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やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

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悟りの誤解

01-24(火)01時58分
こんにちは、やまがみてるおです。

ご訪問ありがとうございます。

はじめてお越しの方は、「こちら」をご覧ください。




悟りは、普通の状態です。




自我が消失していく過程も、

それは極端なものではなく、

自然に起こります。




これは私たちの自己意識には、

気づかないようなゆるやかな過程として進行します。




この過程が徐々に進み、やがて自我は完全に消失します。

そしてある日、気がついたときに、

突然自我が存在しなくなっているように私たちには感じられます。




このため突然起こったように感じるのですが、

じっさいには自然な過程として起こります。




悟りに、自我はイメージづけをおこないます。

「悟りは、すばらしいものである」

このようなイメージが悟りに付与されると、

ただの普通の状態である悟りの状態は、

けっして気づかれることなく、

たとえ起こっていても、

かんたんに見すごされてしまいます。




悟りとは、悟りに対する期待が、

すべて自分の期待であったことに気づき

「いま生きているこの状態」が、

「『いまここ』のあるがままの状態」が、

「いままでとまったくおなじであるこの状態」が、

すでに悟りであったことに、私たちの自身が、気づくことです。




私たちの思考は「そうではない」と宣言し、

自分の期待(思考が信じていること)を悟りに投影して、

その存在しない状態を妄想してあるがままの状態に抵抗しているからです。




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コメント:

お久ぶりです。^^

なるほど、これは大事な指摘だと思います。

一方、悟りと言う言葉は、元来仏教の用語のように思います。
私は、苦しみから解放される、という条件といいますか規準といいますか、そういう角度の視点もあったほうが分かりやすいかな、と思います。

実際、釈迦はドゥッカ(苦)からの解決を求めて修行の旅に出たとされていますし。

そして、もう一つ、やまがみさんの定義もあります。

「悟りとは、それまで同一化していた思考から、意識が分離して定着した状態を言います」。

思考が苦しみなのですから、これで解放されるのは当然ですけどね。

たまには、外野から野次をとばしてみました。 お許しを・・。^^

2012/01/24(火) 11:53:46 |URL|ムシコウ #- [編集]
ムシコウさんへ
ムシコウさん、こんにちは♪

貴重なご意見、ありがとうございます。

自分が語る言葉は、どうしても自分の視点を中心にしていますので、
自分の考える「ほかの人にとっても、わかりやすいであろうと思っている表現」が、
かならずしも、わかりやすいわけではない、ということなのですよね(^^ゞ

ほんとうに貴重なご指摘ですね。

> 私は、苦しみから解放される、という条件といいますか規準といいますか、そういう角度の視点もあったほうが分かりやすいかな、と思います。

ムシコウさんが、ここでどのようなことを考えておられるのかが、まだピンときていないのですが、これから、少しずつ考えていってみますね。
2012/01/24(火) 14:21:46 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やががみさん
いや、たいした指摘をしたわけでもないです。

苦しみがなくなった、という自覚があったら、これはそれなりの悟りではないでしょうか?

勿論、意識が思考から分離していれば、当然苦しみから解放されますよね。

逆に、まだ苦しみから解放されていなければ、それは悟りとは呼べない、と私には思われます。

これはこれで、分かりやすい判断基準かと思います。

ちなみに、私はまだ苦しみから解放されていません。^^笑

2012/01/24(火) 15:30:00 |URL|ムシコウ #- [編集]
ムシコウさんへ
今回いただいたコメントから、また少しわかってきました(^▽^)/

> 苦しみがなくなった、という自覚があったら、これはそれなりの悟りではないでしょうか?

悟りによる、苦しみからの開放とは、苦しみが起こったときに、それに巻き込まれない意識状態のことです。

> 逆に、まだ苦しみから解放されていなければ、それは悟りとは呼べない、と私には思われます。

悟りのあとも、苦しみの出来事は起こりつづけます。
悟りは、苦しみの出来事が起こらなくなることではありません。

苦しみから開放されないかぎり、悟りではないという定義が、ネックになっているのかもしれません。

悟りのあとも、「苦しみは起こりつづけます」

ただ、苦しみが起こったときに、巻き込まれていない状態に、意識的(意図的)に、もっていくことができるようになります。これは、選択の問題です。

ここに気づいたときに、悟りが起こるのかもしれませんね。
2012/01/24(火) 15:50:50 |URL|やまがみてるお #- [編集]
もう少し反論させてくださいね^^
>悟りのあとも、苦しみの出来事は起こりつづけます。
>悟りは、苦しみの出来事が起こらなくなることではありません。

