誰でも「悟り」プロジェクト   意識の中心みいつけた!

やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

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ただ「思考を観察しつづける」ことなんて、退屈?

12-09(日)13時56分
こんにちは、やまがみてるおです。

ご訪問ありがとうございます。




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私は、ただ「思考を観察する」こと、「しつづける」ことで、

悟りが起こると確信しており、それをお伝えしています。




悟りとは、思考からはなれた視点が習慣化されることだからです。

習慣化されることである以上、これは誰にでも起こります。




ブログの読者であり、

6月の私のワークショップにも参加いただいていたある方が、

ずっと思考の観察をつづけてこられ、

それをご自身のブログで記録されていました。




4ヶ月目くらいから、思考に翻弄されていない、

愛のある選択ができるようになってきたと書かれており、




5ヶ月目では、一日のうちで、

快の状態でいることのほうがほとんどになってきた、と書かれています。




私たちはこうして、思考からはなれた視点から思考を観察することで、

その虚偽に気づき、それに振り回されにくくなっていくことができます。




私は、はじめて思考からはなれた意識状態を体験してから、

それにすがりつくようにして、必死でその状態を追い求めました。

(うつでしたので・・・〔笑〕)




「思い出す、思い出す、思い出す」

「意識、意識、意識」

『アジズとの対話―魂の覚醒を求めて』のアジズのことばです)

といつも自分に言い聞かせ、

ある意味、催眠術のように、

またはまるで、マントラのように、そのことばを唱えつづけました。




すると、3ヶ月後のある日、その状態が定着していることに気がつきました。




上記の思考の観察を記録されておられる方も、

ほとんど定着してきていると私は感じています。

(ご本人にはこれは、微妙な変化で実感されにくいことではあるのですが・・・)




まだそれが定着ではないとしても、

3ヶ月、4ヶ月で、明らかに、思考に翻弄されにくい意識状態になったことが

証明されたと私は感じています。




けれども、これを読んだとしても、私たちの自我は、

「ただ『思考を観察しつづける』ことなんて、退屈」

と感じるかもしれませんが・・・。




思考することで、自我ができているのですから、これは当然のことなのですが、

私たちはこれをなかなか見破れないのですね。




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コメント:

やまがみさん、こんにちわ。

俄然やる気が出てきました(笑)
私も後に続けるよう観察の定着目指して意識していきます!
2012/12/09(日) 21:08:54 |URL|つとむ #- [編集]
やまがみさんへ質問です
ただ「思考を観察する」ことを「しつづける」
という方法ですが、ヴィパッサナー瞑想と
似てるようにも思えます。
やまがみさんは、ヴィパッサナー瞑想との違い
についてどのようにお考えでしょうか。
よろしければ、ぜひお教えください。
2012/12/09(日) 21:13:32 |URL|あまのん #- [編集]
つとむさんへ
こんにちは。

お久しぶりです。

ただ「観察するだけ」ですので、本当に簡単なことなんですよ。


簡単すぎて、思考はおもしろくないから、すぐにやめてしまうんですよ。

応援しています!
2012/12/09(日) 23:13:21 |URL|やまがみてるお #- [編集]
あまのんさんへ
こんにちは。

「ウィパサナー瞑想」というものを私は、うわさでしか聞いたことがなく

(以前にも、似ていますねって言われたような気がします)

私が以前に聞いたことによると、歩きながらの瞑想なんかでは、

「歩いていることを意識しながら、歩く」という方法というようなことだったと思います。

ヴィパッサナー瞑想がそうではなく(行動を意識する方法ではなく)、

「思考を観察しつづける」方法を推奨しているのだとしたら、

ほとんど違いはないと思います。


私が「思考を観察しつづける」方法をおすすめしている理由は、

それによって自分が救われたからです。


もしもヴィパッサナー瞑想イコール「思考を観察しつづけること」だとすると、

私がさとりに必要なことは、「思考を観察しつづけること」だと考えていますので、

おそらく、ヴィパッサナー瞑想を作った人と、私もおなじ体験をして、

それをうまく伝える方法はなんだろうと考えて、

似たことをいっていることになるのだと思います。


あまのんさんは、ヴィパッサナー瞑想にくわしいということですか?

