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私たちが、普通、人間と呼んでいるものとは

02-15(水)01時54分
こんにちは、やまがみてるおです。

ご訪問ありがとうございます。

はじめてお越しの方は、「こちら」をご覧ください。




アメリカの思想家エマソンは、直観的知覚の能力によって、

1840年代にすでに私たちが人間―自分自身―に対して誤って

理解していることを指摘しています。




 「われわれがふつう人間と呼んでいる者、

  食べたり、飲んだり、植えたり、勘定をしたりする人間は、

  われわれの知るかぎりでは、人間自身を表してはいず、

  人間自身を誤り伝えている(*)




この誤解が、人類全体の幻想であることは、

すでにいくつかの記事で学んできたとおりです。

「自我の役割」
 「人生のリーラ」
 「人生とは、私たちの自意識がつくりあげた意味づけ」
 「自我まみれ、バンザイ!」
 「(46)これが、私たちの自我 〔幻想の私の記憶〕 の形成された過程です」参照)





私は「人間に対する新しい認識」を、

ただ言葉を通してお伝えすることには、

何の価値も感じていません。




私たちの一人ひとりが、みずからの直観的知覚の能力で、

このことに目覚めていくことの重要性をお伝えすることを目的に、

お話させていただいています。




この直観的知覚の能力は誰にも備わっています。

それにもかかわらずに私たちがこの直観的な知覚の能力に気づけない理由は、

おそらく「これではない」という自我の期待のせいだと思われます。




エマソンは、私たちが仕えるべきものについて言を進めます。




 「そういう人間(私たちが誤解している人間)をわれわれは尊敬しないが、

  しかし彼が機関となって仕えている魂になら、

  もしも彼がその魂をおのれの行為によって現わしてくれれば、

  われわれの膝も折れようというものだ。

  人間の理知を通して呼吸すると魂は天才となり、

  人間の意志を通して呼吸すると美徳となり、

  人間の感情のなかを流れてゆけば愛となる(*)




エマソンがここで魂と呼んでいるものは、

私たちの永遠性であり、私たちの本質、「ワンネス」であると私は解釈しています。




自我は、それを自分の所有物にしようとしますので、

その概念で魂を理解しようとします。




けれどもじっさいは、その逆、自我が、魂の所有物です。




魂より現れ、その役割を終えたのち、ふたたび魂のなかへと還っていきます。




この私たちの本質こそが、私たちを通してこの現実の世界で働いているのです。




そして私たちはこれを忘れ、自我こそが主人であると勘違いし、

出来事に抵抗し憤慨します。




世界に抵抗し、憤慨すれば、

世界は思いどおりになるかもしれないと

ただ駄々をこねる幼児のように。




「そして―」とエマソンは続けます。「理知が勝手に何かになろうとすると、

とたんに意志は衰弱し始める。すべて改革というものは、何かある特定の問題で、

われわれをすみからすみまで魂の自由にまかせること、べつの言い方をすると、

われわれに服従の道を歩ませることをめざしている(*)




こうしてエマソンは、私たちに「服従の道」に歩むことの重要性を説いています。




「すみからすみまで魂の自由にまかせること」

―すみからすみまで「ワンネス」の自由にまかせる―

これは私たちがこれまで学んできたお決まりの言葉では、

「あるがままゆだねる」ことです。




エマソンがここで語る「服従の道」こそ、

私たちがこれまでずっと対話によってその価値を確かめようとしてきた

「あるがまま受容」です。




なぜ私たちはこれほどまでに「あるがままの受容」について語り合うのでしょうか?




それは自我の期待のせいで「これではない」と

いつまでたっても否定され、抵抗され、拒絶されているからです。




不足しているのは体験です。

体験するにはただ一つの方法しか存在しません。




「自我が嫌だと感じた出来事」に、ただ「イエス」と言ってみることだけです。




そうして、自分の身にいったい何が起こるかを観察してみてはいかがでしょうか。




それによって、どれほど「嫌な出来事」がつづくのかを観察してみるという方法です。




(*)『エマソン論文集(下)』岩波書店、1973年。「大霊」(‘The Over-Soul’ in Essays, First Series, 1841)13ページ参照。




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コメント:

