誰でも「悟り」プロジェクト   意識の中心みいつけた!

やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

スポンサーサイト

-----(--)--時--分
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 |コメント:(-) |トラックバック:(-)


悟りとは、自分が死ぬということだったとしたら?

05-10(木)23時00分
こんにちは、やまがみてるおです。

ご訪問ありがとうございます。




*みんなで、人間本来の能力を取り戻し、

 すばらしい世界の創造に貢献しましょう。

 一日ワンクリック、応援おねがいします。

精神世界ランキング  にほんブログ村

はじめてお越しの方は、「こちら」を見てね。




悟りに対して、私たちが考えはじめたとすると、

その視点はまず自我の視点からはじまります。




自我(私)は何かを手に入れるために悟りを求めはじめます。

自我(私)は悟りによって何かが手に入るものと考えます。




悟りを求めても、そこに到達する人は、ほんの一握りの人なのかもしれません。

なぜなら、悟りとは、私(自我)をあきらめることだからです。

そこに到達できる人は、悟りによって私(自我)が消滅することに

ゆだねることができた人だからです。




その人は、悟りに対しても、外側の世界に対しても、何も求めなくなります。

私(自我)がいないのですから、当然ですよね。




それまで私(〇〇〇男、もしくは〇〇〇子)と思っていた人(求める人)は

もうそこには存在せず、何も求めていない人

(あるがままの出来事にただゆだねている人)

がそこにいます。




何も求めていないのですから、悟りに意味もありません。

けれども不思議なことに、その人は、

あるがままの出来事に完全にゆだねることによって、

それまでは自我が「NO!」と言ってはげしく抵抗していたような出来事が、

自分自身(自我のいなくなった自分)にとって、

よりよい人生へと導いてくれていたことを目撃します。




*質問:どうして「自我のいなくなった自分」にとってなのでしょうか?


 答え:自我にはこのことが理解できないため、

    自我(の思い・希望・願望)が捨て去られるまで

    はげしくこれに抵抗しつづけます。

    自我がこれに抵抗しつづけるかぎり、

    このことは永遠に目撃されることはありません。

    自我が捨て去られて私たちがこれを目撃すると、

    すでにそこに自我は存在しないからです。




*一日ワンクリック、応援おねがいします。

 みんなで世界観を転換しましょう♪

精神世界ランキング  にほんブログ村
 
このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事
スポンサーサイト


コメント:

私(自我)をあきらめることとは?
覚醒者の本等にも出てきますが、
よく分かりません。
私(自我)をあきらめることとは、
具体的ににはどのようなことなのでしょうか、
またどのようにしたら私(自我)をあきらめることが出来るのでしょうか?
2012/05/11(金) 17:12:27 |URL|KOJI #GCA3nAmE [編集]
そうですね
「自分」とは、本当は存在していない、そのことは丹念に調べてみてもわかりますね。その理解が起きて来ると、様々なことがわかり始めました。
2012/05/12(土) 07:45:00 |URL|ヒロ #- [編集]
KOJIさんへ
こんにちは♪

> 覚醒者の本等にも出てきますが、
> よく分かりません。
> 私(自我)をあきらめることとは、
> 具体的ににはどのようなことなのでしょうか、

自我の特徴は、自分が独立した行為者だと思っているところです。
自分が独立して、行為を行っていると考えることで、
自分の考えるとおりの展開を望みます。
これが、出来事に対する抵抗になります。

自分の考えているとおりの展開が起こらなければ、それに憤慨し、抵抗します。

自我をあきらめることとは、このブログのテーマである、
あるがままにゆだねることです。


具体的な行動とは、
あるがままのできごとにそのままにゆだね、
その結果がどうなるかを観察することです。

この観察で、自我の思いどおりにいかなくても、
自体はそれほど悪化していないことや、
より好転している可能性があることに気づきはじめると、
よりこれにゆだねられるようになります。

自我の抵抗には、エネルギーがいるため(外部との摩擦が起こるため)、
私たちのエネルギーは枯渇します。

あるがままにゆだねることができるようになると、このエネルギーが保存され、
ほかのことに使うことができるようになります。

> またどのようにしたら私(自我)をあきらめることが出来るのでしょうか?

ですから、あるがままにゆだね、その結果を見て
このことが確認されると、自我(出来事に対する操作性)は手放されていきます。

無理やり手放そうとするのではなく、あるがままにゆだね、その結果を自分の目で観察すること。
これをくり返すことで、しだいに確信されていきますので。
2012/05/12(土) 16:36:14 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ヒロさんへ
ヒロさんへ
すてきなコメントありがとうございます。

> 「自分」とは、本当は存在していない、そのことは丹念に調べてみてもわかりますね。その理解が起きて来ると、様々なことがわかり始めました。

「自分」と感じている部分が本質的には重要な意味をもたず、本当はこの本質面であったことに気づくことはとても大切なことだと思います。

けれども私たちはそれを、この肉体をとおして観察しています。
いまここにおいては肉体が存在しているのもまた事実です。

ですから私たちはこの本質の形態的な現われとして、いまこの体を生きており、
この体をとおして、この本質のために働いているのだと感じます。

これまではこの体の側面にだけ意識を向けていたため、これが問題の原因になっていました。
自分対他の分離の幻想のなかで生きていたためです。

自分の本質への目覚めは、私たちのこの体に対する誤解と、現実世界だけが100パーセントだと感じていた虚偽から目覚めさせてくれます。

もちろん本質面がベースとなりこの世界は成り立っていますが、その現われとしての現実世界もまた、楽しむに値する価値をもっています。

最近の私は現実世界とは、体にとってのテーマパークのようなものと考えてもいいのではないかと思っています。

私たちは本質の世界から、この現実の世界というテーマパークに、それぞれの目的をもって遊びにきているのです。

残念ながら人生の経験(自我の記憶のため)から、この目的をど忘れしてしまっていますが・・・(笑)。

それを楽しむのがその本質の現われとしての現実世界の私たち(体をとおして生きること)です。

この目的が、自分の心地いい感覚にしたがって生きることだと感じています。
2012/05/12(土) 16:52:08 |URL|やまがみてるお #- [編集]
こんにちは
私(自我)をあきらめる・・・

