誰でも「悟り」プロジェクト   意識の中心みいつけた!

やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

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(91) 「誰でも悟りプロジェクト」 2011年11月までの要点

12-15(木)20時00分
こんにちは、やまがみてるおです。

ご訪問ありがとうございます。

はじめてお越しの方は、「こちら」をご覧ください。




意識性が高まり、ここまでの「まとめ」


「誰でも悟りプロジェクト」 2011年11月までのまとめ
〔1〕私たちはいま進化の過渡期を経験しています
〔2〕すべては「一なるもの」の現れです
〔3〕無意識状態から、目覚めた意識状態が定着することが悟りです
〔4〕こうして私たちは、宇宙があるがままであることを体験的に理解していきます
〔5〕あるがままの世界に、心を開いていきましょう
〔6〕こうして私たちは、あるがままにゆだねるほうが
   人生がよりよく展開していくことを目撃するようになっていきます

〔7〕心地よい感覚に従って生きていくことが、私たちを幸福へと導きます
〔8〕条件つきの幸福が、私たちを真の幸福から遠ざけます
〔9〕自分のほんとうの声に従って生きていきましょう
〔10〕過去の経験の影響を受けた願望が、
    私たちのほんとうの気持ちのうえにおおい被されています

〔11〕日常の「やらなければならないこと」をこなしながら、
    「ほんとうにやりたいこと」に心を開いていくことは可能です

〔12〕人生経験からつくりあげた自己イメージから見ると、
    自分本来の能力が「だいそれたこと」に見えます



でお伝えしてきたような、

自分のほんとうにやりたいことが見えてくると、

それにゆだねるほうが心地よいことであることがわかってきますので、

自然にそれにゆだねていくようになります。




自我は抵抗をあきらめます。




まるで川を流される枯葉のように、

人生の展開にゆだねるようになっていきます。




ほんとうにやりたいことは、

それまでは「だいそれたこと」ではありましたが、

人生の流れにゆだねるにつれて、

「だいそれたこと」から「あたりまえのこと」に

変わっていくことを経験します。




「『誰でも悟りプロジェクト』 2011年11月までの要点」




私たちは、過去の経験や学んできたことからつくりあげてきた

「自分という感覚」 (自我) と同一化しています。




人生の経験を通して、これのみとしか関わることができないため、

これが「自分のすべて」だと勘違いをしています。




過去の経験や学んできたこととは、

束縛された概念にすぎません。




この束縛された概念にほんとうの自分をはめこんで生きているために私たちは

生きることに窮屈感を感じ、真の自分の能力を発揮できないでいます。




真の自分の能力は、ほんとうにやりたいことに

心を開いていくことによって、実現可能になっていきます。




過去の経験や学んできたことによる

束縛された概念が、それを拘束しています。




この拘束から脱するために、

思考から分離した意識状態を獲得する必要があります。

思考を観察する視点が定着した状態が、悟りです。




悟りとは、新しい習慣の獲得にほかなりません。

したがって、誰にでも可能です。




一般的には私たちには、思考が起こったときに、

思考と同一化する習慣が身についてしまっています。

思考との同一化が起こる原因は、私たちの無意識にあります。




思考が起こったときに、無意識に思考と同一化するため

その思考に乗っ取られ、思考イコール自分の状態になります。




思考に乗っ取られ、思考のままに行動することが、

私たちを困難に巻きこんでいます。




新しい習慣の獲得とは、

無意識に生きる習慣が身についてしまっている状態のうえに、

新しい習慣を上書きするようなものです。




思考との同一化が起こったときに、

それに気づく習慣を身につけることを言っています。




思考が起こったときに気づき、それの観察を試みると、

思考は起こり、しばらくののちに自然に消えていくことを経験します。




無意識に思考を経験すると、私たちはその思考に、

同意したり、反発したり、抵抗したりすることによって、

さらに余分な思考を引き起こしていきます。