あまのんさんから見たら、ほとんどおなじなのですか?

まったくおなじなのでしょうか?


とても似かよっていて、私があとからお話しているということなのでしょうから、

もしかしたら、パクッたのではないですかと今後いわれるようになるかもしれませんね。


けれども、本も読んだこともありませんし、ほんの少しうわさで、

散歩か、歩きながら、意識をして、それに集中する瞑想法だと聞いていましたが、

それ以上はいままでは意識しませんでした。


また似ているところ、などわかりましたら、お教えください。

似ていることを書いている本などもご紹介ください。
2012/12/09(日) 23:37:22 |URL|やまがみてるお #- [編集]
あまのんさんへ(その2)
ヴィパッサナー瞑想について、インターネットで調べてみました。

やりかたを詳細に書いてあるところは見つけられませんでしたが、

唯一、一番わかりやすいものとして、ウィキペディアのページには、次のように書いてありました。

①さまざまな流儀のものが存在するが、共通するのは「今という瞬間に完全に注意を集中する」ということである。何をしていても「今・ここの自分」に気づいていく

②座る瞑想では特に呼吸に集中することが基本となる

③「気づきの瞑想」は、必ずしも座って行なわれるだけでなく、歩く瞑想(伝統的には「経行(きんひん)」と呼ばれてきた)や、立つ瞑想、あるいは日常的な動作における瞑想などがある。

上記を参照にすると、
簡単にいえば、中心的には「いまここ」の自分に気づくことがもっとも大切とまとめることができると思います。

さとりで、「いまここ」の重要性は当然のことといわれていますし、私もそれを体験しています。

「いまここ」に重点を置くのは当然のことで、それをどう伝えるかが、人や流派によって違いとして表れると思います。

私の場合は「思考の観察」にフォーカスしました。

その理由は、思考が観察されていないことで、

意識が「いまここ」の自分の状況からはなれることを体験的に理解したからです。

そういうわけで、私は「思考を観察しつづけること」を軸にお伝えしています。


今回、私が調べた(簡単にですが)ところには、ヴィパッサナー瞑想には、

「思考を観察する、しつづける」という部分が見当たりませんでしたので、

違いはこの点にあると私は感じています。


あまのんさんがヴィパッサナー瞑想が、

「思考を観察する方法」を推奨していると感じられた理由や、

その箇所などをお教えいただけると、もう少しくわしく比較できると思います。
2012/12/09(日) 23:55:24 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ご無沙汰しておりました(^^;)

実はいろいろご質問しようかと思っていたのですが、その質問すらも思考であり、観察の対象であると理解するようになったので質問が消えてしまいました(笑)

とは言いつつも、日によっては観察意識自体が自分の中で感じられない時もあり、感情にも振り回されっぱなしなので、こちらのブログで勉強させて頂いてます。

まだ観察で快は感じられてないのでその境地を目指します!
2012/12/10(月) 01:16:46 |URL|つとむ #- [編集]
つとむさんへ
不快とは、思考がつくりだした誤解です。

不快とは、もともと存在しないのですが、思考があるがままを判断するために起こります。


快は、思考を観察しつづけることによって、

思考と自分(観察者、これこそが、本当の自分)とは、

まったく別物であり、まったく関係がないことが

理解されることによって起こります。


したがって、快は思考の観察によって自然にもたらされるものですので、

快を目指すのではなく、「ただ思考を観察しつづける」ことが重要です。


「快を目指す」のは思考ですので、快を目指しても、快はもたらされることはありません。


ただ、思考を観察しつづけ、それが自分ではないことに気づきつづけてください。
2012/12/10(月) 02:14:15 |URL|やまがみてるお #- [編集]
理解していたつもりでしたが、やまがみさんからのご指摘でまたエゴに捕らわれていたことに気付きました。
しばらく苦しい感情に振り回されていたので快という言葉にエゴが反応したのかもしれません。

