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あるがままの世界に価値が見失われたら 〔7〕 自我が本来の役割に従事しはじめるとき

01-11(水)22時11分
こんにちは、やまがみてるおです。

ご訪問ありがとうございます。

はじめてお越しの方は、「こちら」をご覧ください。




あるがままの展開に価値が感じられなくなる理由は、

何をやったとしても、またやらなかったとしても、

結果が同じだとしたならば、何もする気が起こらなくなるからです。




なぜ、悟りが起こると、あるがままの展開にゆだねるようになるのでしょうか?

なぜ、宇宙はあるがままの展開であると感じるようになるのでしょうか?




悟りが起こるまでは、私たちは、

過去の経験からつくりあげたニセモノの自己像

(自我、〇〇〇男という概念〔もしくは〇〇〇子という概念〕)

に乗っ取られ、そのイメージに合わせた行動を無意識に生きています。




ニセモノの自己イメージの信じていること以外の出来事が起こると、

全力で抵抗します。

そうしないと、ニセモノの自己イメージが維持できないからです。




たとえば、もしも何らかのトラブルに巻き込まれたとすると、

法律(社会的ルール、自分の信じていること)をもとにして

自分の正しさを証明しようとするでしょう。




何度も言いますが、トラブルに巻き込まれたときに

泣き寝入りすることが、あるがままの受容ではありません。




トラブルに巻き込まれたとしたら、そのときに、

自分の感じることに正直に生きること、

素直に表現することが、ここで語っている「あるがままに生きる」です。

(これは怒りに任せて報復活動に出ることでもありません。

 怒りを感じたなら、怒りを感じた事実をあるがままに伝えることを言っています)




この知らず知らずのうちにおこなっている

ニセモノの自己イメージ(自我)の抵抗が、

外側の世界のあるがままの展開を妨害しているのです。




悟りが起こる以前は、私たちは世界のあるがままの展開をゆるさず、

つねに抵抗を試みます。

気に入らないことが起こるとすぐに「NO」のカードを提示して、

外側の世界の出来事(相手の行動・社会の反応)を

変えようと働きかけます。

自分以外の誰かの行動に対して、環境の変化に対して、

さらには自然現象に対してまで。




ではここで、すべての人が自分以外の人の行動を、

自分の思いどおりに変えようとしている世界を想像してみましょう。




「あなたは、間違っている(私の考えとは違う)。

だから、私の考えどおりに生きなければならない」

そう言われた人も、その人を自分の思いどおりに変えようとします。

「いいえ私の方が正しいのだから、あなたが、私の考えどおりに生きるべきだ」

私たちが「自分が正しい」と感じているように、

すべての人が「自分が正しい」と感じています。




「自分が正しい」と感じる理由は、自分の人生のすべてを通して、

「自分が正しい」と感じることを経験してきたからです。

すべての人が、それぞれの人生で「自分が正しい」と

感じることをそれぞれに経験してきているのです。




したがって次のように語ることが、

じっさいの現実に、より即しているのではないかと思います。




「すべての人が正しい。ただし、それぞれの視点において」




またこのようにも言えます。

「自分が正しいことを主張するためには、

相手も正しいことを受容する必要がある」

自分の権利を主張するなら、相手の権利も尊重しなければなりません。

「自分が相手を否定することは、

相手が自分を否定する権利を認めたことになる」からです。




このようなことが理解されるまで、私たちはお互いに抵抗し合い、

自我の理解の範囲をこえているあるがままの展開に抵抗を試みつづけていきます。




悟りが起こると、自我の操作性がうすれていきますので、

あるがままの展開に抵抗しなくなっていきます。




そうしてゆだねることによって、起こる展開を目撃します。

起こる出来事に対しても抵抗せず、うちから起こる感覚・衝動にも抵抗しません。

そうして自分に起こる出来事をしっかりと観察すると

人生がよりよく展開していることを目撃します。




このような経験を通して私たちは、あるがままの展開にゆだねるほうが、

人生がよりよく展開していくことを経験的に理解していきます。




このような体験を通して、

私が自分の人生の役に立つと感じていることはつぎのことです。


(1)自我の抵抗があるがままの展開を妨害している。

(2)あるがままにゆだねるとは、何もしないことではない。

(3)あるがままにゆだねるとは、起こる出来事に対して抵抗せず、

   うちから起こる感覚や衝動にも抵抗せず、

   それをあるがままに表現することである。

(4)自我はそれを知的には理解できない。

   自我がそれを目撃し、その利点を理解すると、

   おとなしく従うようになる。

  (自分〔主である私〕が、あるがままにゆだねることを決意すると、

   自我はそれに従い、それによって起こる出来事〔真実〕を目撃し、

   従者の立場に戻る)