どんどんと思考に燃料を送りこんでいくような状態になり、

自己の生産的なエネルギーが、ムダに浪費されることになります。

本来はほかの創造性にまわすはずであったエネルギーが枯渇し、

非生産的な人生へと没落してしまうようなことが起こっています。




自分の頭のなかに思考が起こったときにそれに気づき、

ただ観察を試みると、思考はしばらくののちに

自然に消えていくことを体験します。




すぐにまた別の思考が起こることもありますが、

観察に慣れてくるにしたがって、思考と思考とのあいだには、

ブランク、スペース、空間があることに気づくようになります。

これがノーマインド、無思考、無、空、悟りの状態です。




思考が起こったときに、観察する習慣が身についていくにしたがって、

一日のうちに、悟りの状態を生きている時間のほうがしだいに多くなっていきます。




それまでは無意識に生きることが習慣であったため、

意識をして思考を観察する必要があったところが、

こんどは逆に、自然に思考を観察している状態が

習慣化されていることに気づくでしょう。




その後も、ときおり思考に翻弄されることがあるかもしれませんが、

ふたたび無意識が優勢な状態にあともどりすることはありません。




悟り―思考を観察する視点が定着すると、

思考が、過去の経験や学んできたことからできた

虚偽であったことを理解します。




そこには個別の私が存在しているという自分の感覚や、

個別の自我意識の影響を受けた願望 (人生観) も含みます。




そのようなものの影響を受けた願望は、ニセモノの願望です。

ニセモノの願望を含む概念でできた虚偽が、

自分のほんとうの気持ちのうえに被され、

その背後へとおおい隠していたことに気づくでしょう。




思考から離れた意識状態の獲得によって私たちは、

さまざまなものごとの背後にある秩序が見えるようになっていきます。




思考に拘束されていたときには、

この秩序に必死で抵抗していたことがわかるでしょう。

そうして宇宙の秩序に逆らって必死で抵抗していたために

手にしていた結果も、リアルに実感するでしょう。




私たちの人生に問題をつくりだしていたのは、

私たちの人生が問題の塊であったのは、

過去の経験や学んできたことの影響を受けた

自我の期待や願望、抵抗のためです。




この抵抗を手放すと、

すべてがうまく展開していくことを私たちは目撃します。




百聞は一見にしかず。




私たちは抵抗を手放します。




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コメント:

ご質問
最近こちらを紹介されまして、初めてコメントさせて頂きます、よろしくです。
まだ少しばかり読んだだけなのですが、今まで解らなかった事が徐々に氷解して来ました、まことに有難うございます。
多少御質問させて頂ければ幸いです。


思考を観る」という事、そしてそれを観ている自己に気付く、こういう事でしょうか?
それとも、その自己に気付いた視点(基盤?)に気が付く、こういう事に成るのでしょうか?

それと、思考を観て行こうとすれば思考が浮かばないのですが・・・。
おそらく、観ようとする意識が邪魔をして、思考の展開を妨げているのではないかと思っています。
おそらく、観察すべき思考というのは、無意識に於いて展開するのではないでしょうか?
つまり、観ようとする意識があれば、それがそもそも思考と成って、他の思考の活動する余地が無いのではと、この様に思ってしまうのですが。
なので、無意識(思考)を意識しょうとする事に成るのではないでしょうか?
もしそうなら、意識の外の事を意識するという矛盾によって、非常に難しく思ってしまうわけです。
それに又、日常の物事をこなすには、ただ何の気なしにと言う訳にはいかず、諸々の事物を考えながら行動していかねば成らないのだと思います。
その様な時に思考の観察をすれば、会議などで思いっきり思考を行使しょうとしても、身が入らないのではないでしょうか?
でも、実際に於いてどうなのかは、まったく良く判らないのですが・・・。

もしそうなら、自分が主役と成ってこの世界を舞台に演技している様にすれば、無意識行為の観察ではなくて、有意識行為(自覚あっての演技なので)の観察となり、思考の観察も演技と一緒に連動して行くのではないでしょうか。
でも無意識行為の観察が真の思考観察なら、有意識行為(演技)の観察(自覚)は思考観察ではなくて、単なる思考遊戯? に終わるのでしょうか?

