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やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

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自我の願望の達成からは、真の幸福、真の満足をえることはできない

07-13(金)12時15分
こんにちは、やまがみてるおです。

ご訪問ありがとうございます。




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人生経験によって身につけた自分という感覚は幻想です。




自分という感覚の記憶が、

「私はこうである(私はこうあるべき)」や

「世界とはこのようなものである」という方向性

(一度成長しはじめると自然に成長する方向性をもった感覚)

を作りだしています。




「私はこうである(私はこうあるべき)」が自己イメージ、

「世界とはこのようなものである」という感覚が、私たちの世界観を作りだしています。




私たちは人生経験によって

自己イメージをつくりあげ、

この「私はこうである(私はこうあるべき)」という

自分の作りあげた制限のなかに生きています。





このような理由から私たちは

それぞれに無意識のうちに作りだした

「私はこうである(私はこうあるべき)」に

制限された範囲内で自分の人生の目標や夢、

仕事を見つけようとしています。




このような「私はこうである(私はこうあるべき)」の

範囲内で見つけられた願望が、自我の願望です。




「私はこうである(私はこうあるべき)」という条件があるため、

制限されており、操作的です。




私たち自身はというと、

自己の真の能力をどこかでわかっていますので、

このような制限された願望には心からの魅力

(真のモチベーション)を感じず、

それなりの対応で臨みます(もちろん無意識ではありますが)。




自我の願望ではあっても、

それがその人にとって必要な経験であれば、

現実化することもあります。

がもしも達成されたとしても、

自我の願望の達成からは

真の幸福、真の満足をえることはできません。




真の人生の目標、夢、仕事は、

そのように制限されたものではなく、

もっと遠大なものだからです。




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 みんなで世界観を転換しましょう♪

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コメント:

やまがみさん、こんにちは。

いつもありがとうございます。

人生の目標や夢、仕事は、充実した日常を生きる上で重要とだれもが考えていると思います。

そういうものが人生の早い時期にみつけられた人は、後の人生を豊かなものにできるのでしょう。

たとえ自我によるものであっても、そこに生き甲斐を感じられるのであれば、幸いなことのように思います。

むしろ不幸なのは、自我のレベルにおいてすら人生の目標や夢、仕事をみつけられない人の方ではないかと思います。

そんな人が今の日本には大勢いるのだと思います。

しかし、見方を変えれば、大勢の人が自我による幸福探しを終了し、悟りによる本当の幸せに目を向ける時期にあると言えるのかもしれませんね。

よく耳にするアセンションには諸説あるようですが、人類がもれなく悟りに至るというものがあるようです。

これはもしかしたら、今後より多くの人達が悟りを求めるようになり、世間において、より普遍的に認知されるようになることで、その価値がより重視される世の中になっていくことを指しているのかもしれない・・・と思いました。

2012/07/13(金) 13:52:26 |URL|おおの #- [編集]
おおのさんへ
こんにちは。

> 人生の目標や夢、仕事は、充実した日常を生きる上で重要とだれもが考えていると思います。

> たとえ自我によるものであっても、そこに生き甲斐を感じられるのであれば、幸いなことのように思います。

> むしろ不幸なのは、自我のレベルにおいてすら人生の目標や夢、仕事をみつけられない人の方ではないかと思います。

自我のレベルでさえも、見つけだすことができない理由は、今日の記事に書いたとおりです。

私たちは、自己の真の能力をどこかでわかっていますので、自我のレベルの

制限された願望には心からの魅力(真のモチベーション)を感じません。

自分には、もっと偉大なことができることがどこかでわかっているからです。


> よく耳にするアセンションには諸説あるようですが、人類がもれなく悟りに至るというものがあるようです。


人類はかつて天動説から地動説へと、世界観の転換を経験しました。

現代はこれが生命観に対して起こっています。


これまでは私たちはそれぞれの肉体と同一化し、それが人間のすべてと誤解して生きてきました。

いまはすべての生命が、宇宙そのものの現われだということを体験的に理解した人が増えてきています。

やがて生命観の転換が起こり、新しい時代が幕をあけるのでしょうね。
2012/07/13(金) 17:22:24 |URL|やまがみてるお #- [編集]
はじめて、コメ欄にておうかがいします。

