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やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

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先週の金曜日、帰宅途中の中学生の素行を注意すると、今朝、玄関のガラスが割られました

11-08(火)01時06分
こんにちは、やまがみてるおです。

ご訪問ありがとうございます。

はじめてお越しの方は、「こちら」をご覧ください。




本日 (2011年11月7日)、

私はすばらしいギフトを受け取りました。




読者の、らくちんさんより、コメント欄にて

雲黒斎さんのソロライブにいかれたという報告をいただきました。

黒斎さんも、嫌な体験がきたときが「ギフトがきたとき」というような

ニュアンスでお話されていたと、お教えいただきました。




まさに絶妙のタイミングで、私もこの「ギフト」を体験しました。




私の家のまえの道は、一部の中学生たちの通学路になっています。

(抜け道のようなコースになっていますので、
 すべての生徒が通るルートではありません)

生徒たちの素行は悪く、ゴミや、潰れた傘などが

捨てられていくのは日常茶飯事で、

先週金曜日 (2011年11月4日) の夕方、

私は空き缶を蹴りながら帰宅している中学生の集団

(7~8人くらいのクラブ帰りの集団) に、

ゴミはちゃんと持ち帰るようにと注意をしました。

空き缶を踏み潰していた一人の中学生が「はい」と素直に返事をしました。




ちょうどそのころ、私は知人と

最近の子どもたちが荒れているというようなことを話しました。

知人宅は大阪市内で、私の住む地域とは離れているのですが、

そこでもおなじようなことが経験されており、困っているようすでした。




私たちが中学生だったころもおなじように荒れていた

というような話になりました。

その時代は、テレビのドラマで

『積み木くずし』や初代の『金八先生』などが放送されていたころです。

ドラマのなかで校舎の窓ガラスが割られると、

つぎの日には、自分の学校の校舎の窓ガラスが割られていました。




昨日 (11月7日0時更新) の記事

「瞬間、瞬間における『思考』と、『出来事』とを区別する習慣を身につけましょう」

警察が登場したためか、今朝私は、

なにかの犯罪を目撃して警察に通報しにいく夢を見ました。




夢と現実が一致したのか、虫の知らせというものなのか、

ちょうどそのとき、家のまえでなにやら、ひそひそと話す複数の子どもの声や、

笑い声が聞こえたかと思うと、ガラスが割れる大きな音がひびき、

私は跳ね起きました。




金曜日に注意をした中学生が仕返しにガラスを割ったと私は直感的に理解し、

「こらー!」と叫びながら、とっさに駆けだしていました。

玄関を飛びだしてあたりを見回してもすでに姿も見えなくなっていました。

私は学校まで走りましたが、けっきょく姿すら確認することもできず、

ついにあきらめて家へと戻ってきました。




家に帰ると、玄関先で飼い犬がおびえて丸くなっており、

その横に四分の一に欠けたサツマイモが落ちていました。

中学生がこの事件を起こしたという直接的な証拠は得られず、

小さなサツマイモの破片だけが物的証拠として残されていました。




時計を確認すると、午前6時40分くらいでした。

クラブの朝練に向かう時間です。




不思議なことに、この一連の出来事を経験しても、

私のなかには怒りは起こりませんでした。




11月3日の記事で私は、「子どもたちに対して重要なことは、

私たち大人が自分の感じたことに心を開き、

自分の幸福に責任をもつ必要があるということを書きました。

(くわしくは「子どもたちに対して必要な教育、
それは私たち大人が、自分の幸福にみずから責任をもつことです」
を参照)