苦しみは思考によって起ります。
出来事は、単に出来事です。
苦しいかどうかは思考が決めています。
ですから、意識は苦しまない。


>苦しみから開放されないかぎり、悟りではないという定義が、ネックになっているのかもしれません。

苦しむのは思考です。
それを見ているのが意識です。
悟ると、意識が「私」であり、思考と距離ができます。


>悟りのあとも、「苦しみは起こりつづけます」

ここにくいちがいの問題がありそうですね。
「苦しみは起こりつづけます」これがいわゆる意味解釈というものだと思うのです。
出来事は起るでしょう。
しかし、それを苦しみと判定したり、感じたりするのは誰でしょうか?


>ただ、苦しみが起こったときに、巻き込まれていない状態に、意識的(意図的)に、もっていくことができるようになります。これは、選択の問題です。

そうなのですが、これは選択の問題ではないと思うのです。
ここが悟っているか、悟っていないかの問題なのだと思います。
意識が思考から離れているか、同一化してしまっているかの問題、と言ってもよいでしょう。

>ここに気づいたときに、悟りが起こるのかもしれませんね。

そうありたいです。
遠慮しないで、横綱の胸を借りるつもりで反論しましたが、これが悟ってない者のやり様と笑ってください。
2012/01/24(火) 16:16:49 |URL|ムシコウ #- [編集]
ムシコウさんへ
真摯なご意見、ありがとうございます(^^ゞ

> 「苦しみは起こりつづけます」これがいわゆる意味解釈というものだと思うのです。
> 出来事は起るでしょう。
> しかし、それを苦しみと判定したり、感じたりするのは誰でしょうか?

そうですね。
出来事は起こりつづけます。
出来事には、本来、いいも悪いもありません。

それを、苦しみととらえているのは、起こった思考に「無意識に」同一化した意識です。

>ただ、苦しみが起こったときに、巻き込まれていない状態に、意識的(意図的)に、もっていくことができるようになります。これは、選択の問題です。
> そうなのですが、これは選択の問題ではないと思うのです。
> ここが悟っているか、悟っていないかの問題なのだと思います。
> 意識が思考から離れているか、同一化してしまっているかの問題、と言ってもよいでしょう。

では、同一化はなぜ起こるのでしょうか?

同一化の原因は、私たちの無意識です。

意識することは、自分の選択権であると私は思います。

頭のなかに思考が起こるのを意識して観察すると、思考はなかなか起こりません。
それは、しっかりと意識しているからです。

そのときには自分でその状態を選択しているからです。ただし、日常には忘れます。
けれどもこれは、日常には、意識できないということではありません。
ただ、日常中には、その選択を怠っているとも言えるのではないでしょうか?

少し厳しく聞こえたら、すみません。

私の場合は、悟りが起こるために、非常に大きな辛い経験を必要としました。
このような経験をすると、やむを得ず人はいやいやながらにこの選択権に気づきます。
(阿部さんも、雲さんも、ともにこのことを「DVD阿雲の呼吸」のなかで告白しています)
私もおなじようにしてそのような大きな苦しい出来事によって、気づかされました。

思考が起こったときにすぐに気づくこと、同一化が起こるまえに気づくこと、
みずから意識すること(意識することは、自分の選択権です。この選択)で、これは解決可能でもあることではないでしょうか。

2012/01/24(火) 18:24:48 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ムシコウさんへ、追伸
これは、私の意見です。

人はみんな、それぞれのペースで悟りに近づいています。

みんなが、違う意見であってもいいものですので・・・。
2012/01/24(火) 18:27:51 |URL|やまがみてるお #- [編集]
やまがみさんへ
ありがとうございます。

議論に勝とうなどとは思いません。^^

相手がやまがみさんなので、結構安心して突っ込んでみました。

勿論、見解の相違はありますよね。

自由意志について。
これは、論じないほうがいいですね。笑
2012/01/24(火) 19:36:04 |URL|ムシコウ #- [編集]
ムシコウさんへ
こちらこそ、感じるままを、
正直にお聞かせいただけたこと、感謝しています。

