誰でも「悟り」プロジェクト   意識の中心みいつけた!

やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

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「個人的意識」と「遍在的意識」の関係

02-03(火)16時50分
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2015年1月30日、31日開催、

覚醒トークライブin福岡 VOL.3

1Dayワークショップ「悟り意識発見」in福岡 VOL.3

無事、終わりました。




ご参加くださいましたみなさま、

楽しい時間を、ありがとうございました!




*****




意識は、どこにあるのでしょうか?




どこかに、あるのでしょうか?




それとも、それは位置を

もっていないのかもしれません。




本日は、私の呼ぶ「気づいている意識」から

「遍在する意識」へのシフトに関していただいた、

以下のご質問にお答えしたいと思います。




*****




【質問】




よく悟った人は、意識は遍在しているとか言いますが、

ステート・オブ・プレゼンスは脳の中の個人的な気づきですよね。

(やまがみ : 私は「ステート・オブ・プレゼンス」を

 「気づいている意識」と呼んでいます)




恩寵の扉が開くまで―フーマンとの出逢い』の中でフーマンも

「あなたの中心は、頭とか目の前とかに特定されていない。

あなたの中心は、実際にはあなたの外にある」と語っています。




やまがみ様 (やまがみ : できましたら、

これからは、「さん」づけでお願いします〔笑〕)

も似たようなことを述べていたと思います。




自分が疑問なのは、

ステート・オブ・プレゼンスという個人的意識から、

遍在する意識にどうシフトするのか、

そのあたりがよく分かりません。




それについて

やまがみ様の見解を伺えれば幸いです。




*****




「遍在する意識」という「ことば」を使って伝えようとしている人は、

それによって、なにを伝えようとしているのでしょうか?




私たちは、そのほかにもさまざまな「ことば」を使って

それを、伝えようとしています。




微妙に、いいかたを変えたものから、

まったくちがうもののことをいっているように

感じる可能性のあるものまで。




ここで、私が例にあげたいと思うものは、以下の二つです。




・一つ目は、

「意識の遍在性」、あるいは「遍在する意識」、「遍在的意識」。




・二つ目は、

「ワンネス」あるいは「一体性」、あるいは「全体性」。




どちらも、三つずつ例にあげましたが、

同じことを「あえて」微妙に 

いいかたを変えて表現しているものになります。




なぜ、「あえて」微妙に、いいかたを変えたのでしょうか?




それは、


「ことば」はたんなるイメージで、

それをヒントにして、私たち一人ひとりが、

「だれかのいった『それ』が、

『いったい、なにを指しているのか』を、

自分のなか(あるいは、外)を探して見つけたい」



からです。




上の六つの例も、

実はすべて「同じこと」のことをいっています。




ですが、人によっては、上下のものは、

それぞれちがうことのことを

いっているように感じる可能性もあります。




ブログや著書、ワークショップなどでお伝えしているように、

私たちは理論ではなく、体験をとおして「それ」を発見していきます

(詳細は、ブログ:誰でも悟りプロジェクト、エクササイズ・カテゴリー内の記事や、

著書『「いまここ」にさとりを選択する生きかた―21世紀のさとり読本 (覚醒ブックス)

のエクササイズのページをご参照ください)。




つまり、私たちはそれを手探りで探しており、

それぞれの人によって「ヒットする『ことば』」が

ちがう可能性があるため、いいかたを

微妙に変化させたものを「あえて」提示している

だけの話しになります。




では、私の体験をお話ししたいと思いますが、

そのまえに、以下のことを前置きしておきたいと思います。




それは、私の感覚をとおして「気づいた」ことであり、

私個人の体験であるため、

同じような体験が起こるかどうかは、わかりません。




これをお伝えすることで、

「イメージ」を提供することにもなりますので、

もしもその人がその「イメージ」(のなか)を探しはじめると、

かえって足かせになる可能性もあります。




「イメージ」は

個人の願望や希望が投影されたものであり、

真実の方向を指しません。




これゆえ、これは逆に

私たちを真実から遠ざける働きをするからです。




私たちはそれを、

「イメージのなか」ではなく、

「自分の体験のなか」を、

手探りで探していきます。




これからお伝えする「『ことば』のイメージ」のなかには、

「それ」はありません。




その「ことば」がなにを指しているのか、

自分の体験のなかを手探りで探したとき、

もしかしたら、

見つかる可能性がある、という話しです。




以下が、

このご質問に対する私の答えです。


(頭で考えずに

「気づいている意識」をとおして

あなた自身の「内」、

あるいは「外」を、探してみてください)