しばらく私はこの出来事の意味を体験しようと試みました。

何が起こったのか、私はいま何を経験しているのか、

私の自我 (思考) には、すぐには理解できませんでした。




私の頭のなかでは、最近の中学生が荒れていること、

先週の金曜日に私が中学生に注意をしたこと、

今朝笑い声とともに、玄関のガラスが割られたことが一つのストーリをつくりあげ、

私はこの出来事に意味づけをしました。




「彼らは金曜日の注意の腹いせに仕返しに来たのだ」




最近の中学生が荒れていることについて考え、

そのような彼らをつくりあげたのは、私たち大人であると感じました。

この体験に対する判断は、私のなかで確信へと育ちました。

中学校へと電話をして報告したあと、

ガラスの修理の手配をしました。




ちょうどそのころ、お隣さんが心配をして

訪ねてきてくれて、出来事の説明をしました。

この会話でもまた最近の中学生の素行が荒れていることや、

他人の家のガラスを割ることは犯罪行為であり、

警察に通報しておいたほうがいいのではないか、

などというような話題になりました。

お隣さんは、出来事の今後の成りゆきを

親身になって心配してくださいました。




その後、考えた末に私はやはり警察に通報することにしました。

来てくださった警察の方が開口一番に言った

「これはひどいですね」という言葉を聞いて、

念のためではあっても通報しておいてよかったと私は思いました。




説明している最中にも、さまざまな考えが頭をよぎりました。

じっさいに姿を見ていないかぎり、疑ってはいけないと思いながらも、

そのことを強調したうえで私は、

金曜日に注意した子どもたちの姿をイメージしながら

警察の方に説明をしていました。




ひととおり説明が終わったころ、

お向いの (私よりも少し若い) 息子さんが、

そのときの状況を耳にしていたと言って出てきてくれました。




そして彼の説明を聞いている最中に、

自分のなかの「ストーリー」が

どれほど内側のイメージを投影しているものであったか、

ということが明らかになりました。




彼が耳にしていたものも、私が耳にしたものとおなじでした。




2~3人の子どもたちの話す声や笑い声が聞こえたあと、

ガラスが割れる音が聞こえたと彼は話してくれました。

そのあとすぐにこの場から逃げ去る子どもたちの足音が聞こえ、

そのすぐあとに私の「こらー!」という声と、

私があとを追って走っていく足音を耳にしたと教えてくれました。




まったくおなじ出来事を

別のところから体験していた私たちは、

まったく違うとらえ方をしていました。




お向かいの息子さんは、

子ども同士ではしゃぎながら登校している最中に、

遊んでいたのだろうという説明に徹していました。




笑ったり、はしゃいだりしながら、

(どこかで入手した) サツマイモを投げあいながら、

遊んでいただけなのではないかと説明してくれました。

そして、たまたま私の家の玄関先に隠れた友だちに向かって

投げたサツマイモが、ドアのガラスを割っていったのだろうというものでした。




冷静に考えると、仕返しでガラスを割る計画をしたとしたら、

私なら、サツマイモではなく石や、少なくとも

サツマイモよりももっと固いものを選ぶことでしょう。 

サツマイモが四分の一に割れていたのも、そのためなのです。

どこかで手に入れたサツマイモを、ふざけて投げあいながら、

登校していたと考えることができます。

私の家のまえにくるまでのどこかでそれは二つに割れ、

残った半分のサツマイモを手に、追いかけあいをつづけていたのではないでしょうか。

あとでお隣さんが、私の家のまえに落ちていた

サツマイモの残りの四分の一を拾って捨てていたことがわかりました。




このとき、今朝、私の聞いた家のまえの笑い声から「悪意」が消え、

そこへ「歓喜」の「ストーリー」が与えられると、私のなかに「癒し」が起こりました。




もちろん、ほかの人の持ちものに危害を加えて逃げたことは、

社会ルール的には悪いことではありますが、

私がもしも彼らの立場、

不注意にガラスを割ってしまった立場であったとしたら、

とっさに逃げ出してしまう気持ちがわかります。




私は、自分の勝手につくりあげた「ストーリー」を、

今朝の子どもたちに投影していたのです。




この出来事を通して私は、

このように自分の内側の判断を外側の世界へと投影し、

その投影した世界を受け取っているということを再確認しました。




世界はこれほどまでに、あるがままで、

私たちにすばらしいギフトを与えてくれていたということを、

改めて私は実感しました(*1)




今朝の出来事を経験した私が、

逆に世界と関わることを恐れて、

誰にもこのことを話さなかったとしたら、

この癒しを経験することはなかったでしょう。

(当初のこの出来事を報告する記事は、
 このように荒れた子どもたちを作りだしたのは、私たち大人であり、
 これからどのように関わっていくべきなのかを考えるような
 内容のものになると私は思っていました)




お隣さんに話したこと、それによって、警察に通報することにしたこと、

そのおかげで、向かいの息子さんから、彼の体験を聞くことができたこと。

そしてこの意識の転換の経験につながった、子どもたちへの注意と、

玄関のガラスの割られた事件を勝手に結びつけた

自分の「ストーリー」を体験したこと。

自分とは別の人 (向かいの息子さん) の見た「ストーリー」には

「悪意」が含まれておらず、たんなるおふざけの結果である

可能性を私に示唆してくれたこと。




すべてが、すばらしいギフトであったことを、

ふり返った私は体験しました。(*2)