ムシコウさんのおかげで、
自分の伝えたいことを、どのように伝えるべきなのか、
まだまだ検討の余地があることがはっきりとしました。

ほんとうに、ありがとうございました)^o^(
2012/01/24(火) 20:51:14 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ヤマガミさんとムシコウさんへ
おふたりの討論(?)、凄く面白く読ませて頂きました。
とても勉強になりました。(*^_^*)

ありがとうございました。
2012/01/26(木) 17:32:32 |URL|きのこ #- [編集]
きのこさんへ
コメントありがとうございます。

ムシコロさんが、感じるままに疑問をぶつけてくださったおかげです。

話しながら、書きながら、対話のおかげで、自分の伝えたいことが鮮明になっていくことを経験します。

ムシコロさん、もしも失礼があったら、お許しくださいね。
2012/01/26(木) 20:27:20 |URL|やまがみてるお #- [編集]
浜辺の足跡
【浜辺の足跡】

(詩 マーガレット パワーズ  訳 中野裕弓)

ある日私は夢を見ました。
浜辺を神とともに歩いている夢を。

海の向こうの大空に、私の今までの
人生の光景がはっきりと写し出され
どの光景の前にも、浜辺を歩いている
神と私の二組の足跡がありました。

最後の光景までに振り返ってみると
ところどころ足跡が一つしかないことに
気づきました。

そして、それはいつも私が苦境に落ちて
悲しみに打ちひしがれているときでした。

私はあえて神に尋ねました。

「私があなたについていくと言ったとき
 いつも私のそばにいてくださると約束されたのに
 どうして私が一番必要としているときに
 私を見放されたのですか?」

神は答えておっしゃいました。

「私の大切な愛しい人よ。
 私は決してあなたのそばを離れたことはない。
 あなたが見た一つの足跡
 それは苦しみや悲しみに傷ついたあなたを
 そっと抱き上げて歩いた私の足跡なのだ」

と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

やまがみさん♪ こんにちは(*´∀`*)

私は「悟り」という言葉を知りませんでした。
求めてもいませんでした。

でも・・・なぜかいつも一緒にいる「不安」や「恐怖」や「苦しみ」から解放されたくて、楽になりたくて、いつのまにか神さまを求めていました。

助けてほしかったし、楽になりたかったからです。

で、神道の世界では多分・・この仏教用語の「悟り」という意味と同じ意味の言葉が「神人合一」という言葉だと思います。

本当の自分は(本質の自分は)
純粋無垢な神だった!と知る。
そして本質そのもので生きる。
これが神人合一。

で、ある日、この↑の「浜辺の足跡」という詩と出会い、そこで

あ”ーーー!そうか!
苦しいのは神さまに愛されている証拠なんだ!!!と気づきました。
苦しいときこそ神さまが私を抱き上げて、お一人で歩いてくださっているときなんだなぁ~と思いました。
(このとき自我は暴れます。もがきます。だって動けないんだものねぇ~(*´∀`*))


ならば!(抱きあげてくれてるときならば!)

この苦しみの原因はなんだろ?
どこに気づきなさい♪と神様は、おっしゃっているのだろう?と いつのまにか考える癖ができて・・・
自分の自我をみつけるとき♪と考えるようになりました。

その都度、その都度「苦しくなる」たび、苦しい現実物語を頂くたびに考えました。

すると「あ!これか!」と、気づくたびに苦しみから解放されました。

まるで神さまからの宿題のように、気づくたび苦しみから解放されるのと、気付けた喜びでいっぱいになりました。

(今から思うと、この心の行為↑は、自分の自我に気づき、自我を手放すものでしたねぇ~)

そんな日々を過ごしているうちに・・・

これまたいつのまにか、この「宿題」を解いていく楽しみを覚えました。

まるで自我の思い込みを1つ見つけるたびに「宝探し」をして「宝を発見した」\(^o^)/ような喜びをもつようになりました。そんな考えに変わっていきました。
       ↓
「苦しいときは抱き上げて頂いているとき♪」
「苦しくなる!ということは愛されている証拠」


それでも、それでも、苦しいときは「苦しいーー!」と駄々をこねまくり、「なんとかしてーー」と大声で叫び 笑
時には神さまにも文句を言い(^v^)

いつでも本音しか言わない!!!!!