自我が思う「私はこうであるべき」に制限された願望ではなく、本来の私の姿、能力を感じ取り、それをストーリーに盛り込んで臨むことは、可能ですか?
全てはまぼろしである、という言い方などありますが、幻の中で「本来の私」は何も望まないで、ただ幻の中に在るのですか?「望む」ということ自体ないのでしょうか

「人生経験によって身につけた自分という感覚は幻想」というのはわかるつもりなのですが、幻の中にあって、本来の私は、自身の大きな能力を知っているからモチベーションが上がらない、ならば、逆にその大きな能力に応えるようなモチベーションが上がる「こと」はあるのでしょうか?

あってほしい、という意味で問うのですが、「まぼろし」という定義の前に立つと、ではなぜ幻とわかって、幻に降り立つんだろうか??と堂々巡りがわいて、答えを欲してしまいます。

2012/07/13(金) 21:16:20 |URL|ごろにゃん #- [編集]
ごろにゃん さんへ
こんにちは♪

初コメントありがとうございます。

> 自我が思う「私はこうであるべき」に制限された願望ではなく、本来の私の姿、能力を感じ取り、それをストーリーに盛り込んで臨むことは、可能ですか?

ストーリーに盛り込んだ時点で、自我の操作性が働きはじめ、この操作性のために本来の願望も制限されることになります。

自我は制限されているゆえに、完全ではありません。
完全ではないゆえ、そこには私たちの求める完全な幸福はありません。

ただし、自我の視点でもそれが本当にその人の真の人生の目標であったとしたら、やがて自我はその操作性を手ばなすことになります。

「私はこうあるべき」に従いつづけて、そこに幸福があるか観察してみるとはっきりとわかると思います。

> 全てはまぼろしである、という言い方などありますが、幻の中で「本来の私」は何も望まないで、ただ幻の中に在るのですか?「望む」ということ自体ないのでしょうか

世界で起こる出来事、自分自身の存在を、まぼろし、ホログラムであるとわかりつつ、そのホログラムを生きるという感覚です。

まぼろしであると知りつつ、その瞬間瞬間に感じることに信頼してゆだねるという感じになります。

この「瞬間瞬間に感じることに信頼してゆだねる」とは、「本来の私の望み」だともいえます。

簡単にいうと、「頭で考えた欲求」(欲求とはいっていますが、実際は思考)ではなく、「瞬間瞬間に湧き起こる欲求」というべきかもしれません。

私は欲求を否定していません。真の欲求こそが私たちを本来の人生の目標に導くと考えています。

たとえば、「絵を描きたい」と感じても、私たちは、 「絵なんか描いてどうする? そんなことでお金を稼ぐことができるわけはないだろう!」という思考を信じます。

たとえば、その人の人生の目標が絵をとおして人々の役に立つことであるとしても、絵を描きはじめたからといってすぐにその人は絵で食べていくことができるようになるわけではありません。

けれどもその人は絵を描いている瞬間が幸せになります。そうして瞬間瞬間が幸せになることによって、人生全体が幸せになります。

自分が幸せに感じることに開いていくことをいっているだけです。

このような簡単なことをいっています。

> 「人生経験によって身につけた自分という感覚は幻想」というのはわかるつもりなのですが、幻の中にあって、本来の私は、自身の大きな能力を知っているからモチベーションが上がらない、ならば、逆にその大きな能力に応えるようなモチベーションが上がる「こと」はあるのでしょうか?