まったく判りません。
良く判らない文章だと思うのですが、よろしくお願い致します。
2011/12/16(金) 02:37:06 |URL|おわら #dnZkMyuc [編集]
てるぴくーん(笑)
楽しいコメ、ありがとー♪

最近ぐるぐるしていたんですが
ふと、思考に飲まれていたことに気付きました。
すんごいシンプルなんですよね、ただ気付くだけ。
余計なものをくっつける癖がついちゃってるんですよねー(汗)
一度観察者視点を獲得すると元には戻らないー♪
2011/12/16(金) 08:03:59 |URL|れこちー #- [編集]
【 究極なるものと、言い表せないもの 】


ノーマインドの状態とは、神性という状態だ。神は思考ではなく、思考がないことの体験だ。それはマインドの内容ではない。マインドに内容がなにもないときの爆発だ。それは見ることのできる対象ではない。


「見るという能力そのものだ。」


見られるものではなく、見る者。空に集まる雲ではなく、雲ひとつないときの空。その空っぽの空だ。


意識がどんな対象にも向かって出ていないとき、見るものがなにもなく、考えるものがなにもなく、ただ空(くう)が周り中にあるとき、【そのとき人は自分自身に降りてくる。】

どこにも行くところがない――人は自分の源にくつろぎ、その源が神だ。


あなたの内なる存在は、内なる空以外のなにものでもない。

その空は空っぽだ。

だが、すべてを、全存在を、太陽、月、星、地球、惑星を支えているのは、空っぽの空だ。

在るものすべてにスペースを与える空っぽの空。存在するすべての背景である空っぽの空だ。
物ごとは来ては去っていくが、その空は同じままだ。

まったく同じように、あなたには内なる空がある。それもまた空っぽだ。
雲は来ては去り、惑星は生まれては消え、星は現れては死んでいくが、内なる空は同じままだ。
触れられず、汚されず、傷も残らずに。私たちはその内なる空を「サクシン」、目撃者と呼ぶ――そして、それが瞑想の目標のすべてだ。

中に入り、内なる空を楽しむがいい。

いいかね、あなたに見ることのできるものはすべて、あなたではないのだ。
あなたは思考を見ることができる。
「だとしたら、」あなたは思考ではない。

あなたは自分の感情を見ることができる。
「だとしたら、」あなたは自分の感情ではない。

あなたは自分の夢、欲望、記憶、想像、心の投影を見ることができる。
「だとしたら、」あなたはそれらではない。

~自分が見ることのできるものをすべて消去しつづけるがいい。~

そうすると、ある日、途方もない瞬間が訪れる。

拒絶されるべきものが何ひとつ残っていない、生におけるもっとも意味のある瞬間だ。

そして、見られるものは消えて、見る者だけがそこにある。その見る者が、空っぽの空だ。

それを知ることが、恐怖がなくなることであり、それを知ることが、愛に満ちることだ。
それを知ることが、神になること、不死になることだ。

by OSHO
2011/12/16(金) 13:01:09 |URL|みどり #- [編集]
http://www.osho.com/Main.cfm?Area=Magazine&Sub1Menu=Tarot&Sub2Menu=OshoZenTarot&Language=Japanese

上のOSHOの内容のブログです↑

参考までに。どうぞ(*´∀`*)
2011/12/16(金) 13:04:36 |URL|みどり #- [編集]
もう1度
皆さんのおコメには大変恐縮して居ります。

思考に気がつくとは、
つまり、私達が無自覚に思考(生活の全ての行為)をしている時というのは、思考と自己アイデンティティとの間を、自分が行ったり来たりしてる様に感じると思うのですが・・・。
どちらも思考であるなら、先にも述べましたけど、〝それらを外から観察している状態に在れ!!〟
やはりこういう事をいうのでしょうか!?
2011/12/16(金) 19:16:50 |URL|おわら #dnZkMyuc [編集]
おわらさんへ
はじめまして。
コメント&ご質問、ありがとうございます。

> 「思考を観る」という事、そしてそれを観ている自己に気付く、こういう事でしょうか?
> それとも、その自己に気付いた視点(基盤?)に気が付く、こういう事に成るのでしょうか?

「思考を観る」、そして、それを観ている自己に気づくことをおすすめしています。
そして、その状態が、通常の状態になることが悟りです。

> 思考を観て行こうとすれば思考が浮かばないのですが・・・。

それがノーマインドです。
そうして思考の起こらない状態を体験するために、思考の観察をおすすめしています。
それが悟りの体験です。

> おそらく、観ようとする意識が邪魔をして、思考の展開を妨げているのではないかと思っています。
> おそらく、観察すべき思考というのは、無意識に於いて展開するのではないでしょうか?

