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やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

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真実を知っている自分

01-10(金)13時55分
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すべての人のなかには、「真実を知っている自分」がいます。




けれども、それは人生経験によって身につけてきた知識によって、

すっかり隠されてしまっています。




人生経験によって身につけてきた知識とは、

自分が経験してきた物語、ストーリー、

それによって確立された「自分という感覚」です。




そこには、すべての教えられてきたこと、学んできたことから、

体験のすべてが含まれています。




「『自分の体験』のすべて」を含んでいるのですが、

それが「すべて」ではありません。




けれども、それが、「『自分の体験』のすべて」であるため、

それこそが、「すべて」だと勘違いしています。




ですから、それは「いつわりの自分」といえるわけです。




そして、その「勘違いの『すべて』」

(本当は自分から見ると「すべて」に見えるだけの、

真実から見ると、ほんの小さな小さな一部分。

「自分の記憶」という狭く制限されたもの)を守るためには、

他者との衝突も厭いません。




この衝突が、自分を不運におとしいれることになるのですが、

それでも私たちは(無意識に思考に同一化している状態においては)

この勘違いに執着します。




これが「『いつわりの自分』に乗っ取られて、操られている状態」です。




けれども「真実を知っている自分」は、

けっして、いなくなったわけではありません。




つねに私たち(「『いつわりの自分』に乗っ取られて、

操られている状態」の私たち)に信号を発し続けてくれています。





その信号は、「何かが間違っている!」という感覚として

発信されます。





そうです。「真実を知っている自分」は、

真実を知っているから、自分の人生は、

何かが間違っていることを知っているのです。





狭い狭い知識にとらわれていては、

幸せになれないことを知っているのです。




けれども、私たちはこの「真実の声」を恐れ、

無視する傾向があります。




当然その場合には、いらだちがつのります。

これが、不幸の原因です。




このいらだちが、自分に押しつけられると、

うつや自殺に発展しえます。




これが、外界に向けられると、

衝突や暴力、犯罪に発展しえます。




この「狭い知識」―「自分という感覚」(「偽りの自分」)―を

守ろうとすることが、苦悩の原因なのです。




では、この「真実を知っている自分」は、

どうやって見つけることができるのでしょうか。




信じている思考が、うそである可能性に意識を向けることです。

無意識に起こっている思考に気づき、観察することです。




偽ものの思考を観察することです。

偽ものの思考は、私たちに苦悩を与えます。




無意識の思考が観察されると、

その影響からはなれた意識が発見されるかもしれません。




それが「真実を知っている自分」です。




どうして、その意識は「真実を知っている」といえるのでしょうか?




自分で試してみることです。




どれほど勉強しても、どれほど知識をえても、

それが体験されないかぎり、何の役にも立たないでしょう。




二つの状態を試してみればいいだけなのです。




一つは、「無意識に思考と同一化していた経験」。

もう一つは、「真実を知っている自分」の声を信じたときの経験。




これが体験的に理解する方法です。




どちらが、自分にとって真実と感じるのか、試してから、決めましょう!

そう提案しているだけなのです。




このどちらかが、私たちを真実へと導いてくれる内なる羅針盤です。




それが見つかったときには、わかっていただけるでしょう。

スピリチュアル・ティーチャーなんて必要ありません。




自分の内側に、それを発見することです。




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自分本来の能力が、「現実離れした能力」に感じる理由

11-22(木)15時30分
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「ことば」が、私たちの体験を阻害しています。