*****




【質問】




よく悟った人は、意識は遍在しているとか言いますが、

ステート・オブ・プレゼンスは脳の中の個人的な気づきですよね。

恩寵の扉が開くまで―フーマンとの出逢い』の中でフーマンも

「あなたの中心は、頭とか目の前とかに特定されていない。

あなたの中心は、実際にはあなたの外にある」と語っています。




自分が疑問なのは、

ステート・オブ・プレゼンスという個人的意識から、

遍在する意識にどうシフトするのか、

そのあたりがよく分かりません。




【答え】




シフトについてお答えするまえに、

つぎのことを意識していただきたいと思います。




「一体性」だけがあります。

最初から。




「遍在する意識」だけがあります。

最初から。




そこに、「個人的意識」が起こっているだけです。




すべてのものごとが、

「遍在する意識」のなかで起こっています。




ですから、

「遍在する意識」とは、

「遍在する意識」であると同時に、

「起こっているすべて」です。




そもそも最初から、

この両者には差異などなく、

この「全体性」

―つまり、「遍在する意識」と、

「遍在する意識」が気づいている

「起こっているすべて」―

こそが、「一つなるもの」です。




「気づいている意識」

(「個人的意識」にも気づいている、

「気づいている意識」)

は、「個人的意識」と同一化する過去の習慣を

まだ残存させている可能性があるため

(「気づいている意識」の発見とその習慣化は、

「個人的意識との同一化の習慣」からの

目覚めのためではあるのですが)、

起こっている同一化の度合いに比例して、

自分の内側

(頭のなか、あるいはその近辺)

に位置しているように感じることが

「起こりえ」ます。

(あるいは、まだこの習性が、

残っている場合があります)





「けれども同時に」、すべて―「一体性」―が、

その「『気づいている意識』の『なか』」で

起こっていると感じることも「ありえる」かもしれません。





すべてが、「『気づいている意識』の『なか』」で、

起こっていると感じるようなことが起こると、

私たちは意識を「遍在したもの」と、感じるかもしれません。


(「気づいている意識」には、

意識を「遍在したもの」と感じる能力があります。

が、「個人的意識」が気づかれないままに残存していると、

それが、これを隠すことになります)




意識を、体(あるいは、なんらかのイメージ)のなかに

閉じ込めているのは、私たちかもしれません。




最初から、「それ」しか存在していないところに、

「自分という意識」(個人的意識)が誕生し、

いままでは、「『小さな自分』のなかに入っている感覚」だけを

感じていただけなのかもしれません。




ここで、先にご紹介したことばについて、

もう一度、考えたいと思います。




「ことば」はたんなるイメージで、それをヒントにして、

私たち一人ひとりが、「だれかのいった『それ』が、

『いったい、なにを指しているのか』を、

自分のなか(あるいは、外)を探して見つけたい」。





体(頭)のなかに位置している

(と感じていた。あるいは、感じられていた)

「気づいている意識」の視点から、それが発見されると、

「個人的意識」にとらえられていた「気づいている意識」(内)から

「遍在する意識」(外)へのシフトのように感じられるかもしれません。




けれども、「遍在する意識」(外)こそが、

自分の真実だったとわかったら、

「個人的意識」は、そのなかの「現れ」―小さな現れ―

(「外」のなかの「内」)になっているかもしれません。

(あるいは、別のいいかたをすると、

「『外』から『内』の発見として

感じられる」かもしれません)




あるいは、「遍在する意識」こそが

その本質だったとわかるため、

シフトはそもそも必要ないと、わかるかもしれません。




また、「遍在する意識」の秘密がわかっても、

「個人的意識」はなくならないかもしれません。




なくなる必要などないからです。




それも「遍在する意識」のなかで起こっている、

「『遍在する意識』の現れ」の一つだからです。

(気づいていないから、これに乗っ取られるだけであり、

「気づいていること」こそが、私たちの真の状態だからです)