私は、これはすべての人にあると思っています。

まぼろしであることをわかっても、それが価値のないものだと私は感じていませんし、
逆に、まぼろしであるからこそ、可能性が広まったように感じています。

また自分の感覚としては、現象世界や体としての自分に対する重要性は引き下げられますが、
その背後のより価値を感じる「自己の本質」がそれにとって変わりますので、
自分や世界に振り回されることが少なくなり、
この世界の背後にある「自己の本質」が、この体をとおして生きはじめます。

> あってほしい、という意味で問うのですが、「まぼろし」という定義の前に立つと、ではなぜ幻とわかって、幻に降り立つんだろうか??と堂々巡りがわいて、答えを欲してしまいます。

「人生はリーラ(遊び)である」とか、「人生とは映画のようなものだ」などといわれますが、
もしも本当に私たちの本質が万能であったとしたら、万能のまま遊びに参加しますか?
万能で、この世界に誕生したとしたら、そこで遊びは遊びではなくなります。

そこには探検する場所は存在しません。

創造主は私たちをとおして、この世界で遊びたいのです。

そのために一度、自分の本質を忘れ(うまく自分をだまし)、あざむくことに成功しなければ何もはじまりません。
自分で自分をだまし、人生という冒険を楽しんでいます。


最近知ったのですが、もしも興味があれば、『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』という本をおすすめします。
2012/07/14(土) 00:50:44 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ふむふむ
完全に着ぐるみ(自我・肉体)の中の世界を
ベースにした視点、意識のありようのままでは
どんなことやっても、出る結果はその世界の
属性(恐怖、拘束、分離など)があるものしか
出て来ないっちゅう訳ですね。

巧妙なゲームですなあ。。。

「ザ・マネーゲーム」の本、
私も読みました(途中までですが(^^;))

みなさん言い方は違えど、同じ真理を
伝えられていて、本当に共に栄える時代に
入ったんだなーと実感しました。

素敵な週末を☆
2012/07/14(土) 01:08:37 |URL|ゆき@あむ禅ぶ録 #- [編集]
ゆき@あむ禅ぶ録さんへ
こんにちは♪

コメントありがとうございます。

> 完全に着ぐるみ(自我・肉体)の中の世界を
> ベースにした視点、意識のありようのままでは
> どんなことやっても、出る結果はその世界の
> 属性(恐怖、拘束、分離など)があるものしか
> 出て来ないっちゅう訳ですね。

けっきょく、色眼鏡をかけて世界を見ているかぎり、
色眼鏡の色に侵食されているということですね。

「ザ・マネーゲーム」の本、三日~四日まえに購入していま、二回目を読んでいるのですが、
書籍としてはもっともうまく読者を悟りに導いていると思いました。

何度も読み、著者の語る方法をことあるごとに実践することが大切かと感じました。

ゆきさんも、よき週末を♪

2012/07/14(土) 01:37:08 |URL|やまがみてるお #- [編集]
こんばんは
やまがみさん、今眠る前にこの記事を読んで、何だかあれ?と思いコメントをしたくなり、iphoneを持ち直しました(^◇^;)

変な事を書くかもしれませんが、宜しくお願いいたしますm(._.)m

真我は愛であり、いまここにある。私はただ気づいていないだけで、体感してないだけ。

真我を意識しようがしまいが、真の願いは全てを引き寄せていて叶っている。

願い、や願望がある!叶った!叶っていなあか!と言っているのは、エゴの願望で思考が判断し言っている。これは必要なら叶うし必要ではないなら叶わない。

だから、あるがままにを受け入れ、降参したら、真我の願いは全て叶っていて叶いつづけている?

力が抜けちゃったんですが、私は変なことを言っているのでしょうか?

上手く説明出来ていないかもしれませんが、宜しくお願いいたします。

PS. 何となく秘密コメにします。公開でもよかったんですが、力が抜けたのはなぜかわからないからなんです。
2012/07/14(土) 01:43:16 |URL|にこにこ #sBjP5IUU [編集]
?!
秘密コメに設定したと思いましたが、失敗してしましました!