(*1)ただし、このように一日(ほんの数時間)のうちに出来事の意味が理解できるようなケースはまれなことでしょう。
私にとって非常に大きな学びとなった、両親との死別の体験の意味の理解には、その後二十年近くの時間を要しました。
その意味は、私たちとは肉体に束縛させておらず、その本質において永遠であり、じっさいには、生まれてきておらず、このためけっして死ぬことはないというものです。生死については、いずれお話しいたしましょう。
(*2)このあと私は中学校への報告時に、「素行に対する注意の報復の可能性」を示唆したことが誤っている可能性もあることをお伝えし、生徒を疑ったことをお詫びする電話を入れました。





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コメント:

怪我がなくて何よりでした。
2011/11/08(火) 07:46:05 |URL陽子ママ #LkZag.iM [編集]
現象化することやアウトプットすることで 自分の偏りや 全ての繋がりを知り 今ここに戻ってきますよね

わたしも テレビを見ながらわたしが何気ないなく言った言葉に 夫の対極の返事が返ってくると わたしの偏りを知り 今ここに戻ります


今朝はボブ・フィックス氏の

自分が行動を起こすまで 自分の内なる声を
聞いた事にはならない

という言葉が響きました

それが大きくても小さくても行動を起こし
内なる声を聞いていきたいなと思いました


すてきな気づきのシェア ありがとうございました
2011/11/08(火) 09:43:18 |URL|愛子 #9CmqCKgg [編集]
ホントに
起こることのあるがままの形と、自分が創り出す
解釈の間には大きな違いがありますよね。

『解釈の創造』を自由に楽しむ、
という感覚なのかな、と思います。


どういう解釈をしても、正解はないのですが、

自分の軸に沿っていれば、起こることをすべて
ギフトとして受け取ることができるわけですから^-^
2011/11/08(火) 10:00:36 |URLYoShi@左脳系スピリチュアリスト #GGLe9ySY [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011/11/08(火) 10:33:27 || # [編集]
全てがギフト
というのを、ようやく私も実感することが出来るようになった気がしています。それまでは現実逃避だとか、きれいごとだと思っていたのですが、それもマインドのいたずらだった訳ですね。

素敵なお話のシェアをどうもありがとうございました☆

あと、めーやん(めーちゃん)が、やまがみさんがリンクを貼ってくださっていたことを知って、とても感激しておられましたよ。(^^)
2011/11/08(火) 14:18:39 |URL|ゆき #- [編集]
陽子ママさんへ
ご心配、ありがとうございます。

自分の頭がつくりあげたストーリーに

勝手に結びつけていく過程は、

まるで磁石にでも引き寄せられるかのようでした。
2011/11/08(火) 17:50:13 |URL|やまがみてるお #- [編集]
愛子さんへ
コメントありがとうございます。

私たちは、つねに偏った視点に陥りがちなのですね。
自分以外の人との関係でそれがあらわになり、おどろかされます。

> 自分が行動を起こすまで 自分の内なる声を
> 聞いた事にはならない (ボブ・フィックス)

内なる声のメッセージを聞き、
それを行動によって現象世界に現す。

またつぎの内なる声のメッセージ

こうして導かれていくというようなイメージですね。
2011/11/08(火) 17:57:38 |URL|やまがみてるお #- [編集]
YoShiさんへ
> 起こることのあるがままの形と、自分が創り出す
> 解釈の間には大きな違いがありますよね。

ほんとうに、そのとおりですね。
けれども体験の真っ最中には、なかなか気づけないもので、
最終的に理解することができた、自分のつくりだした勝手な解釈と現実との違いには、ほんとうにおどろかされました。

> 自分の軸に沿っていれば、起こることをすべて
> ギフトとして受け取ることができるわけですから^-^

「意識レベルを進化させるメールコーチング」のテーマそのものですね!

メールマガジンを一方的な情報提供の場とせず、
共同創造の場とするところが新しく、YoShiさんらしいアイデアで、
読者としても参加できる喜びがありますね。

たくさんの読者の方との出会いと、新しい気づきの場となりますように、お祈りしています。
2011/11/08(火) 18:09:01 |URL|やまがみてるお #- [編集]
みどりさんへ
こんにちは。
いつもありがとうございます。