「遍在する意識」のなかで、

すべてが起こっています。





このとき、この「すべて」を含む「遍在する意識」、

あるいは「一体性」、あるいは「全体性」が、

「私の本質」(※1) あるいは、「私の真実」(※2)であり、

「個人的意識」も、その現れの一つだとわかります。




最初から「それ」以外は、

なにも存在していなかったのです。




「それ」のなかで、

「『それ』の起こり」が「起こっていた」のです。




そのときには、「個人的意識」は、

「ただの起こり」として感じられるようになっており、

「私」とは、その起こりをゆるす

「遍在する意識」だったと感じるようになるかもしれません。




そのとき個人の「私」はいなくなり、

「すべての起こりをゆるしているもの」が

「私」(の真実)だったとわかるかもしれません。




ですから、それが起こったときには、

シフトなど最初から存在していなかったことが

わかるかもしれません。




最初から「そう」だからです。




このときには、意識は「存在している」ともいえるし、

「存在していない」ともいえるように

感じるようになっているかもしれません。




どちらも、ただの説明にすぎないからです。




説明など必要なく、

「それ」(遍在的意識)が

「それ」(遍在的意識の起こりのすべて)を

生きています。




「個人的意識」が、これに気づく必要さえもありません。




「必要がある」といっているのが、ただの空想の物語だからです。




シフトも、シフトではないも、空想の物語です。




「個人的意識」へのとらわれから、

最初からすべてが、「遍在する意識」のなかで

起こっていたことであることに気づくことがシフトではありますが、

「シフトがある」、あるいは、「シフトが起こった」といっている

「個人的意識」が幻想であるがゆえ、

シフトなど、そもそも存在していません。




「遍在的意識」が、

「『遍在的意識』の起こり」を見ています。




「『遍在的意識』の起こり」のなかに、

「個人的意識」が起こっています。




「『個人的意識の起こり』を含む、

すべての起こり」に気づいた「気づいている意識」

(ステート・オブ・プレゼンス)が、

すべてが「『遍在的意識』の起こり」であることに

気づくかもしれません。




気づくまでは「気づいている意識」は、

「気づいている意識」を、

「個人的意識」のなかの起こりだと

錯覚するかもしれません。




このため、位置をもっているように、

錯覚しているだけかもしれません。




すべてが「『遍在的意識』の起こり」であることに気づくと、

「個人的意識」など、そもそも存在しておらず、

それも「『遍在的意識』の現れ」だったとわかります。




もともと、「遍在的意識」だけが

存在していたわけです。



「遍在的意識」以外は、

そもそも存在していません。




「個人的意識」は、

たんなる空想上のイメージだったのです。




それに気づくことができるのが、

「気づいている意識」です。




これゆえ、意識

―あるいは、「気づいている意識」―は、

もともと、どこにも、なににも

拘束されていなかったことがわかります。




(「個人的意識」に、

「気づいている意識」には、気づくことができます。

〔「気づいている意識」は、「個人的意識」に気づくことができます。

意識が「個人的意識」に気づいていないとき

―「気づいている意識」がそこにないとき―、

「個人的意識」は、意識を乗っ取ることができます〕

「気づいている意識」は、「遍在的意識」に気づくことができます。

「気づいている意識」は、「個人的意識」は

「遍在的意識の起こりの一つ」であることに気づくことができます。

「気づいている意識」は、

すべてが、「遍在的意識のあらわれ」であることに気づくことができます。

「気づいている意識」は、これゆえ、存在するものすべては

「遍在的意識」(のあらわれ)だと気づくことができます。

これゆえ、「気づいている意識」は、

「気づいている意識」も、「遍在的意識」だと気づくことができます。

これゆえ、「気づいている意識」は、

それはなにものにも制限されていないことに気づくことができます。

これゆえ、これまで感じていた制限が、

錯覚にすぎなかったと気づくことができます)




