意識の目覚めには、覚悟と努力が必要(2)
09-22(土)11時55分
こんにちは、やまがみてるおです。
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意識の目覚めとは、
「幻想の自分」である「自我」からの目覚めです。
けれども現代の私たちは、
この自我と完全に同一化しています。
自我こそが自分であり、自我こそが、
自分のすべて―自分の100パーセント―だと感じています。
自分の知らない自分の能力が、
自分を生かしていることには目を向けません。
私たちは、
自分自身が、自分の心臓を動かしていることを知りません。
自分が、自分の体を維持、機能させていることに目を向けていません。
体を活用することができていることは奇跡です。
(思った瞬間に手は動きます。目は見たいものをとらえ、
意識をすると、聞きたい音が耳に入ってきます。
走ることも、踊ることも、愛し合うこともできます)
自分の体が存在する奇跡に目を向けたことがあるでしょうか。
怪我をしても、骨折をしても、治すことができる能力。
出産もそうです。
ほかにもたくさんあることでしょう。
自分(顕在意識)の知らない、自分の能力に目を向けてみましょう。
顕在意識(個別意識)の届かないところに、私たちの存在は広がっています。
意識の目覚めは、
この個別の顕在意識(自我)だけが
自分のすべてだと感じていたことが
誤解に基づいてたことを理解し、
それ以外の自分の可能性に開いていくことによって起こはじめます。
けれども、
自我には、自分を90パーセントにしたり、
80パーセントにしたり、
60パーセントにしたり、
30パーセントにしたりする気持ちなんて、
まったく起こりません。
ましてや、0パーセントにするようなことは、
考えることすら、できないことなのです。
いいえ考えることはできるでしょうが、
けっして「では、やってみましょう」と思うようなことはありません。
(「では、やってみましょう」とは、出来事や自分の本心に対する操作性を手放し、
あるがままにゆだねて、その結果を観察してみることです)
成熟のあと、必要なことは、
自我に巻き込まれることが
自分の問題の原因であることを理解することです。
外側の世界に対して起こっていた欲求は、
すべて自我の欲求です。
一つの欲求が満たされても、
私たちが自我に巻き込まれているかぎり、
またつぎの欲求に巻き込まれ、
けっして満たされることはありません。
私たちは、外的世界に対する欲求が満たされても、
それによって自分が満たされることがないという経験をくりかえし、
これからもそれによっては満たされることがないことを理解すると、
外的世界に対する興味を失い、成熟の準備が整います。
ここから、私たちは興味の対象を外から内へと転換しはじめます。
「スピリチュアル」「精神世界」などと呼ばれているジャンルです。
けれども、この時点ではまだ、自我が自分(自我)のために、
外から内へと目を向ける方向を変えただけの話になります。
興味の対象が外から内へと転換されても、
その興味の対象を追いかけているのは自我です。
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自分(顕在意識)の知らない、自分の能力に目を向けてみましょう。
顕在意識(個別意識)の届かないところに、私たちの存在は広がっています。
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この個別の顕在意識(自我)だけが
自分のすべてだと感じていたことが
誤解に基づいてたことを理解し、
それ以外の自分の可能性に開いていくことによって起こはじめます。
けれども、
自我には、自分を90パーセントにしたり、
80パーセントにしたり、
60パーセントにしたり、
30パーセントにしたりする気持ちなんて、
まったく起こりません。
ましてや、0パーセントにするようなことは、
考えることすら、できないことなのです。
いいえ考えることはできるでしょうが、
けっして「では、やってみましょう」と思うようなことはありません。
(「では、やってみましょう」とは、出来事や自分の本心に対する操作性を手放し、
あるがままにゆだねて、その結果を観察してみることです)
成熟のあと、必要なことは、
自我に巻き込まれることが
自分の問題の原因であることを理解することです。
外側の世界に対して起こっていた欲求は、
すべて自我の欲求です。
一つの欲求が満たされても、
私たちが自我に巻き込まれているかぎり、
またつぎの欲求に巻き込まれ、
けっして満たされることはありません。
私たちは、外的世界に対する欲求が満たされても、
それによって自分が満たされることがないという経験をくりかえし、
これからもそれによっては満たされることがないことを理解すると、
外的世界に対する興味を失い、成熟の準備が整います。
ここから、私たちは興味の対象を外から内へと転換しはじめます。
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けれども、この時点ではまだ、自我が自分(自我)のために、
外から内へと目を向ける方向を変えただけの話になります。
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