自我という私
はじめまして。

最近こちらのブログを見つけて、少し読ませて頂いています。

阿部さんのブログは、詩的表現に私の認識が追いつかないらしく、解りにくい部分が多いのですが、こちらはいくらか私向けのようで、何とか理解できそうです。

「私は誰か」の問いに対する答え・・・私は私自身だ→自我である・・・という答え。

自我とは、個別意識であり、個別の存在を意味するものであり、捨てたり忘れたりするものではない、と思っています。

そして、その意識をタマシイで表せば「魄」ということになり、三次元の個別プログラムの付属品、となります。

その「魄」は、地球を形成する「魄(タマシイ)」と同じもので出来ていて、1回限りの使い捨てであるとされています。

人間の肉体(魄)は地球の付属物であり、人間の心(魄)とは、神の心(魂)のコピーであると言います。

自我とは、肉体の分離意識であるようです。

私に解るのはここまでで、解ると言っても言葉の上だけで、理解するにはまだまだ先が長いようです。

自我は、三次元では肉体の奴隷、四次元では孤独意識、五次元では霊(想像→創造)のイレモノとなる「道具」に過ぎないのだ・・・ということのようです。

要するに、「私(自我)」とは、個別であるが勝手に動けないシロモノらしいのです。

私が困る原因が、私にはタマシイなるものが三つあって(魂・霊・魄)、世間には二つ(魂・霊)しかないということです。

一般常識に割り込んだ(魄)なるシロモノは、何なのか? 疑問は尽きません。

2012/02/15(水) 04:29:35 |URL|ヒルコ #SFo5/nok [編集]
はじめまして
いつも読ませていただいております。

「自我が嫌だと感じた出来事」に、ただ「イエス」と言ってみることだけです。

実践してみます!φ(`д´)メモメモ...
2012/02/15(水) 07:16:10 |URL|yogitaka #- [編集]
ヒルコさんへ
はじめまして。
真摯なご意見、ありがとうございます。

私たちは、言葉を通して語り合うことしかできませんので、
それぞれの言葉に対する認識の違いが、
私たちを迷路へと迷い込ませます。

私が大切にしているのは、魂や霊などの言葉ではなく、
それが表しているもの、それ自体の感覚をどのようにして伝えるか、です。

このブログでの私の目的は、自我を否定するのではなく、自我とともに、
人生を謳歌する方法をお伝えすることを主題にしています。

けれども、それをお伝えする過程で、
私たちがあまりにも自我に完全に同一化し、
そこからの目覚めの可能性に気づかないことがあるため、
自我を完全否定しているような印象を与えかねない
語り方をしている部分が存在することも理解しています。

> 私が困る原因が、私にはタマシイなるものが三つあって(魂・霊・魄)、世間には二つ(魂・霊)しかないということです。

世間のことはお忘れになって、自分の感じるままを信じることをおすすめします。

医学は体をさまざまなパーツに切り分けて名前をつけます。

頭、目、鼻、口、耳、体、手、足。

けれどもこれらはバラバラの存在ではなく、「私」です。

医学がこれをメスでバラバラに切り分けることはできますが、そうすると、

それらはもう、それぞれの機能を果たしません。

それぞれにバラバラになったものを、さらにもっと細かく分類することも可能です。
いくらでも分類して、名前をつけることはできますが、
「真実」と「それを表す名前」とのあいだには何の関係もありません。

ヒルコさん自身が、魂、霊、魄という言葉で、何を感じているのか、
どの感覚を言っているのかに心を開いていくことが大切ではないでしょうか。


申し訳ございませんが、私は「魄」という言葉を知りませんでしたので、
そのような概念を持ち合わせていません。

ヒルコさんとこのことについて対話することは、より混乱を招くでしょう。

> 要するに、「私(自我)」とは、個別であるが勝手に動けないシロモノらしいのです。

私の経験では「私(自我)」は勝手に動けますが、
勝手に動くと(自我意識の思いどおりにことを運ぼうとすると)、
より困難な状況に直面することを体験してきました。

このため、これをお伝えするための方法の一つとして
「あるがままの受容」をおすすめしています。

私たちは普段、無意識に生きている傾向が高く、
このため、無意識に自我意識(私はこうである。私はこう思う)に
翻弄されている傾向にあります。

意識性が高まることによって、「自我意識の思いどおりにことを運ぼうとしたとき」と、
「あるがままにゆだねてみたとき」との結果の違いが、意識されるようになります。

そうして結果を見たら、私たちは自然に自分にとって利益のある選択をするようになります。

このために、無意識に生きる傾向から、意識性を取り戻していくことが重要だと私はお伝えしています。

意識性が高まることが悟りです。
2012/02/15(水) 14:40:01 |URL|やまがみてるお #- [編集]
yogitakaさんへ
自我はいつも、「いい」「悪い」の判断をします。