意識は、いっさいなににも、制限されておらず、

それには場所も、「内」も「外」も、

そもそも、存在しないことがわかるかもしれません。




これで、

「ステート・オブ・プレゼンスは脳の中の個人的な気づきですよね」と、

断定していたのは、自分(「個人的意識」)のほうだったのかもしれないことに、

気づいていただけたかもしれません。




ですから、「ステート・オブ・プレゼンス」(「気づいている意識)は、

「個人的意識」ではなく、「個人的意識」に「気づいている意識」です。




ですから、それは、「個人的意識」のとらわれに、

とらわれていません。




その狭い場所に、

閉じ込められてはいないのです。




「個人的意識」にただ「気づいている意識」ですので、

それは、「個人的意識」をこえています。




「個人的意識」をこえているから、

「個人的意識」があると思われている場所にも、

制限されていないのです。




「個人的意識」の制限から、

自由であるがゆえ、

その外側につながることができます。

(もともとつながっているのですが、

「つながっていない」という思考のうそから目覚めることで、

つながりが取り戻されたように感じることが可能です)




「気づいている意識」は、

もともとどこにも所属しておらず、

もともとどこにも位置をもっていません。

そして、どんな制限ももっていません。




ですから、これは、

「幻想からの目覚め」と呼ばれています。




「『個人的意識』がある」という幻想からの、目覚めです。




(※1)(※2)「私の本質」「私の真実」の「私」について

ここで使った「私」ということばには、「小さな私」

「個人としての私」という意味は含んでいません。

ここの「私」は、

「あらゆること」(すべて)を含む「遍在する意識」、

「あらゆること」を体験しているおおもとの「私」、

あるいは「宇宙」、あるいは、「宇宙そのもの」のことです





*Information*




◆第8回 「やまがみてるおサットサンin大阪」

大阪市内 (お申し込みいただいた方に、ご連絡いたします)

日時 2015年3月 13日(金)19:00~21:00(受付開始 18:45~)

参加費:3000円 (お申し込み後、お振り込みをお願いします)

詳細は こちら

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「できること」と「できないことに気づく」

12-21(日)09時19分
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基本的には、私たちには何もできない。




けれども、何もしなければ、

「私は一人の人間だ」という

うそのなかにい続けることになる。




「真実とは何か?」を問い続けることによって、

うそからの目覚めが可能になる。




私たちにできることは、

真実とは何かを問い続けることによって、

真実と虚偽を見分ける能力を獲得し、

虚偽を捨てて、真実を確立していくこと。




つまり「真実に気づき続ける」ことで、

うそを見破り続けること。




だが、これに抵抗する自分がいて、

それがそのままでいることを私たち宿主に選ばせる。




できることをほうっておくことで、

私たちはいつまでも「一人の人間という、うそ」のなかにい続ける。




自分がそこに、い続けたいのだ。




守るべき「自分」(自我)のなかに!




*Information*




◆第7回「やまがみてるおサットサンin大阪」

大阪市内(お申し込みいただいた方に、ご連絡いたします)

第7回:2015年1月16日(金)19:00~21:00(受付開始 18:45~)

参加費:各回、3000円(お申し込み後、お振り込みをお願いします)

お申し込みは こちら




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主体の役割

11-26(水)09時21分
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私たちのなかには、

すべての起こりに気づくことのできる、主体が存在しています。




子どものころから学んできた知識の盲信状態にあると、

これが見えません。




自我(子どものころから学んできた知識)は、

私たちを騙すことができます。




主体は、それを見破ることができます。




見破ることができることに気づくまで、

過去から学んできた知識がうそにすぎなかったと気づくまで

(もしかしたら、うそかも知れないと意識されるようになるまで)、

盲信状態はつづいていくことができます。




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もともと「悟り」も「悟りではない」もない

07-18(金)09時40分
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もともと「悟り」も「悟りではない」もありません。




「悟り」とか「悟りではない」といっているのが

自我だからです。




そして、自我はそもそも最初から存在しておらず、

かつて存在したことさえありません。




それ―自我の活動―に、心―自分―が動くとき、




―つまり、他者の行動や外界の起こりに、否定的言動が起こるとき―




それは自分のなかに、

まだ幻想が残っていることを教えてくれているサインです。




サインに気づいたら、残存している幻想から目を覚まします。




幻想ではなく、真実を選びます。




それだけです。




ただ選ぶに抵抗を感じるようになっているとしたら、

それは目覚めのあとに、自我が力を取り戻している証拠です。




この事実に目を向ける勇気があれば、

何を選ぶかは明らかになります。




つぎに問われることは、

自分のそれを免除するか、

恐れずに、そのサインの導きを受け取るか、です。




つまり、「すべては、あるがままでOK!」に、

意識を向け続けるかどうかです。




「すべては、あるがままでOK!」に、

意識を向け続けることは、誰にでも可能です。




それなのに、抵抗が起こっているのだとしたら、

それはいったい、「誰」が抵抗しているのかに、

意識を向けてみましょう。




*Information*




◆「1Dayワークショップ『さとり意識発見』in福岡」

・福岡市内:2014年7月26日(土)10:00~16:30 (延長の場合あり、開場9:40)