人類の歴史のなかに、真実を伝えようとすると弾圧された時代があったことは確かですね。

> 死ぬかもしれない・・というよりも
> 殺されるかもしれない・・という方が、なぜか怖い。
> きっと「ここに」何かがあるのかもしれません。

読者のゆきさんに教えていただいた『「今この瞬間」への旅』という本をいま読んでいます。
ちょうど過去世に関して書かれている章を読んでいました。

私は、過去世の記憶の体験は自分に起こっていませんので、語ることは(肯定も否定も)できません。

けれども著者のレナード・ジェイコブソンは、無意識レベルに潜む過去世の感情(怒り・恐怖など)を感じ尽くす必要性があることを語っています。

その感情が過去世のものであるのか現世のものであるのかには関係なく、感情的な痛み(無意識に蓄積した怒りや恐怖)が、人生に影響をしていることは私も同意見です。

この影響から自由を取り戻すためには、やはり自分の内に蓄積した感情を開放してあげる必要があると私は考えています。

> 死ぬかもしれない・・というよりも
> 殺されるかもしれない・・という方が、なぜか怖い。

(それが過去世のものだとして)現世のいまの状況では少なくとも、みどりさんは安全です。
安全であることを認識したうえで、
この「なぜか怖い」をもっと感じ尽くす必要があると思います。

「感じ尽くす」ことができたら、この漠然とした恐怖は不思議なくらい消滅してしまいます。

けれども「恐れ」で私たちは途中であきらめて引き返してきます。
そうして、その「恐怖」(なぜか怖い)はずっと、なぜか怖いまま、自分のなかに生きつづけます。

漠然とした恐怖からの自由を取り戻してからが、
ほんとうの人生のはじまるときと言ってもいいかもしれません。
2011/11/08(火) 18:29:45 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ゆきさんへ
マインドは巧妙に真実を隠そうとしますものね。

じっさいに体験している最中は、
報復のイメージを投影していたので、恐怖でしたが、
勝手なイメージでここまでストーリーをつくりだす自分を体験できたことは、
ほんとうに大きな収穫でした。

ゆきさんとか、YoShiさんとか、陽子ママさんとか見ていて思うのですが、
ほんとうにお友だちをつくるのがうまいですね。
私の場合はあまりうまくないように感じていますので、
みなさんを通して、新しいお友だちになっていただく作戦を実行中しています!

「〇〇さんのところからきました~♪」なんて。
2011/11/08(火) 19:03:28 |URL|やまがみてるお #- [編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011/11/08(火) 19:15:47 || # [編集]
みどりさんへ
ガンガジさんの言葉は聞いていているだけで心地よくなりますね。

> あなたは残りの生涯を、その気づきの中で、それを喜び、分かち合うために生きるのです。

目覚めのあとに、分かち合いの人生を謳歌しましょう!
2011/11/08(火) 19:34:07 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ブラボー!
ドキドキしながら、ドラマのように読みました。
素晴らしいギフトですね。ガラス代がギフトへのお返しになるんでしょうかねぇ・・(笑)
わたし達は何かが起こると原因を知りたがり、あれこれ考え想像し納得しようとしますね。
わたしも今年はギフトの洪水です。
でも いくら原因を考えても自分の想像でしかない、現実は確かではない。起こる事がただ起こった・・という結果でしかありませんでした。
おかげで自我を観察するということを学んだ気がします。まだまだ初心者ですが・・。
嫌な出来事を「ギフト」と捉えられるまでには結構時間がかかりました。
やまがみさんはさすがです。早いですね。ありがとうございました。
2011/11/08(火) 22:11:43 |URL|らくちん #- [編集]
らくちんさんへ
ガラスの修理代金は、学費のようなものですね。

> 嫌な出来事を「ギフト」と捉えられるまでには結構時間がかかりました。

これは当然のことだと思います。

ただ今回の出来事からとくに学んだことは、
体験した出来事と、積極的に関わっていかなければいけないんだなということでした。

このときに体験したことの、どれか一つの出来事が欠けただけでも、
この学びは得られなかっただろうと思います。

> やまがみさんはさすがです。早いですね。

ありがとうございます。

けれども誰にでも起こり得ることだと思います。

ただすべてのことがお膳立てされており、
私はただ心を開いて体験するだけでよかっただけなのですから。
2011/11/09(水) 15:44:03 |URL|やまがみてるお #- [編集]
管理人のみ閲覧できます
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2012/03/26(月) 17:29:56 || # [編集]
サオリンさんへ
はじめまして。
うれしい感想、ありがとうございます。