何かを目指すのではなく、その思考をも観察する…。
淡々と続けて行こうと思います。

アドバイス頂きありがとうございました!
まだこんな調子ですが、今後とも宜しくお願いします。
2012/12/10(月) 03:36:30 |URL|つとむ #- [編集]
ヴィパッサナー瞑想との相違について
やまがみさんへ

ていねいなお返事、有難うございました。
私が似ていると思った点を簡単にお伝え致します。

ヴィパッサナー瞑想には、いくつか流儀があるようですが
私が読んだのは地橋秀雄氏の「ブッダの瞑想法」という
DVDブックです。この本の中の内容をかいつまんで紹介
し、相違点について質問した経緯をご説明いたします。

他の瞑想との本質的違いについて
 禅定のような集中型瞑想であるサマタ瞑想に対して
 集中よりも気づきを中心とするのが、ヴパッサナー瞑想
 です。ヴィパッサナーとは「詳細に観察する」という意味
 で、東南アジア伝承の原始仏教の瞑想法とされています。

ラベリング
 日常の生活の中の気づきを意識する修行です。
 たとえば、電話が鳴ったら「音」、友達の顔が浮かんだら
 「イメージ」、頭が痒かったら「痒み」、コーヒーの香り
 がしたら「匂った」
 などと今経験している出来事に気づき、意識的に言葉を
 頭の中で発しますが、これをラベリングと呼んでいます。

歩く瞑想
 連想や思考による妄想を止めるために、体を動かしてその
 実感を、今の状態を感じ、自覚することが重要です。
 これを体の動作中心の随観なので、”身随観”と言います。
 この気づき(サティ)を徹底的に連続させていくことが
 妄想に巻き込まれないための技術です。
 歩く足に気づき、「左」「右」「左」「右」・・・と
 簡単なラベリングを初歩段階とし、より詳細な気づきに
 進めていくようです。

さらに座る瞑想、立つ瞑想というのが続いて解説されて
いますが、先に述べた身随観に沿った解説が書かれてます。

私が質問したのは、ラベリングの中には、「考えた」というの
があり、やまがみさんの方法との類似性に興味を持ったため
です。

どうも、「思考から離れた状態」のとらえ方が両者の相違点
のように私には思えました。
ヴィパッサナー瞑想では、思考してない状態を「体の状態を
実感している状態」としているようです。
これに対してやまがみさんの言う思考してない状態とは、
アジズのステートオブプレゼンスを手本としているように
見えます。
果たして、この両者に違いがあるかが課題かと思い、
やまがみさん質問させていただきました。

いかがでしょうか・・・?
2012/12/10(月) 10:06:13 |URL|あまのん #- [編集]
つとむさんへ
そうですね。

ただ、淡々と、です。


ただ、淡々と、思考を観察しつづけていきましょう。


何も望まず、何も期待せず、ただ気づきつづけていくことに注意してください。
2012/12/10(月) 13:30:03 |URL|やまがみてるお #- [編集]
あまのんさんへ
紹介いただいた文章から、

ヴィパッサナー瞑想法は、

「集中よりも気づきを中心とする」こと

「日常の生活の中の気づきを意識する」こと

を強調している点で、とてもすぐれた方法の一つだと感じました。


ただ、ヴィパッサナー瞑想法では、

「連想や思考による妄想を止めるために、体を動かしてその実感を、

今の状態を感じ、自覚することが重要」と説いているところが、

私の方法との相違点であると感じました。



私は「連想や思考、妄想を止めるために、体の感覚に意識を集中する方法」ではなく、

「ただ、『思考に気づき、それをつづける』と、

ここでいわれている『連想や思考、妄想』は、自然になくなる」とお伝えしています。


そのほかの点でも、似通った点があるかもしれません。


・・・「> 果たして、この両者に違いがあるかが課題かと思い、」・・・


ただ私はあまのんさんとのこのような議論に価値を見いだせません。


それを「課題といいたい理由」について一度考えてみてほしいと思います。


あまのんさんは、「悟り」に興味があるのか、それとも、「悟りの理論、方法論」に興味があるのか?