でも大丈夫です!どうかとっても変なことを書いていましたら、秘密コメにお戻しくださいませm(._.)m
2012/07/14(土) 01:47:01 |URL|にこにこ #sBjP5IUU [編集]
にこにこさんへ
こんにちは♪
コメントありがとうございます。

> 変な事を書くかもしれませんが、宜しくお願いいたしますm(._.)m

まったく変なことではありませんし、もっともな疑問だと思います。

> 真我は愛であり、いまここにある。私はただ気づいていないだけで、体感してないだけ。
> 真我を意識しようがしまいが、真の願いは全てを引き寄せていて叶っている。

体感しているかしていないかはさておき、あるがままへのゆだねが起こっても、自我の人生はおわりません。

したがって、私たちは悟りのあと、何もしなくなるわけではありません。

> 願い、や願望がある!叶った!叶っていなあか!と言っているのは、エゴの願望で思考が判断し言っている。これは必要なら叶うし必要ではないなら叶わない。

あるがままのゆだねとは、出来事に対してもそうですし、自分の感覚に対しても起こります。

叶う叶わないは自我の判断であって、あるがままのゆだねのあとは、叶う叶わないは関係がなくなります。

あるがままにゆだねているのですから。

したがって、あるがままのゆだねによって私たちは、叶う叶わないではなく、心地いいか心地よくないかで判断するようになります。

自分の内側で感じる感覚にも、あるがままになります。(それまでは思考〔自我〕に操作されていました)

> だから、あるがままにを受け入れ、降参したら、真我の願いは全て叶っていて叶いつづけている?

真我は、人生をどう生きるかは、私たちに完全にゆだねていますので、その意味では、真我の望みは叶っているともいえるでしょう。

ただし私たちは同時にさまざまなレベルの役割を生きています。

生物としての役割―

食べたり消化したりして物質を循環させたり、呼吸をとおして酸素を二酸化炭素に転換したり。

や、

社会的な役割―

人としてほかの人との関係を築く。家族の一員としての役割や、会社の一員としての役割、国民としての役割、地球に住む一人の人としての役割。

や、

人生をとおして何を成し遂げるかという役割。


などのレベルの役割を同時に生きています。


真我は、私たちに完全にゆだねてくれてはいますが、それをとおして、あるがままの出来事をとおして、自分の人生で何を成し遂げるのかという役割を見つけるように促しているように感じます。

ですから、これに合致した人生を生きていないと私たちは、心地よく感じません。

> 力が抜けちゃったんですが、私は変なことを言っているのでしょうか?

あるがままの受容が起こると、人生(この世)に魅力を感じなくなることがあります。

そんな感じなのでしょうか?

2012/07/14(土) 03:20:10 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ありがとうございますm(._.)m
朝からドキドキしてこちらに参りました!

変な事を言ってなくて安心しました( ^ ^ )
そしてこんなに丁寧にお答え下さり感激です。本当にありがとうございます。

私、悟り体験に執着みたいなのはないんですけど、'悟り体験してないし〜〜'って時々逃げのように考えてる時があったんです。でも良いな〜と思うブログを読みつづけてるうちに、色んな角度色んな表現‥に出会えて幸せだなあ〜と感じています。

自我と共にこの世を生き歩む時、思考を無くす事も出来ないし、エゴの望みだってでてきちゃいますが、「心地よいか?」という大きな問いを自分にかけるのは、グイグイエゴの丸出しで「頑張り好き」「行動あるのみ!」で生きてきた私にとって、とっても素晴らしいヒントになりました。行動するのがポジティブで、しないのがネガティブっていう思い込みがあって、心地悪くて片頭痛とかのサインが来ているのに、「恐れを克服だ!にこにこ、行動だ!」と得た知識をとんでもない所で使う時があるんです‥‥。思考が作動する前の心地に注目してみます!!