(5)こうして私たちは、主である私(観察者の視点)の感じること

  (あるがままにゆだねることによって導かれる、ほんとうにやりたいこと)を

   自我を通して楽しむために生まれてきていたことを理解する。




あるがままの宇宙に価値が見失われる理由は、

自分だと感じている自我にとって、自我のコントロール性が否定されるからです。




自我はここでも抵抗を試みているわけです。




私たち(主である私・観察者の視点)が、

あるがままにゆだねて起こる出来事を観察していくと、

その利点が理解され、やがて自我も主の選択に従うようになっていきます。




あるがままの出来事にゆだねることを選択し、

結果を観察するという過程を経て、その人本来の役割

(ほんとうにやりたいこと〔自我にとってはだいそれた目標〕)へと

導かれていきます(自我が恐れによって抵抗しなければ。あるがままにゆだねれば)。




自我は必死になってこれに抵抗するかもしれません。

自我は自分の操作性の届かないところへと進むことを恐れているからです。

このような理由から自我は、あるがままの展開から価値を剥奪して、

必死で抵抗を試みつづけているのです。




けれどもここでお話したように、私たち(主である私・観察者の視点)が、

あるがままにゆだねることを選択して、自我がその結果を目撃して

その利点を理解したならば、その後、主である私の感じること

(ほんとうにやりたいこと)を達成するための従者としての立場に戻り、

その本来の役割に従事しはじめます。




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2012/01/12(木) 11:11:12 || # [編集]
認知療法との共通性
いつも、読ませてもらっています。一つ質問させて下さい。
やまがみさんのいう悟りと認知療法の考えが非常に近いと感じております。ということは、認知療法を積極的に利用すれば、悟りに近づけるのではないかと期待しているのですが、やまがみさんはどのようにお考えでしょうか?
2012/01/12(木) 22:38:47 |URL|こも #- [編集]
こもさんへ
はじめまして。
コメントありがとうございます。

私自身が、認知療法についてあまり知りませんので、
いまのところはなんとも言えませんので、
少し調べて見て、もう一度返信させていただきますね。

もしも、こもさんの言う認知療法について、
わかりやすい資料(書籍やホームページ、ブログ)などがありましたら、
お教えいただければ幸いです。

とりあえず、このまま私のほうで探しはじめてみます。
2012/01/12(木) 23:32:40 |URL|やまがみてるお #- [編集]
お返事ありがとうございます
お返事いただけて、感動しました。
私もあまり詳しくないのですが、今日、インターネットで遊んでいたときに、Wikipediaに記載されていた認知療法の内容が、あまりに悟りの概念に近いので、びっくりしてメールした次第です。
やまがみさんのコメントを楽しみにしています。
2012/01/12(木) 23:55:56 |URL|こも #- [編集]
こもさんへ
Wikipediaの認知療法の項目を読みました。

「人間は世界のありのままを観ているのではなく、その一部を抽出し、解釈し、帰属させているなど「認知」しているのであって、その認知には必ず個人差があり、客観的な世界そのものとは異なっている。それゆえ、誤解や思い込み、拡大解釈などが含まれた自らに不都合な認知をしてしまい、結果として様々な嫌な気分(怒り、悲しみ、混乱、抑うつ)が生じてくると仮定している」

上記の部分は、私がお伝えしていることと内容的には同じですね。

またこの記事からは、認知療法は、精神疾患の治癒を目的に発達したものだということがわかりました。

「認知療法では不快な気分や不適切な行動の背景として「考え方」つまり「認知」に着目し、この不都合な認知⇒気分の流れを紙などに書いて把握すること、また、それらに別の観点を見つけるべく紙に書いて修正を試みる事が根幹である。そのために根拠を問うたり、ステレオタイプな認知を歪みと命名したりする」