・参加費:20,000円(お申し込み後、お振込み)

・お申し込みは こちら


※前日2014年7月25日(金)にはトークライブも開催します。


◆やまがみてるおトークライブ in 福岡

・福岡市内:2014年7月25日(金)19:00~21:00

・参加費:3000円(お申し込み後、お振込み)

・お申し込みは こちら



◆マスター濱田浩朱&高田なづな&やまがみてるお「悟りのQ&Aセミナー」

・大阪市内:2014年8月9日(土)14:00~16:30 (開場13:50)

・参加費:12,000円(お申し込み後、お振込み)

・お申し込みは こちら

・詳細は こちら

・マスター&なづなちゃんの公式サイト「re-mauna」、プロフィールは こちら




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悟りとは、否定性がなくなること(2/2)真実を知っている自分とともに生きる

07-17(木)10時00分
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何かを否定する言動が起こったとき、

それは自分のなかにまだ幻想が残っていることを

教えてくれているサインです。




自我は本当に巧妙です。




私たちが自分だけを免除する落とし穴をたくさん準備しているかのようです。




エゴ消滅の過程で起こるのは、

二極性や分離の幻想からの目覚めです。




目覚めの一瞥で、この幻想からの目覚めが一瞬で体験されますが、

自我の慣性の力が強いと、ふたたび気づかないうちに

二極性と分離の幻想のなかに

引き戻されてしまうようなことも起こります。




こうなると「ポジティブもネガティブもない、

だからネガティブであってもいい」という嘘を

生きることが起こりえます。




そうなると、

その人は自分(だけ)のネガティブ性を免除するようになります。




つまり「いいも、悪いもない。だから『私は“悪い”、と言動してもいい』」と

錯覚するようになるのです。




世のなかに、いいも悪いもないことが本当にわかっている人が

「悪いものがある」と言うでしょうか? 




本当にいいも悪いもないことがわかると、

悪いという、必要のあるものは、

その人の見る世界から、完全に消滅します。




いいも悪いもないのですから。




何かを否定する言動が起こったとき、

それは自分のなかにまだ幻想が残っていることを

教えてくれているサインです。




サインに気づいたら、

残存している自我から目を覚まします。




幻想ではなく、真実を選びます。




それだけです。




「ただ選ぶ」に抵抗を感じるようになっているとしたら、

それは目覚めのあとに、

自我が力を取り戻している証拠です。




この事実に目を向ける勇気があれば、

進む方向(何を選ぶか)は明らかになります。




つぎに問われることは、

自分のそれを免除するか、

それとも恐れずに

―恐れているもの、抵抗しているものは自我に過ぎないのですが―、

そのサインの導きを受け取るか、です。




*Information*




◆「1Dayワークショップ『さとり意識発見』in福岡」

・福岡市内:2014年7月26日(土)10:00~16:30 (延長の場合あり、開場9:40)

・参加費:20,000円(お申し込み後、お振込み)

・お申し込みは こちら


※前日2014年7月25日(金)にはトークライブも開催します。


◆やまがみてるおトークライブ in 福岡

・福岡市内:2014年7月25日(金)19:00~21:00

・参加費:3000円(お申し込み後、お振込み)

・お申し込みは こちら



◆マスター濱田浩朱&高田なづな&やまがみてるお「悟りのQ&Aセミナー」

・大阪市内:2014年8月9日(土)14:00~16:30 (開場13:50)

・参加費:12,000円(お申し込み後、お振込み)

・お申し込みは こちら

・詳細は こちら

・マスター&なづなちゃんの公式サイト「re-mauna」、プロフィールは こちら




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プロフィール

やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

 ご質問には、記事のなかで
 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

著書

『スターピープル vol.56』より、連載がスタート!

ぜひ、ご覧ください!

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