判断をせず、ただ観察してみてください。

「自我が嫌だと感じた出来事」にゆだねてみて、
その後、何が起こるのかを。

ほんとうに、もっともっと、大変なことが起こるのか、
それとも、それほど心配がなかったのかを。

「観察する視点」を大切にしてくださいね。
2012/02/15(水) 14:43:21 |URL|やまがみてるお #- [編集]
有難うございました
私は、人は自我に振り回されているのではなく、自我の存在を忘れているから、他人の言葉に振り回されているのだと解釈しました。

自我の存在に目覚めることが、体と心の分離意識だと思います。

これも、言葉の解釈の違いから起こるだけの問題ですが・・・。

人はなぜ、他人の言葉に右往左往させられているのか・・・それは「自分自身の心で考えることをしていない」からだと思っています。

善とか悪とか、決めているのは自分ではなく、他人の意見です。

他人の後に付いて行けば間違いないという安易さが、人道を踏み違えているのだと考えました。

私はずっと、人を見てきましたが、一般人と言える人は皆そうでした。

かろうじて、変人とされている人の方が、「自分自身」を確実に持っていると感じたのです。

私の主観は常識外れなので、人と同じ見方が出来ないのです。


2012/02/15(水) 15:28:24 |URL|ヒルコ #lICd2zaU [編集]
こんばんは♪

いつもありがとう☆

リンク、わたしも貼らせてくださいね!

鞍馬。楽しそう〜☆ 
2012/02/15(水) 19:56:41 |URL|Aya #- [編集]
ヒルコさんへ
ヒルコさんの意見は貴重だと感じました。

> 人はなぜ、他人の言葉に右往左往させられているのか・・・それは「自分自身の心で考えることをしていない」からだと思っています。

私はそれを、「思考から離れた意識」や「観察者の視点」と呼んでいますが、まさにそのとおりだと思います。

> 他人の後に付いて行けば間違いないという安易さが、人道を踏み違えているのだと考えました。
> 私はずっと、人を見てきましたが、一般人と言える人は皆そうでした。

私たちはみな、そのように教育され、飼い慣らされているのです。

> 善とか悪とか、決めているのは自分ではなく、他人の意見です。

ただし、それを受け入れているのは、本人の意思(無意識ではあっても)であることを忘れてはいけないと私は思います。
もとは他人の意見ではありますが、それを自分の意見にしているのは、その人自身(の無意識)だと私は考えています。

> 私の主観は常識外れなので、人と同じ見方が出来ないのです。

ヒルコさんは、一般的な視点から見たら、常識外れですが、
常識のほうが誤りであることに、私たちはいま気づきはじめています。
2012/02/15(水) 21:10:30 |URL|やまがみてるお #- [編集]
Ayaちゃんへ
こんにちは♪

コメント、リンク、ありがとうヽ(*´∀`)ノ

鞍馬、とっても楽しかったですよ♬

Ayaさんとも、ぜひお会いしてお話したいです(*^▽^*)


2012/02/15(水) 21:22:43 |URL|やまがみてるお #- [編集]
自作? ビバッサナー
いつもお世話になります。
少しテーマから外れてしまうのですが・・・。

人が今こうして生きていることは、無為自然というより有為自念? に近いのではと思います。
意識があるという事は、それは顕在意識であり自我意識のことになると思います。
阿部さんが言われてましたが、私達はこの世という舞台で演技(行為) をしてるのだと。
つまり、主役(行為者) となって無自覚に演技(行為) しているのだという事でしょう。

このように主役となって演技しているのを観察(自覚) するのが、観察訓練(ビバッサナー)と思われます。
やがてそこに、未知なるものが現れるそうですが・・・。
ゆえに、この様に観察意識で在れ、という事が諸々の本に書かれて有ります。
でも、自己と分離したようなこの様な意識を永く保持する事は、自分には容易ではないと気が付きます。
というか、これは悟りのためには時間の犠牲もやむを得ないという様な、今を疎かにしたような方法にも思えて来ます(汗)
ではもしも悟らなければ、全く無意味な時を過ごした事に成り、絶対という保障はないのですから、このまま追求しても自己はそれ良しとしなくなるのではないかと思われます(爆汗)

ならば、常にカルマ(不安、恐怖、ストレス等) に染まるのは行為者(無自覚な演技者) であるなら、単にその演技者を楽しめば良いのかと思います。
それは、今ここで演技者を自覚して演技して行くこと、つまり自己なる演技者として今この時を楽しみながら生きて行くという自覚(自己の演技活動を、自覚を持って楽しむこと) と言えば良いでしょうか。
ここには、ビバッサナー観想のような狭い範囲の内観ではなくて、演技している全て、つまり自己の内外の全体(指の先から足のつま先までの身体演技の観照や、想念や思考などの心の演技の観照) を見渡す様な幅広い自覚状態があるので、これをやりながらでも日常生活には何ら支障を来たさないものと思えてしまいます。
そしてこれを試みれば、そこには自己との分離感は無く、今この時が充実していて、そしてただ背後に観察者を認めるのみになる様なんですが・・・。