治療者と患者が、精神疾患の治癒を目的にした独自の方法を開発しているのですね。


私が悟りをお伝えしている理由は、精神疾患の治癒ではありません。
もちろん、結果的に治癒が起こりうるとは考えています。

私が悟りをお伝えしている理由は、私たち人間が、自我の側面(体、思考、生命の有限の側面)の虚偽から目ざめ、本来の、本当の、人間の真実を取り戻すためです。

人間の真実とは、言葉でお伝えすると、永遠の側面です。

私たちはその本質において、永遠の存在です。

けれども思考に頼って世界を理解しているため、この永遠性は私たちが「信じている人間の定義」によって見えなくなってしまっています。

認知療法の「不都合な認知が精神疾患の原因になっており、世界のありのままを見ることができるようになれば、それは癒される」という仮定は、私も賛成します。

けれども私がもっとも重要だと感じていることは、思考から分離した意識(観察者の視点)を定着させることです。

思考から分離した意識が定着してはじめて、観察者の視点ができるため、世界のありのままが見えるようになります。

ありのままにゆだね、結果を見る。
この過程が必要なのですが、ありのままの世界を見ることができるのは、思考から離れた意識だけです。

自我(思考に巻き込まれた意識)には、思考の影響を受けた世界しか見えないからです。


けれども私は、認知療法よりすぐれていると言いたいためにこのようなことを言っているのではありません。

私はここでお伝えしたいのは、私が大切だと感じていることは、認知療法が大切だと語っていることと、

この部分で違っているということです。

どちらがいい、悪いを話たいわけではありませんので。

自分が、社会にとって役に立つだろうと感じていることをただ大切にしたいだけであることを

ご理解いただければ幸いです。
2012/01/13(金) 21:22:22 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ありがとうございました
どうもありがとうございました。
たぶん、スタートの観点は、大体同じだけど、認知療法は、ある程度ありのままに現実を見れるようになったところがゴールで、やまがみさんのいう悟りは、そこがスタートなんだろうと感じました。
まだまだ、悟りからはほど遠い者ですが、また疑問等があったら、質問させていただきたく、今後とも、宜しくお願い致します。
2012/01/14(土) 18:28:48 |URL|こも #- [編集]
こもさんへ
認知療法は、精神疾患のある人をその困難な状況から救うことを目的にしている医療行為であり、

私が目的にしていることは、思考に同一化することによって、本当の自分を見失っている人に、

本当の自分を取り戻してもらうことを目的にしている提案であることの、目的の違いなのだろうと思います。

認知療法はすばらしい価値ある医療法であると思いますし、

そのやり方や目的に関して私が語るには、あまりにも知らなすぎますので、

この数回のコメントでのやり取りが、

認知療法の価値を否定するような印象与えるようなことがないことを願います。


またいつでもご質問ください。

ありがとうございました(^.^)
2012/01/14(土) 20:46:25 |URL|やまがみてるお #- [編集]
はじめてコメントさせていただきます。
コメントするって、勇気がいりますね。
早速、なんですが、
何かしても、しなくても、結果が同じなら、何もしたくなくなる、の逆で、私は、結果が同じなら、何かしたい?って思いました。

タイミングよくか、何だか、環境が変わる、変えるきっかけが、やって来たけど、環境を変えるのは、操作してるって事なんでしょうか?
って聞こうと思ったんですが、それも結果が同じなら、何かおこっても、ゆだねるって事ですね。
解決できてしまいましたm(._.)m

お忙しいのに、すみません
おじゃましました。
2012/01/14(土) 22:33:38 |URL|うっちー #- [編集]
うっちーさんへ
こんにちは♪
はじめまして(^.^)
コメントするって、ほんとうに勇気がいりますよね。
勇気をだしてコメントくださり、ありがとうございます♬

操作とは、自我の操作性のことを言っています。

あるがままには、私たちの内側から起こる感覚も含まれますので、
環境を変えることに心地いい感覚を感じたら、それは操作ではないと考えてみることをおすすめします。

自我が操作しようとして、内側から起こる感覚がそれに沿っていないとき、私たちはそれを心地よくない感覚として感じます。

こういうときに、この心地よくない感覚に従うと、のちのち苦しくなっていきます。

このようなことに気をつけたほうがいいと、私は伝えています。
2012/01/15(日) 00:26:23 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ありがとうございます。(^o^)

