時に「意識」と「思考」の識別、思考の観照、そしてその状態の定着を妨げているのかもしれません。

ヘナチョコ瞑想者の私は、きのうは瞑想お休みです。
今日の夕方、おととい同じように一部の時間帯をマントラなしで瞑想してみました。

座ってすぐ、思考と呼べばよいのか、感情と呼べばよいのか、「あー、自我はもういいわ、どうでもいいわ・・・」みたいな、何か脱力感を伴った想いがやって来ました。
20分の間そのフィーリングは、ボリュームを極小に絞ったバックグラウンドミュージックのように続いていました。
しかし、瞑想自体は心地よいものでした。

最近の私の瞑想は、この後上級テクニックを行った段階で終了せず、おまけのマントラ瞑想を20~40分ぐらい続けます。
掟破りのプチ接心みたいなものです。

この段階では、瞑想はかなり安定したものになるので、おとといと同じように一部(20分くらい?)をマントラなしでやってみました。

今度も思考と呼べばよいのか、感情と呼べばよいのか判然としないのですが、「自我の好きなようにやらせておけばいい。自分とは関係ないから、好きなように思考したり、イメージして貰ってたらいい。」と感じている自分がいました。
肩の力、体の力、自己意識の力が抜けたような感じで、何だか楽な気分になりました。

ただしばらくしたある段階で、体がガクン、ビクンと続けて2度けいれんのような動きをしたため、私は大変驚き、いったん瞑想をストップしました。
「ちょっとマズイかな?」と感じた私は、それ以降の15分ほどはいつものマントラ瞑想に戻りました。

このけいれんは、今後の瞑想を思うと少し気になります。
ただ、自我の行う「思考」や「イメージング」を、「自分とは関係ない。放っておけば良い。」と感得出来たのは、長期間(だらだらと)瞑想を続けた中で、初めての気づきです。

この気づきは間違いなく、やまがみさんとやまがみさんのブログのおかげです。
お礼とご報告をさせていただきます。

(P.S. ケイレンのような現象に関し、アドバイスかコメントを頂けたら幸いです。初めての経験なので、少々戸惑っています。よろしくお願いいたします。)


2012/12/18(火) 21:07:52 |URL|ガジュ丸 #- [編集]
ガジュ丸さんへ
コメントでのご感想、本当にありがとうございます。
とってもうれしく思い、大いに勇気づけられました。

> おとといの瞑想の一部を、初めてマントラなしでトライしてみました。
> かなり新鮮でした。
> マントラがない分だけ、「純粋(?)意識」と「思考」の識別がしやすかったように感じました。

ガジュ丸さんがおっしゃられているとおり、おそらく「思考を識別した意識」が、マハリシのいう「純粋意識」です。

やはりTMは、「純粋意識」自体には、親しむことのできる強力な道具であると思います。
ただし、「純粋意識」それ自体を意識することをお伝えしていませんので、その意味では、悟りの入り口までは案内しているのですが、最後の一線の向こう側を伝えることはできていないものだと言わざるをえません。

> 今度も思考と呼べばよいのか、感情と呼べばよいのか判然としないのですが、「自我の好きなようにやらせておけばいい。自分とは関係ないから、好きなように思考したり、イメージして貰ってたらいい。」と感じている自分がいました。

今夕の瞑想の、この気づきは、非常に重要な気づきだと私は思います。

瞑想中に起こったけいれんがどうして起こったのかは、すみませんが、私にはわかりません。

> ただ、自我の行う「思考」や「イメージング」を、「自分とは関係ない。放っておけば良い。」と感得出来たのは、長期間(だらだらと)瞑想を続けた中で、初めての気づきです。

この気づきこそ、私たちの求めているものですので、これを日中に気づけるようになれるといいのではないかと思いました。

思考の観察は、瞑想中だけではなく、本当は日常生活中にこそ、おこなえるようになり、
私たちは、最終的には、日常生活中に、
自然に思考に気づいている意識状態をつくりあげたいと思っています。

ですから、今回のけいれんが気になるようでしたら、瞑想中は教えどおり、マントラでおこない、日常生活中に、思考に気づけるような練習を続けられるのも一つの方法かもしれません。