「この世」とは、

「いまここ」に生きている自分とその人生です。




「あの世」とは、そのすべてを含み、

すべてを許し、受け止めてくれている、

あるものすべての背後にある「存在」です。




私たちの意識は、

現象として現れている部分しか認識することができません。




ですからこれが「この世」と感じられ、

これだけが、いま私たちの目のまえに存在していると信じています。




私たちの意識が限定的なものであるため、

それには感知されない部分が存在します。




私たちは、限定的に感知された部分だけを見て生きてきたため、

宇宙にはその部分しか存在しないと錯覚しています。




「この世」とか「あの世」とかという「ことば」をとおしてお話していますが、

どちらも「いまここ」に存在しています。




「ことば」のイメージがそれをわかりづらくしているかもしれませんが、

これらは、「ことば」をこえたところで、感じることによって認識されていきます。




私たちは、いつも

高次の存在から助けられています。




これをスピリチュアル系の先達が、

「ガイド」や「チャネリング」という「ことば」にして表現しました。




けれどもじっさいには、このような「ことば」さえも、必要のないものなのです。




「ガイド」や「チャネリング」という「ことば」が、

特別な印象を私たちに与え、

それによって特別な人にだけゆるされたものであるかのような錯覚を受け、

つねに起こっている自分に対する「ガイド」や「チャネリング」に

気づきにくくしています。




ときどき私たちは、「ひらめき」や「直感」をとおして、

おどろくような情報やアイデアを受け取ることがあります。




「いいえ、私には起こりません」

といっている人があるかもしれませんが、

そういう人は、ただそれに気づいていないだけなのです。




そうして、私たちはもともともっている、

その人本来の才能を、「現実離れした能力」と選別し

(無意識ではあっても)、無視をして生きています。




高次の存在からの助けは、

「ことば」ではありません。




ただ感じることで伝達されます。




先にお話した「この世」や「あの世」も、

「ことば」ではありません。




ただ感じることで

どちらもが「いまここ」に存在していることが

実感されていきます。




ただ「いまここ」が「穏やか」であることを感じてください。




ただ「いまここ」が「穏やか」であることにゆだねていってください。




その「感じ」をとおして、

私たちは「ことば」をこえたものとともに生きていることを

体感していきます。




そうして、自分に起こる「ひらめき」や「直感」

(ガイド―「あの世」からのアドバイス)に

しだいにゆだねるようになっていき、

「現実離れしていた」と思っていた「能力」が

現実世界(「この世」)へと発現されていきます。




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すべての人のなかに、真実を感じ取る能力がある(2/2)

10-03(水)20時44分
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自然界に存在するものはすべて、もともと名前をもたず、

「宇宙そのもの」の現われ(ワンネス)として存在しています。

(くわしくは、こちらをご参照ください。

 『そこにある花は、「花」ではないのに私たちに「花」と呼ばれている』

 


もともと「唯一(非二元)なるもの」を、

それぞれの部分に分断し、名前をつけて、

意味を説明するという方法(部分に分けて説明し、

そうして説明された知識を伝達して世界を理解するという方法)をあみだし、

それをくりかえしてきたことによって私たち人類は、

それらがみな「もともと分断されたものである」と勘違いし、

これに関して疑問にすら感じないようになっていまっているため、

「もともと一つである」と感じにくくなってしまっているのです。




私は、頭(思考)のなかで、

愛犬が生まれてきた瞬間があったことを知っており、

その成長の過程を思い出すことができます。

最後に、「生命の源」へと旅立った瞬間が、確かにあった、

大切な命があのときに失われたと考え(思考し)、

その考え(記憶)を大切に守ろうと執着して、悲しくなりますが、

私たち人間の頭のなかにある概念の世界の外側(「宇宙そのもの」の世界)では、

「一なる宇宙」の「ただ一つの躍動」だけが進展していっていることもわかります。




思い出(悲しい思い出も、楽しかった思い出も含むすべての記憶)とは、

思考でできている残像であることを理解して、

この理解に合わせて、思考をこえた感覚

(思考をこえたところにある穏やかな感覚を探し出し、

そこにゆだねること)をじっくりと感じるようにすると、

「過去を悲しんでいる自分」と

「穏やかな感覚につながっている自分」の

二つの感覚が存在することがわかるようになります。




「過去を悲しんでいる自分」とは、思考に操作されている自分です。

「穏やかな感覚につながっている自分」とは、

これまで思考偏重社会に生きてきたために無視し、

このため感じにくくなっていた、

「個」(肉体としての自分)と「全」(宇宙〔生命の源、宇宙そのもの〕)を結びつける、

直観的感覚です。



すべての人が、つねに穏やかな状態であっていいのですが、

思考がそれを許さなくなっているだけなのです。




穏やかさにつながる直観的な感覚は、

思考の背後に追いやられ、

感じにくくなっている能力ではありますが、

すべての人が、もともともっている能力です。




感じることに開いていくと、やがてその感覚が浸透してきます。




思考の語ることばは私たちをいらだたせ、

ただ穏やかに感じる部分は、外側の世界とは関係なく、穏やかです。




どちらを生きるべきかは、明らかです。




自分のなかのどこかに、

何があっても穏やかに感じる部分が存在しないか探し出してみてください。




その部分につながり、その感覚とともにあるように努めましょう。




ただいまではそれが、感じにくくなっているだけなのです。




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すべての人のなかに、真実を感じ取る能力がある(1/2)

10-02(火)16時08分
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起こる思考に気づきながら、思考することが可能です。