私は、あまのんさんがこのような思考のざれごとの虚偽に気づき、

(この「ざれごと」こそが、あまのんさん〔あまのんさんの思考に気づいているべき意識、視点〕を、

その「思考のざれごと」へと取り込み、「悟り」〔ただ気づいている状態〕から遠ざけているのですよ)

そこから自由になり、

真の人生を生きるようになっていただけることのみに興味を感じます。


それには、あまのんさんが、どの方法でそれをおこなったのか、

どれが役に立ったのか、などには、いっさい興味がありません。


ヴィパッサナー瞑想法はすばらしいと思います。

けれども、いいも悪いもなく、私がお伝えしている方法は、

「思考を観察し、それをしつづける」という方法です。


人が悟りに至る道は、ほかの方法でもかまいません。

どの道も間違いではないことがわかっているからです。

それぞれの人に、それぞれの道があります。


ただそれだけ。


違いに着目したがっているのは、自我以外の何ものでもありません。
2012/12/10(月) 13:56:28 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさんに感謝です
やまがみさんに感謝致します。
ご意見を伺えて、本当に満足いたしました。
また、私の関心事について戯言とのご指摘を
受けました。
「何してるんだ、さっさと悟れ!」と叱られ
てる気分です。
やや誤解されてる感が残りますが、ご指摘の
主旨はごもっともです。有難うございました。
2012/12/11(火) 00:12:46 |URL|あまのん #- [編集]
ヴィパサナ・サマタ瞑想
初めまして。
限られたものではありますが、今までに二つの(違う流儀の)ヴィパサナ瞑想を体験しました。

ゴエンカ氏のものは、トール氏のインナーボディに気づいているというものに近いと感じます。

チベット仏教を基盤としたシャマタ・ヴィパサナ瞑想について、先生から伺った事を…。
まず、歩く瞑想では、足が床と触れる感覚に注意を払いますが、
マインドはあらゆる所にいってしまうのに対し、身体は常に今ここにしか存在できないからだそうです。
また座る瞑想では、呼吸に25%くらいの注意を払います。
通常、無意識に思考を追いかけてしまうことが当たり前になっているので、
自分を呼吸に連れ戻す事で、その限りない連鎖反応をストップさせ、今ここに連れ戻すという役目もあります。
瞑想中の雑音も同じように、思考の連鎖を絶つことがあり、自分を今ここに連れ戻す助けになります。
基本として、思考はどれも拒まず迎え入れるが、特別な注意を払わない
(気づいているが、思考を追いかけない状態)。
湧いてきて当たり前なので、それが湧いてきて去っていくことに気づく。
どの思考も特別扱いをしない。
(聖なる思考も下劣な思考も、どちらも思考というだけ。ただそのままにしておく)
呼吸を道具として使うのは、それが誰にでもある普通で当たり前のものであると同時に、
明らかに思考ではないので、(さまよった時の)参照点になるからだそうです。
目は半眼で行いますが、本来の自分はスペースであり(従って境界はないので)、
自分の身体の外のスペースを忘れてしまわない(自分の世界に没入してしまわない)為でもあります。
先生が使われる例えですが、
コップに入った濁った水(=思考まみれの私達)も、コップをじっと置いておくと、
やがて、濁りは自らの重さで沈んでいき、自ずと清浄な水が現れる…
その清浄な水が、本来の私達であり、ヴィパサナ(智慧・慈悲)であり、
何かを得る為に瞑想をするのではなく、元々誰にでも在るそれに気づく為のスペースを与える試みだと…。
そして何が起こっていようと、全身全霊で今ここにいるようになるためだと…。

只、はっきりと意識を体験として示してくれるという機会は、この瞑想会ではありません。
(勿論、この限りではないでしょうけど)
ですので、それをつかむのに、ちょっと時間がかかるかな?とも思います。