滅茶苦茶カッコ悪いやんちゃな大人になっちゃいましたが・・汗♪

それでも、どうにか・・(-_-;)汗
みんなに許してもらい、可愛がられて生かして頂いています。

無邪気な大人でいいんだなぁ~
神さまに文句言ってもいいんだなぁ~
神様はゴンタのほうがお好きと言ってたなぁ~
素直な本音を、いつも正直に言う大人でもいいんだなぁ~
大人っぽくない、子供っぽい大人でもいいのか~~\(^o^)/

そして「これ」が本質の私なんだ~~と勝手に思って
、今は、楽で正直な本音のみで生きてます。

「したいときに、したいことを」です。

前は、これ↑がいけないことだ!と思っていましたし、そんな生活できるわけがない!

立派な大人にならなければ!(社会性が大事!)

でしたが・・・

今やっと「わたしらしく」を自分に許し、家族にも、その都度、素直な本音を話して

【楽之真也!】で、無理のない、正直な気持ちで生かせていただいています。


わたし、ムシコウさんの文章とてもよく理解できます!
素直だなぁ~と、むしろ感動しました。

ムシコウさん、もし良かったら、やまがみさんに個人的にメール送ってみるといいですよ。

わたしもそうしてみて「わかった」こと沢山ありましたよ。

ブログは、どうしても公の場だから、言葉のニュアンスが少々変わるように思います。

わたしも、やまがみさんに個人的にメール送らせていただいて、はじめて、素のやまがみさんをもっと理解できたこと沢山ありましたし、すっごく嬉しかったです(*´∀`*)

これも、やまがみさんの大きく温かな人柄のおかげです。(*´∀`*)

おせっかいおばさんで、すみません。。。。





ps:やまがみさん、贈り物もうすこし待っててね♪




2012/01/28(土) 07:46:54 |URL|みどり #- [編集]
みどりさんへ
こんにちは♪

この詩は、私も何かの本に引用されていたのを読んだことがあります。

「悟り」という表現も、「神人合一」という表現も、
どちらも体験がともなってはじめて理解できてくることなのですよね。

体験が進んで、ほかの人が語っていることの意味がわかってきたり、
同じものを体験しているから、
「神人合一」とかいう言葉が何のことを言っているのかがわかってくるのですね。


悟りが起こっても、性格を変える必要はないのだと感じています。

悟りをひらいていても、怒りっぽい人はすぐに怒ります。
ただ自分が怒っていることに気づいおり、
それを正直に表現します。

それまでは、自分が怒りを感じたときには、
怒りを押さえこもうとしたりしていたかもしれませんが、
もう、その怒りを正直に感じ、表現しますので、
自分(観察者の視点)を見失うほど巻き込まれることはありません。

正直な本音のみで生きて、楽になっていきます。

ムシコウさんは素直に感じるままを話してくれる方ですよね。


PS:いつまででも待っていますので、ゆっくりしてくださいね(^▽^)/

2012/01/28(土) 23:52:57 |URL|やまがみてるお #- [編集]
こんにちは。
昨日、大学のゼミの教授と自我の話をしていて、
教授が、自分なんてないのかもしれない・・とつぶやいていて、
今日、この記事を読んで、それがちょっと腑に落ちました。
今を想わず、未来を想うあまり、苦しくなるんですよね・・わかってるんだけど・・・笑
2012/01/31(火) 17:28:35 |URL|みらん #- [編集]
みらんさんへ
こんにちは♪
コメントありがとうございます!

すてきな気づきですね。

最初は、頭の理解として起こるかもしれませんが、
最終的には、それが体験として理解されるというようなことが起こりえます。

でも頭で理解したり、そう信じようとすることは、逆にまた苦しみの原因になりかねません。

これが、「わたっているんだけど・・・」っていう状態ですよね。


それもまたゆだねて大丈夫ですよ。

それぞれの人のペースで、それが進行しますので(^▽^)/
2012/01/31(火) 17:51:27 |URL|やまがみてるお #- [編集]

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やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

 ご質問には、記事のなかで
 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

著書

『スターピープル vol.56』より、連載がスタート!

ぜひ、ご覧ください!

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