よくわかりました。
焦る事は、なかったですね
ゆっくり、確かめてみます

2012/01/15(日) 01:18:36 |URL|うっちー #- [編集]
阿部さんのブログ経由で参りました。
はじめまして。

最近の自分の状態に戸惑うことがあり、同じような経験をされたようでしたらアドバイス頂きたいと思いこちらに来ました。

3年前に意識が変わり始めてから、自我を満足させるが如く(その時々にはそうとは気づいてませんでしたが)遣りたいこと、夢に描いてたことを実行してきました。

そして今、遣りたいことや欲しい物が無くなってしまった状態で…
空虚、空っぽという感じです。

何かむなしくて孤独感が募ります。

ここ数日は自分の中が揺れている感じで様々な感情(?)捉え方(?)が入れ替わり立ち替わり。
一日のうちでコロコロ自分が変わります。

ありのままでいいんだと思い込もうとしても不安になってしまいます。

アドバイス頂けたらありがたいです。

2012/01/15(日) 21:41:02 |URL| #- [編集]
蘭さんへ
はじめまして♪
コメント、ご質問、ありがとうございます。

読ませていただいたところ、私が感じたのは、おそらく、抑圧されている感情が、邪魔をしていると思います。

自分の本当の気持ちに気づくためには、過去に抑圧してきた感情(怒り、悲しみ、不安、恐怖など、さまざまなものがあると思いますが)を意識下に引き出し、その抑圧していたエネルギーを開放してあげなくてはいけません。

私の場合は、恐怖の感情が一番根深く、恐ろしく、開放することをごまかしてきていました。

少し余裕のあるときに、それらの感情がないか、感じるようにしてみてください。

たとえば、恐怖なら、自分のなかに恐れの感情が存在していないかを(恐怖の感情を)感じてみて、何か得体のしれない恐怖が感じられるようであれば、それが抑圧している恐怖の感情です。

私たちはそれを恐れて、意識の届かないところへと押しやって隠していたのですから、それが浮上してくると非常な恐怖を感じるでしょう。

けれども、それらはまったく実態のない恐怖ですので、いくら感じても、じっさいに自分の身の上には、まったく何も起こらないことを保証します。

それを見ないふりをして抑圧するほうが問題になるのですが、感じることがまるで自分の人生を恐怖のどん底へでも突き落とすような感覚におそわれます。

多くの人はここで引き返し、ふたたび抑圧した感情のもたらす障害の中へと戻っていきます。

恐れずに感じ尽くすと、その負のエネルギーから開放されますので、癒しが起こります。


このように、他の感情に対しても、抑圧しているものがないか一つずつ調べていき、その多くを開放することができたら、おそらくいま感じられているような不安が解消され、そうして本当の気持ちがわかるようになり、その気持ちの応えることで、人生がより充実していき、空虚感なども解消されるだろうと思います。

感情を感じるワークに取り組もうとしてみてください。

エクササイズのカテゴリーに、そのやり方を書いた記事もございますので、よろしければ、ご参照ください。
2012/01/16(月) 01:35:01 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ありがとうございます
見つけました!

やはり“怖れ”がありました。

真理への疑いを持っていることを認める恐怖。

いろんな体験によって証明し続けて来ているのに、どこかで「あれは偶然だ。たまたまそうなっただけ。」との思いがあったようです。

それを抑圧してたんですね。

信じなければまた澱んだ世界に戻ってしまうという恐怖。
だから何度も引き戻されるような感覚に陥ったのでしょうね。

ちゃんと現象は教えてくれてるのになかなか気づけなくて

疑いも出て来るから消せるんですものね。

相談して良かったです。

ありがとうございました。

2012/01/16(月) 10:00:36 |URL|蘭 #- [編集]
蘭さんへ
私たちは、たくさんの感情を抑圧している可能性がありますので、

なぜだかわからないけど、なんだか気分がすぐれないようなときには、

感情の抑圧がないか探してみてくださいね。

そうして、すべてを感じ尽くしたら、

自分のほんとうに望んでいる気持ちがわかるようになってきますので。
2012/01/16(月) 17:36:20 |URL|やまがみてるお #- [編集]

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やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

 ご質問には、記事のなかで
 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

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