でも、やはりこれは単なる自分の妄想なのでしょうか!? (爆汗)
たいへん分かりづらい文章でしょうけど、よろしくお願い致します。

2012/02/15(水) 21:41:37 |URL|おわら #Yp1Cwv1I [編集]
ウフフ♪
4月大阪行く予定♪
2012/02/15(水) 22:36:32 |URL|Aya #- [編集]
健康促進
今日のテレビで体の糖化ということに関して放送してまして、
で、最初の頃に出てきたのが62歳のじっちゃんで、自分は病気一つ無くってすこぶる快調で、健康診断で健康優良児と言われたそうです。20代前半と言われたそうで、診断証も見せてました(汗)

ところで、体の糖化現象というのは最近話題に成って来た様で、酸化現象より怖いらしいです。
早い話が老化現象のことで、しみ、しわ、たるみ、動脈硬化、心筋梗塞、脳卒中、アルツハイマーなど等、挙げればまだ沢山出てきます。

で、予防はどうすれば良いかと言いますと、グレープフルーツやミカンなどの柑橘類を食後のデザートとしてではなく、食前に採れば糖化を防ぐ事が出来るそうです。
で、このじっちゃんはお百姓さんのようでして、カモミールというハーブの栽培をしているとのこと。
そして、この根っ子や葉っぱ、花などを乾燥させて作ったハーブティーを毎日二度飲んでるそうです。
訪れた女性記者は、その甘さと芳しい香りに、目を細めてた次第です。
毎日の健康にいかがでしょう。

要らぬお世話でした(汗)

2012/02/15(水) 23:42:02 |URL|おわら #Yp1Cwv1I [編集]
おわらさんへ
こんにちは♪

コメントありがとうございます。

私たちは、もしも悟らなくても、じっさいには、それほどの大事には至りません。
けれども、自我は、それを大事ととらえるでしょうが・・・。

自我が、これ(悟りが起こらないことや、肉体が死〔自我が死滅〕すること)は大事だととらえたとしても、じっさいには大事ではありませんので、
悟らなくても、私たちはそれほど大変なことに巻き込まれることはありません。

ただ、悟りが起こり、自我(有限な自己)から真実の自己(永遠性)へと目覚めていくと、
有限な自己を生きながら私たちは、永遠性とつながり、有限ゆえの苦難から、離れた視点で生きることができるようになります。

ですから、悟りが起こらなくても、無意味に人生を過ごしたことにはなりませんので、精いっぱい、いまを大切にして生きてください。

おわらさんがここでお話されているような何らかの内観を通して、背後の観察者を認めるようになられるのならば、しばらくそのような観察をされることはよいことではないかと思います。

私たちは、最初のうち、自己の背後の観察者の存在につながっても、すぐに思考に巻き込まれ、この観察者の存在を忘れます。

そうしてまた思考と同一化した生活をし、何らかのきっかけでまた観察者の存在を思い出し、それにつながります。

こんなことをくり返して、やがて自己の感覚が、思考から、観察者の方により多く移行していきます。

観察者が主になり、その後は、思考に巻き込まれることがめっきり少なくなります。

ハーブティーのお話もありがとうございました。
ハーブティーは、体にいいのですね(^▽^)
2012/02/16(木) 00:26:15 |URL|やまがみてるお #- [編集]
Ayaさんへ
うわーい(*^▽^*)

ぜひ、日程決まったらお教えくださいね

ぜひ、ぜひ、お会いしましょうヽ(*´∀`)ノ
2012/02/16(木) 00:28:37 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ご返事どうも
ご返事、有難うございます。

一応、好きな様にやってみようかと思う次第です。
カモミール茶、通販で取り寄せようと思ってます。
癒しの万能薬とも言われてる様です。

誠に有難うございました。
2012/02/16(木) 12:16:35 |URL|おわら #Yp1Cwv1I [編集]
おわらさんへ
そうですね、好きなようにやるのが、一番ですね。

また何か変化とか気づきとかありましたら、教えてくださいね(*^▽^*)

カモミール茶の効果も。
2012/02/16(木) 21:06:56 |URL|やまがみてるお #- [編集]

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やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

 ご質問には、記事のなかで
 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

著書

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ぜひ、ご覧ください!

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