観察しようとすると、思考は起こりません。

ずっとその状態を意識してつづけるようにしても、習慣がまた私たちを無意識に引き戻すなら、
ふたたび思考が起こります。

そうしたら、また思考に気づきましょう。

気づいて意識すると、また思考は浮かばなくなるでしょう。

これが思考と思考との隙間、スペース、ブランク、ノーマインドです。

思考を観ようとしても思考が起こらないことを体験している「主体」に気づき、
それがほんとうの自分であることを経験してください。

これが通常の状態になると、その後は、常時自然にその観察がおこなわれるようになりますので、意識する必要がなくなります。

> 日常の物事をこなすには、ただ何の気なしにと言う訳にはいかず、諸々の事物を考えながら行動していかねば成らないのだと思います。

それが思考の本来の役割です。
2011/12/16(金) 22:14:40 |URL|やまがみてるお #- [編集]
れこぴーちゃんへ
こんにちは♪

> 最近ぐるぐるしていたんですが
> ふと、思考に飲まれていたことに気付きました。

そういうことを何度もくり返して、より意識性が高まっていくのでしょうね。

余分なものを、一つずつ、捨てていきましょう♪
2011/12/16(金) 22:20:57 |URL|やまがみてるお #- [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011/12/16(金) 22:55:09 || # [編集]
みどりさんへ
いままで、OSHOのことは何度か紹介されたことがありましたが、
自分に合いそうなところが見つからず、じっくりと知ることができませんでした。

けれども以下のページの「私の人類へのメッセージはこうだ」から下の二つの段落(「私のサニヤシン」の上の文章までです)に私の目指していることと同じことが書かれていました!

http://www.osho.com/Main.cfm?Area=Magazine&Sub1Menu=Tarot&Sub2Menu=OshoZenTarot&Language=Japanese

文章をコピペしてみましたが、そうすると投稿できませんでした。

私の「だいそれたこと」に対するやる気が俄然出てきました!


2011/12/16(金) 23:34:19 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ご返事有難うございます。

とにかく試みようと思います。
多少の腑に落ちない点は、その過程に於いて解決して行く・・・
というか、まずはやってみての話に成るのでしょう。

真に有難うございました。
2011/12/17(土) 00:45:00 |URL|おわら #dnZkMyuc [編集]
やまがみさんへ
おわらさんへの説明は、最高に分かりやすいものでした。

実際にやってみてからのおわらさんのコメントが楽しみです。^^

さて、以下のやまがみさんの文は、実にさわやかに感じました。

『けれども私は、自分の力では、誰一人の人生も(悟りが起こるように)変えることはできないことを受け入れています。

悟りが起こるとき、それは、その人の運命(宇宙のプログラム)以外の何ものでもありません。

相手に伝わるか、伝わらないかは、その人の人生の青写真に従って起こるのだと思っていますので、相手に伝わるか、伝わらないかは、私にはどうしようもないことなのです(あるがまま)。

それでいて、宇宙は完璧であることを私は確信しています。

ですから、そのうえで、自分のやりたいやり方で、できるだけ広く、できるだけ多くの方の悟りのお手伝いをしたいと思っています(これがこの時代の要請だと感じていますので)。 』

あるインドの聖者が言いました。
「私はエゴイストなんだよ。
みんなが苦しんでいるということは、私が苦しんでいることだからね。
だから、私は自分を助けたいだけなのさ。」

「自分がない」ということは、そういうことでもあり、こういうことでもあるのですねー。
やまがみさん、ナイスコメント!^^

2011/12/17(土) 11:17:02 |URL|すずめ #- [編集]
最高ですねぇ~~\(^o^)/
「さあ!思考してごらん!!」と言えば思考は起こらない。

思考しているときでも「さあ!思考よ!もっと話してごらん!!」と言えば、思考は止まる\(^o^)/

これ最高ですね~~~
2011/12/17(土) 12:17:02 |URL|みどり #- [編集]
試みて
再三失礼致します。
ブログを最初から拝見して行きました。

そして、
(4) 自我を超えた存在に、意識を向けて行きましょう。
のコメント覧に行き着きました。

『操作しようとしないということは、
出来事に対する思考や感情を表現しないということではありません。
この点が、大切だと思います。
(思考や感情はいいものでも悪いものでもなく、表現される必要があります)
そうして、思考や感情を感じるままに表現したら(できたら)、
なりゆきにまかせます。』