仕事が終わったら、またこの記事や過去記事に戻っておさらいしたくなりました。

何度読んでも新たな気づきがあります。本当にありがとうございましたm(._.)m
2012/07/14(土) 11:12:39 |URL|にこにこ #sBjP5IUU [編集]
にこにこさんへ
こんにちは。

> 私、悟り体験に執着みたいなのはないんですけど、'悟り体験してないし〜〜'って時々逃げのように考えてる時があったんです。

みなさん、そうなのですが、悟り体験に期待が高すぎるのだと思います。

悟りとは、人間にとってもっとも自然な状態で、通常の思考がそれにとってかわっている状態のほうが、人間にとっては不自然な状態だと私は考えています。

> 自我と共にこの世を生き歩む時、思考を無くす事も出来ないし、エゴの望みだってでてきちゃいますが、

根本的に私たちは、思考を無くすことはできません。思考は悪いものではなく、思考に気づかずにそれと同一化することが問題の原因となります。

思考にただ気づいている状態が悟り体験です。

そのとき私たちは、思考をとめようとしたり、その内容を変えようとはしません。ただ気づくだけでいいのです。気づいている状態を悟りと呼ぶと理解し、その状態を評価しましょう。

私たちは思考が起こると、その内容に同一化し、思考にのっとられている傾向にあり、これが問題の原因なのです。

思考にのっとられて、たとえそれが自分にとって心地よくないことであっても、それを自分に押し付け、みずから苦しみをつくりだします。

ですから、心地よければ、行動しないのもよしです。

ほかの人の意見、視点、常識などをいっさい気にせず、自分の感覚を信じて生きましょうってことですね。

> 仕事が終わったら、またこの記事や過去記事に戻っておさらいしたくなりました。

そんなふうにいってもらえるのと、とってもうれしいです。

> 何度読んでも新たな気づきがあります。本当にありがとうございましたm(._.)m

こちらこそ、いつもほんとうに、ありがとうございます!
2012/07/14(土) 19:35:41 |URL|やまがみてるお #- [編集]
なるほどです!!
「思考にただ気づいてるのが悟り体験」

はっ?思考に乗っとられそう、深呼吸深呼吸!!

というのは多いです!

わかりました、やまがみさん!!にこにこ、プチ悟りの連続です!よくやってます!でっかいのドカーンだけが悟りではなかったですね♪♪

七月は行動するってまた無理にグイグイ頑張ろうとしていたようです。だから、何か変な感じになったからコメントをしたような気がします!!行動する、しないは心地良いか悪いかにまかせます♪

沢山の疑問を思い切って書いて良かったですm(._.)m

沢山ありがとうございました\(^o^)/
2012/07/14(土) 20:55:01 |URL|にこにこ #sBjP5IUU [編集]
やまがみさん

こんなに丁寧にお話ししていただいて、ありがとうございました。私も自分なりに答えを持っているから、問いがあるのだろうと思っています。自分の思考の中に渾然と紛れ込んでいる答えを、やまがみさんに問うことで「磁石でくっつけて取り出す」お手伝いをいただいているような感覚になりました。

他の方のコメントへの回答も含めて、ブログ記事で書かれていたことがより具体的に噛み砕かれて、説明いただけて伝わるものが多かったです。

ちょうどここ数日前から「マネーゲーム~~」の本を読んでいたところです。お金という切り口で書かれていますが、私が「こういうことではあるまいか?」と思うさとりや真理について、ぐいぐいと道を開いてガイドされるような感覚で読んでいます。

これまではコメント欄に目を通したことがほとんどなく、記事のみ読ませていただいていましたが、今回、いっそう理解を深めることができました。ありがとうございました。
2012/07/15(日) 00:04:52 |URL|ごろにゃん #- [編集]
にこにこさんへ
思考の内容を変えようとしたり、とめようとしたりはしないでくださいね。

ただ気づくだけ、そして思考に気づきながら、思考を観察してください。


思考の観察を、思い出す、思い出す、思い出す!


って感じです。


いつか思い出さなくても自然に観察している視点が定着すると、はっきりとわかりますので、

それが悟りです。
2012/07/15(日) 10:49:35 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ごろにゃんさんへ
そうですね。

答えは自分のなかにあります。

私たちが、完全にどっぷりとつかっていた世界をまぼろしだと感じてそこから(完全没頭型映画から)目を覚ますことは、ある意味ショッキングな出来事です。

けれどもそれこそが、人生の第二段階への入り口なのですよね。
2012/07/15(日) 10:54:06 |URL|やまがみてるお #- [編集]

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やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

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 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

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