瞑想中に思考に気づけるようになっても、日常生活中におなじように気づくためには、
けっきょく同じ努力をまたしなければいけなくなるような気もしますので・・・。
2012/12/19(水) 00:49:14 |URL|やまがみてるお #- [編集]
けいれん
ガジュ丸さん
初めまして。横レス失礼いたします。

間違っていたら、申し訳ありません。
でも、コメントを拝見して、ガクン、ビクンは、もしかしたら、自発動といわれるものではないかと思って…。
もし自発動でしたら、ただ、気の通りがよくなって起こっただけですので、何も心配する事はないと思います。
例えば、仰向けに寝て、そのまま静かにしている時、心身ともにリラックスして、マインドの締め付けも緩んでいると、半ば、眠りに入りそうな深い意識状態のときがありますよね?
そういう時に、急に身体がガクっと動いて、びっくりした事はありませんか?
(大きく跳ねるように全身が動いたり、また片腕や片足だけがビクッと動いたり)
それに似ていたりしませんでしたか?

本来、自発動は、気功などによって起こってくるもので、大量に気が通りだすので、マインドには全く理解できないような動き方で、身体が勝手に、結構激しく動いたりします。
私が最初にこれを経験した時は、知識もなかったので、大変驚きました。
そこまで大きな動きでなくても、上記のような単発のガクっも、いわゆる自発動だと最近、気づいたんです。
これはエネルギーワーク的な事をしていただいても、起こったりします。
あくまで私的見解ですが、何がきっかけであれ、自我・マインドが緩んで(通常のようには思考に振り回されていない)かなり深いリラックス状態のとき、自然に気の巡りも良くなって起こったりするのではないかと思います。

もし的外れでしたら、ご容赦くださいね。
また、適切なアドバイスに巡りあう事をお祈りしています。
でも、そのガクン、ビクンが起こったときに、驚きの背後でそれに気づいているもの、それが思考にまみれて見過ごしてしまっている本来の私たちなので、ある意味、非常に貴重なご経験をされましたよね。

PS.
瞑想中に身体が動いてしまう方の記事を発見しました。もし良ければ、覗いてみてください。
blogs.yahoo.co.jp/jngwk691/47250682.html

2012/12/19(水) 07:57:28 |URL|Jo #- [編集]
更にPS
瞑想中の自発動 とググッてみたら、他にも出てきますので、ご覧になってみてくださいね。
参考になるものがあるかもしれません。
2012/12/19(水) 08:17:33 |URL|Jo #- [編集]
やまがみさん
ガジュ丸です。
ていねいなアドバイスありがとうございます。

やまがみさんのTMおよびTMシディに関する見解、私もほぼ同意いたします。
これはTMに限らず、座禅などすべての瞑想(技法)が持つ「可能性」と「限界」なのだと思います。

例えばクリシュナムルティは、すべての瞑想技法をそれらが形式化された段階で形骸化されたものとして排斥します。
そして、形式化も形骸化も免れた「ある瞑想」を、日常のあらゆる場面で実践することの必要性を説きます。
しかし、この「ある瞑想」が、具体的にどのようなものなのかは、非常に難解です。
少なくとも私程度の理解力、読解力では、ほとんど分かりません。(残念)

私が、やまがみさんのブログを読ませていただいた時感じたのは、クリシュナムルティが、あれだけ膨大な著作、講演を通して人々に伝えようとしたこと、そしてほとんどの場合、伝えることが叶わなかったことが、「アレー? ここに、こんなに分かりやすく書いてあるじゃん! w( ▼o▼ )w 」でした。(笑)

クリシュナムルティもやまがみさんも、「気が遠くなるほど難しいようで、実はとってもカンタン」、「実はカンタンなのだが、場合によっては気が遠くなるほど難しくなってしまう」ことを伝えようとされています。
本当にたいへんだと思います。
そしてすばらしいことだと思います。

他の方も言っておられましたが、私にとっても「目からうろこ」、「コペルニクス的転回」でした。
感謝いたします。

「座って瞑想していない時に、いかに瞑想するか?」
また経過を報告させていただきます。

P.S. クリシュナムルティは、27歳の頃カリフォルニアで、後年の彼が批判したところの<形式化した瞑想技法>により覚醒したと伝えられています。
人生いろいろですね。