そうですね。
最近わかりはじめてきました。
以前は自我を観念を消していかないと真我には到達しないと思っていました。

そして自我、観念を浄化していくとストレスや問題も消えてなくなるとそう思っていました。

でもそういうことではなくて、
問題が起きてもその問題にエネルギーを注がなくなるということでしょうか?
その問題が気にならなくなってどうにかしようという気持ちがなくなるといか・・・

最近そんなふうに思います。
何が起きても大丈夫な自分というか、ブレないでいられる自分といか・・・



2012/05/13(日) 16:35:55 |URL|さおっち #- [編集]
さおっちさんへ
> 問題も消えてなくなるとそう思っていました。

問題とは、自我が問題だととらえているだけの、あるがままの出来事にすぎませんので、
自我が問題だととらえる限り、なくなりません。

このことが理解されて、ただあるがままの出来事に抵抗しなくなれば、
問題だととらえるような出来事はなくなります。

けれども、あるがままの出来事は起こり続けますので・・・。


> 問題が起きてもその問題にエネルギーを注がなくなるということでしょうか?
> その問題が気にならなくなってどうにかしようという気持ちがなくなるといか・・・

そんな感じですよね! ものごとは起こり続けますので、いいも悪いもなく、ただそれに対処し続けていくって感じですね。

> 最近そんなふうに思います。
> 何が起きても大丈夫な自分というか、ブレないでいられる自分といか・・・

もう、思考から離れてきているんじゃないですか?
2012/05/13(日) 23:33:57 |URL|やまがみてるお #- [編集]

コメントの投稿

  • URL
  • コメント:
  • パスワード
  • 秘密
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック:

トラックバック URL:http://oyamagamiteru.blog.fc2.com/tb.php/227-629a4aad
こんにちは、やまがみてるおです。ご訪問ありがとうございます。*みんなで、人間本来の能力を取り戻し、 すばらしい世界の創造に貢献しましょう。 一日ワンクリック、応援おねが...
2012/05/11(金) 01:56:36 | まとめwoネタ速neo

TOP

template designed by honome

FC2Ad

プロフィール

やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

 ご質問には、記事のなかで
 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

著書

『スターピープル vol.56』より、連載がスタート!

ぜひ、ご覧ください!

アクセスカウンター

カテゴリ

はじめての方へ―最初にお読みください (1)
応援ください (1)
日々感じたこと (56)
意識の中心―「ゼロ視点」 (19)
願望実現の真実 (31)
スピリチュアル (23)
自我―いつわりの自己 (88)
言葉・思考・概念のトリック (83)
「大いなる存在」につながる (9)
シンクロニシティ―「大いなるものの意図」 (5)
悟り―意識の目覚め (40)
いまここ―時間と空間の幻想 (13)
内なる声―感じる能力 (17)
癒し―感情からの解放 (25)
経済的豊かさについて (1)
常識の虚偽 (40)
記憶の糸 (1)
あるがままの受容 (14)
悟りの時代の訪れ (23)
スピリチュアル・エゴ (5)
私が人生で体験してきたこと (101)
悟りの誤解 (30)
エクササイズ (15)
まんが「悟り」プロジェクト (22)
「誰でも悟りプロジェクト」まとめ (13)
読者さんとの思考観察記録 (13)
著書 (1)
セミナー・ワークショップ・イベント (38)
動画 (2)
アート活動 (9)
お知らせ (6)
おすすめスピリチュアル・ティーチャー (14)
おすすめブログ (0)
ご縁 (1)
絵本の力 (1)
コメント欄の質問への答え (22)
「誰でも悟りプロジェクト」復習 (4)
メディア出演 (10)
真実を知っている視点 (8)
悟りへの3つのアプローチ (8)
邪悪への対処法 (3)
エゴ消滅のプロセス (18)
能力の目覚め (6)
自分の人生を生きる (10)
自責と他責 (6)
悟りの全体像 (23)

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

記事ランキング

カレンダー

08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

↓Twitter やってます♪↓

検索フォーム

QRコード

QR

ランキングサイト

精神世界ランキング にほんブログ村 人気ブログランキング FC2ランキング  ブログ総合ガイドの Lisme 精神世界サイトランキングTOP100 blogram投票ボタン

↓↓↓お気に入りのブログ↓↓↓

このブログをリンクに追加する

私の悟りに一役を買った書籍

やまがみてるおの書籍は、以下のインターネット書店でもご購入いただけます。

ブックサービス

お仕事のご依頼

セミナー・ワークショップのご依頼、 執筆のご依頼は、 こちらからお願いいたします。           担当:原田

名前:
メール:
件名:
本文:

Copyright

Copyright(C)Teruo Yamagami 2011-2015 All Rights Reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。