これを読みまして、何か心がスッキリしたような次第です。
今まで、思考状態を必要悪の様に思ってた感がありましたが、そうではなくて逆にその表出を促して、それを単に見つめている。
このようにやって見ますと、心が実に楽な感じを覚えます。

最後まで続けていこうと思います。
真に有難うございます。
今後ともよろしくお願します。
2011/12/17(土) 13:55:23 |URL|おわら #dnZkMyuc [編集]
おわらさんへ
こんにちは♪

> 今まで、思考状態を必要悪の様に思ってた感がありましたが、そうではなくて逆にその表出を促して、それを単に見つめている。
> このようにやって見ますと、心が実に楽な感じを覚えます。

そうですね。

思考や感情は、止めようとしたり、内容を変えようとしたりすることが、私たちを苦しめる原因になっています。

思考や感情が起こったときに、観察者の視点でそれを表現できることが望ましい結果に結びつきます。

観察者の視点であるということは、思考や感情に巻き込まれていませんので、冷静に表現することができますので、必要以上のトラブルを招きません(ただし必要な変化は招きます)。

感じるままに、あるがままに表現できたら、私たちはどんどんと楽に生きていくことができるようになります。

ときには、これによって自我の思い通りの展開にならないことももちろんあります(これが必要な変化です)。

けれどもそのようなことを経験するにつれて、思考や感情を感じるままに表現したほうが、よりより展開につながっていることを観察できると、しだいにそれにゆだねることが容易になっていきます。

自我は、このようなことを、知的に理解することも、想像することもできませんので、腑に落ちないと感じますし、そのような確実性のないものには、ゆだねることはできないと感じます。

このため、観察と体験が必要になります。

観察と体験をくり返して、このようなことを目撃すると、それが確信になります。
そうすると、自我はそれにゆだねるようになります。

それまでは私たちのやっかいものであった自我が、ともに人生を充実させていくための同士になります。

私たちは、自我を通して、自分の人生をより充実させていくことができることを体験し、それを生きるようになります。

またいつでも変化のご報告やご質問などございましたら、コメントくださいね。
2011/12/17(土) 19:33:08 |URL|やまがみてるお #- [編集]
すずめさんへ
こんにちは♪

コメントありがとうございます。

> あるインドの聖者が言いました。
> 「私はエゴイストなんだよ。
> みんなが苦しんでいるということは、私が苦しんでいることだからね。
> だから、私は自分を助けたいだけなのさ。」

すばらしい言葉ですね。

私もほんとうに自分がエゴイストだと思います。
私も、私を助けたいだけなんですよね。

「自分がなくなっても」うまくいく、
「自分がなくなったほうが」うまくいくことを体験したら、どんどん楽になっていきますね。

どこまで、いなくなれるのでしょうね。
宇宙に感謝です。
2011/12/17(土) 19:51:59 |URL|やまがみてるお #- [編集]
みどりさんへ
> 「さあ!思考してごらん!!」と言えば思考は起こらない。
> 思考しているときでも「さあ!思考よ!もっと話してごらん!!」と言えば、思考は止まる\(^o^)/

まったく、このとおりですね!

思考を観察することをおすすめして、さらに「さあ、思考してごらん!」、思考が起こったら、「思考よもっと、話してごらん!」と言って思考を見つめる。

これ新しいエクササイズに使えるかもしれないですね。

とくに思考が起こっているときに「もっと話してごらん!」は、効果を発揮しそうな気がします。

しばらく、思考が起こったときに自分で試してみようと思います!

すばらしいアイデアですね!


> これ最高ですね~~~
2011/12/17(土) 19:56:20 |URL|やまがみてるお #- [編集]
感謝
ありがとうございます。

ご報告出来ますよう、頑張って行きたいと思います。

真に有難うございました。
2011/12/18(日) 08:24:22 |URL|おわら #dnZkMyuc [編集]
おわらさんへ
こちらこそ、ありがとうございます。

また疑問とかがありましたら、

いつでも、ご質問くださいね♪
2011/12/19(月) 21:56:06 |URL|やまがみてるお #- [編集]

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やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

 ご質問には、記事のなかで
 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

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