2012/12/19(水) 15:22:37 |URL|ガジュ丸 #- [編集]
Joさん
アドバイスありがとうございます。
早速ググッてみました。
心配することはなさそうですね。

錐体外路系運動とも呼ばれる野口整体の活元運動を、下手の横好きで時々やります。
活元運動と自発動、自発動功は、近いもの、あるいは同じものなんでしょうね。

その日のコンディションなどで、瞑想の初めの時間帯に、体が活元的(自発動的)に「しかし活元運動よりはるかにゆるやかに」、「軽く」、「短時間」動くのは、たまに経験します。

私の場合この動きは、瞑想の初めの部分、浅い瞑想時にたまに訪れ、瞑想が安定するとまったく起こらないものでした。

今回の動きは、瞑想を始めて1時間半くらいした(あくまで私にとって)深い瞑想の時間帯に来たことと、その動きの質が、「けいれん」とでも呼びたくなるような唐突で不意打ち的なものだったので驚いたのだと思います。

【 例えば、仰向けに寝て、そのまま静かにしている時、心身ともにリラックスして、マインドの締め付けも緩んでいると、半ば、眠りに入りそうな深い意識状態のときがありますよね?
そういう時に、急に身体がガクっと動いて、びっくりした事はありませんか?
(大きく跳ねるように全身が動いたり、また片腕や片足だけがビクッと動いたり)
それに似ていたりしませんでしたか? 】

今回の「ガクン」は、私が今まで経験した活元(自発動)の動きよりも、Joさんのおっしゃる上記の現象に近いのかもしれません。
私にとって新種の活元(自発動)と呼べなくもありません。

実は今回の「ガクン」を私は、やまがみさんやエックハルト・トールの文脈から「自我の抵抗」かな? と考えていました。

なにしろ瞑想の初めから終わりまで、私は「あー、自我はもういいわ、どうでもいいわ・・・」とか、「自我の好きなようにやらせておけばいい。自分とは関係ないから、好きなように思考したり、イメージして貰ってたらいい。」と特に意図したわけではないけれど、けっこう「自我」に対してつれない態度に終始してましたから。

じゃあ、「自我の抵抗」と考えたのは、「自我」自身なのか、それとも「真我(意識)」なのか?

<思考が生まれる瞬間にそれと感覚したのは「真我(意識)」で、少し時間が経ち(例えば0.1秒後)に「自我の抵抗」とレッテルを貼り、言語化したのは「自我」である。>、<じゃあ、「真我(意識)」と「自我」は、連続した意識体なのか?>などと考え出すと思考のループにはまってしまいますね。

ずっと昔、初めて活元運動をやった時、勝手に動く自分の体に気付き、「おいおい、こんなこと学校では習わなかったぞ!」と妙にワクワクしながら、ただ体験していたことを思い出します。

今回の「ガクン」もそんな感じで、ただ体験し、観照したいと思います。

Joさんのアドバイスに感謝いたします。
2012/12/19(水) 15:38:44 |URL|ガジュ丸 #- [編集]
Joさんへ
自発動の貴重な情報ありがとうございます。

マインドの締めつけが緩んでくると、そのようなことも起こりえるのですね。

ここで出会われた人同士が、情報交換をされて、それぞれに支えあっていただけるのも、

ありがたいことだと思い、うれしくなりました。
2012/12/19(水) 17:43:05 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ガジュ丸さんへ
こんにちは。

いつもうれしいご感想、本当にありがとうございます。

> 「座って瞑想していない時に、いかに瞑想するか?」
> また経過を報告させていただきます。

ガジュ丸さんの経過、楽しみにしていますが、それがガジュ丸さんの思ったとおりに進まなくても、自分を責めないでくださいね。それも思考ですので。

そして、ガジュ丸さんがそれを体験したときにも、
あとから手を伸ばしてくる手探り状態の人を、
自分のやりかたでサポートしたいと思われることと思います。

そうして伝え合うことで、世界は確実に変わっていくのですね。
2012/12/19(水) 17:51:22 |URL|やまがみてるお #- [編集]

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プロフィール

やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

 ご質問には、記事のなかで
 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

著書

『スターピープル vol.56』より、連載がスタート!

ぜひ、ご覧ください!

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