以下サオリンさんの質問に対する私の考えです。

サオリンさんの電車での例のように、
相手のかたが、自分のことをどのように感じているかが気になることはよくあることだと思います。

それに対して、私たちの思考、頭のなかのおしゃべりは、あれやこれやと思いをめぐらすものだと思います。

たとえば、その相手の人が、サオリンさんの顔を見て不機嫌な顔をしていたとしましょう。

相手の方が嫌な顔をしたことは事実です。
この事実に対して、思考はあれやこれやと思いをめぐらします。

たとえば、相手の人を非難したり、自分の正当性を主張したりするでしょう。

これに対して私は、何も考えずに沸いてくる思考を信じないようにするというようなことを言っているのではありません。

思考を信じることも、信じないこともなく、ただ起こる思考を「起こるがままに観察する」ということです。

この場合は、相手の非難について、思考といっしょになって非難するのではなく、頭のなかに起こる非難をただ第三者のように観察します。それが自分の正当性の主張であったら、いっしょになって自分の正当性を主張するのではなく、頭のなかに起こる自分の正当性の主張をただ第三者のように観察するということです。

私たちが、頭のなかのおしゃべりに巻き込まれると、私たち自身がそのおしゃべりの内容と同一化してしまいます。私たちは自分を見失い、そのおしゃべりのスパイラルに巻き込まれ、どんどんとおしゃべりはふくらみながら終わることなくくり返されていくことになります。

あたまのなかのおしゃべりを第三者のように観察すると、思考はそれ自体が内在しているエネルギーを消費すると、自然に消えていきます。

うまく観察することができたら、思考の内容を信じるとか信じないとかではなく、
思考は消えてなくなることを経験するでしょう。

思考の消えたあとに残る静寂が、意識の中心です。
思考が起こるたびに気づき、観察する視点が定着することを、意識の定着と私は呼んでいます。

その人が、もしもサオリンさんを嫌っているとしたら、その事実は変わりません。
私は、ただそれを受け入れることをおすすめしています。

嫌われていることに対して、何もしません。
嫌われていることを受け入れ、ゆだねます。
思考も起こるがままに観察します。思考は起こり、消えていきます。

私がお伝えしようとしているのは、ただあるがままにゆだねるほうが、
人生はうまく進展していくことに気づくことの大切さです。

たとえば、勤める会社が倒産したら、私たちは落ち込みます。
けれどもあるがままを観察すれば、倒産したからこそ人生がよりよく転換しはじめることもありえ、
しっかりと観察すれば、ほとんどそのようになっているということです。

ただし、これは自我のレベルでは見えません。

自我は、自分の体と思考のレベルで、
とっても制約された自分に執着してすべてを判断しているからです。

思考に振り回されることなく、観察することができるようになると、
起こる出来事にただゆだねることができるようになっていきます。

そうしてゆだね、現実(事実)がどうなるか観察します。

この例で言えば、嫌っている人がどうなるか観察します。

その人に対してこちら側が何も判断しなくなると、
すぐには変化は起こらないかもしれませんが、
やがてサオリンさんに対する態度が変わるかもしれません。

起こる出来事(事実)に抵抗せず、あるがままにゆだね、その結果を観察し、
その結果がよりよく転換していることに気づくと、私たちは操作性を手放します。

この例の場合は、サオリンさんのなかに、人から嫌われたくないという思い(操作性)が働いているため、
現実に抵抗しているのだと思います。

人から嫌われることは、サオリンさんには操作できません。
嫌う人に決定権があります。

ただその事実にゆだねてみてください。

サオリンさんの心地いい感覚にしたがってください。
心地いい感覚(のあるがまま)にしたがってください。

世間的に信じられている選択肢の外側に答えがあることもあります。

それを、サオリンさんを嫌っていると思われる人たちが教えてくれているのかもしれません。

2012/03/27(火) 00:48:40 |URL|やまがみてるお #- [編集]
ありがとうございました。
おはようございます。

解りやすく詳しいお返事ありがとうございます。
解ってはいるつもりでもいざ、自分の内にあるものに反応してしまうと自我に巻き込まれてしまいます。
意識の定着がなかなか・・・でもこれを超えれば次のステージに進めそうですね。

もう数年、観念や自我の浄化やワークをしています。ストレスがあるたび一つ一つクリアしてきて随分穏やかな毎日になってきたのですが、先月終わりから次から次へと揺さぶられるような出来事があり大きな大きな自我を発見してからは、何かこう無気力になってしまい、何を見ても聞いても思考が離れなくなっていました。

今回のことも以前別の方に同じように感じ、受け入れてクリアできとってもいい関係になっていて理解できたと思っていたところでした。

なんだか自分にショックでメタメタになっていたところでした。

また 立ち上がれそうです。
ありがとうございました。
感謝♪
2012/03/27(火) 07:08:35 |URL|サオリン #HFPCtE.A [編集]
サオリンさんへ
こんにちは。

また何かありましたら、ご質問くださいね。

ありがとうございました。
2012/03/28(水) 00:20:03 |URL|やまがみてるお #- [編集]

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やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

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 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

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