仏教でもゾクチェンは、最初から原初の境地を示してくれ、それをキープし続けるという修行がありますが。
やまがみさんのやり方は、大雑把に言って、こちらに近いでしょうか?
ヴィパサナも同じ所を目指している事には変わりないと思いますし、
また色々なやり方が示されているのは本当に有難いことだと思います。
個人的には、どれが本当に正しいやり方なのか?間違いたくない…という思考が取れた時、
楽になったと同時に、あらゆるものが助けになってくれている事に気づきました。

やまがみさんの悟りの直接伝授を含むブログも、大いに役に立っています。
心からお礼を申し上げます。





2012/12/11(火) 12:47:29 |URL|Jo #- [編集]
あまのんさんへ
こちらこそ、いつもありがとうございます。

私のことばが、強く感じられましたら、すみません。


思考は、それが虚偽であることに気づかれると困るので、

つねに私たちを思考する方向へといざないます。


そこからはなれ、ただ「観察し、しつづける」だけで、早いと三ヶ月、遅くても半年あまりで、

思考からはなれた視点が定着することが結果として表れています。


この観察をただするだけでいいのですが、

思考はそれを拒み、


この理論はどうだとか、思想はどうだと私たちを引き入れ、

そうして引き入れた期間は、ニセモノの命を生きながらえるのです。


誤解している面がございましたら、お詫びいたします。
2012/12/11(火) 17:50:18 |URL|やまがみてるお #- [編集]
Joさんへ
Joさんへ
はじめまして、コメントありがとうございます。

ヴィパサナ・サマタ瞑想の詳細な情報ありがとうございます。

体や感覚をとおしてそれをおこなっているところを除いては、
思考に対しての基本点は、私のお伝えしていることと近いことをお伝えしていると感じました。

それを、あえて感覚をとおしておこなっているのだろうと感じました。

> 基本として、思考はどれも拒まず迎え入れるが、特別な注意を払わない
> (気づいているが、思考を追いかけない状態)。
> 湧いてきて当たり前なので、それが湧いてきて去っていくことに気づく。
> どの思考も特別扱いをしない。
> (聖なる思考も下劣な思考も、どちらも思考というだけ。ただそのままにしておく)

私は思考を観察するときには、次のようにお伝えしています。

頭のなかに何かことばや映像が起こらないか観察します。
(視覚派の人は映像を体験します。聴覚派の人は思考として体験します)。
頭のなかのことばや映像に気づいたら、
その内容と変えようとしたり、止めようとしたりせずに、ただ観察します。

「つぎにその思考や、映像に気づいた意識、それ自体に意識を向けます。
その意識、その視点から、思考や映像を観察し、それに気づきつづけます。
その意識、その視点、その存在に慣れ親しみます」

頭のなかに浮かんだ、思考や映像は、しばらくすると自然に消えていきます。
頭のなかの思考や映像、それ自体には、いいも悪いもなく、それらはただ起こり、消えていくものだからです。

「   」以外の部分では、思考に対するとらえ方ですが、その部分は非常に似ていると感じました。

> 仏教でもゾクチェンは、最初から原初の境地を示してくれ、それをキープし続けるという修行がありますが。
> やまがみさんのやり方は、大雑把に言って、こちらに近いでしょうか?

この近いといわれているところが、「    」の部分なのでしょうか。

> ヴィパサナも同じ所を目指している事には変わりないと思いますし、
> また色々なやり方が示されているのは本当に有難いことだと思います。

私も、ここの部分がもっとも大切だと感じます。

> 個人的には、どれが本当に正しいやり方なのか?間違いたくない…という思考が取れた時、
> 楽になったと同時に、あらゆるものが助けになってくれている事に気づきました。

根っこのところでは、
どれがいいとか、すぐれているとかではなく、
自分の「悟り」には、そのなかの何が役にたち、
自分はどれを選択し、その道を歩むのか、が問われているのだろうと思います。

こちらこそ、詳細な情報、ありがとうございました。
2012/12/11(火) 18:27:37 |URL|やまがみてるお #- [編集]

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やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

 ご質問には、記事のなかで
 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

著書

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