現代の私たちはこのことを意識せず、

そのため、起こる思考に巻き込まれ、

思考と同一化し、その内容に操作される傾向にあります。




思考に気づきながら、思考している状態とは、

思考を「本来の道具」として活用している状態です。




けれども、これまで私たちは、

思考が起こったときにそれに気づかず、

そのまま、その思考の内容に巻き込まれ、

放置してきたため、それが習慣化しており、

思考が起こると、思考の内容が自分であると

同一化するシステムが自動化されてしまっています。




自我とは、思考であり、

頭のなかの声となり、私たちを操ります。




私たちはその声と同一化し、

その奴隷のような人生を生きています。




この声が、私たちを本来歩むべき、

幸福な人生から遠ざけています。




頭のなかの声(思考)は、すべて、外から入ってきた、

自分以外の誰か(大勢)の声です。




無条件に信じることによってそれが障害となっています。




私たちは長く、外側の声からすべてを学んで生きてきました。

外側の声のなかには、真実と虚偽が含まれています。




学びや経験によって自分のなかに蓄積した知識のなかには、

「真実のもの」と「虚偽のもの」が含まれていることになります。




学んだ知識を、無条件に信じている(信じてきた)ことによって、

虚偽の部分が障害を発生させます。




虚偽の部分が障害となる理由は、私たち自身のなかに、

「真実を感じ取る能力(部分、もしくは感覚)」があるからです。

けれどもいまはこの能力が弱まっているため

(思考の背後に追いやられているため、

たとえ感じたとしても思考のほうを信じて)

それを大切に扱わず、無視しているため、

このために矛盾を抱え込むことになるからです。




感じる部分と、思考で信じる部分が一致しないためにこれが起こります。




これまでの人生全体をとおして、

思考偏重(左脳重視)社会に生きてきたために

このようなことが起こっています。




ただそれだけのことですので、

私たち自身が、自分のなかに眠る、

この感じる能力(退化している感覚)に意識を向けて、

それの発する声(感覚)を感じるようにしていくと、

しだいにこれまで思考偏重によって感じていた矛盾が解消されていくことを体験します。




たとえば、先週(2012年9月27日)、私は、

愛犬が「生命の源」へとかえっていくところを目撃しましたが、

そのあとも思考は私を責めようとしています。




思考は私に「もっとできたかもしれないこと」をたくさん並べ立てます。

なかでも、最後の瞬間、呼吸が一瞬、苦しそうになりました。

そのときに、できなかったこと(助けてあげることができなかったこと。

できるわけがなかったことであるにもかかわらず)を私に思い出させ、

ときどき、つらい気持ちにおそわれます。




このようなときに、これが自我の声によって起こっていることに気づくと私は、

その瞬間の感覚に意識を向けます。

それは、過去を思い出し、自分責める声に耳を傾けることによって感じる感覚ではなく、

「いまここ」で自分の生きている、その瞬間の自分の感覚に意識を向けることです。




そうすると、その感覚は、いま自分が生きていることを思い出させてくれ、

それは、愛犬が生きていたときも、

愛犬との別れを経験したあともまったく変わりなく、

つづいていくこと(つづいていること)を思い出させてくれます。




出来事は起こり、愛犬は存在しませんが、

この感覚は、それ以前も、それ以降も、変わりなく、

自分が「いまここ」で生きていること

(存在していること)を感じさせてくれます(*)




この感覚が、私を穏やかな感覚へと引き戻してくれます。




思考が、私に何をいおうと、

「いまここ」で生きている感覚、

存在している感覚につながるかぎり、

私は穏やかな感覚を取り戻すことができます。




思考よりも、感覚を信じるほうが、私は穏やかです。




「ただ穏やかである(穏やかに感じる)」以上の理由が必要でしょうか?




そのほかの理由を私は必要とはせず、

ただ感覚を信じることを選びます。




自分のなかに「ただ穏やかである」感覚が存在していないか探し出し、

その感覚にゆだねていくことが可能です。

思考にはつねにそれを妨害しようと試みつづけますが・・・。




(*)将来的には私たち自身もまた「宇宙の源」へとかえっていきますが、いまはまだそのことを考える
   必要はありません。
   感覚が浸透すると、そのときに何が起こるのかが、「感覚的」に、わかるようになっていくからです。





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悟りとは、自分を感じること

06-21(木)13時33分
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悟りとは「いまここ」で

「いまここ」の自分の

感じていることを感じることです。




感じるためには、思考は必要ありません。





そこに無意識の思考があると、

無意識の思考の影響を受けた

自分の感覚が、私たちに影響をおよぼし、

「いまここ」で自分の感じていることに

ヴェールがかぶせられます。




無意識の思考は「過去の記憶」や「未来の憶測」から形成されています。

「過去の記憶」は「不満」に、「未来の憶測」は「不安」に

つながる傾向が高いため感情的な反応として感じられます。




この感情的な反応はインパクトが強いため

私たちは「いまここ」の自分の感じていることを、

純粋に感じることができなくなります。




悟りとは「いまここ」で

「いまここ」の自分の

感じていることを感じることです。




私たちは体を動かすときに、思考を介しません。

感じるままに体を自由に操ります。




生きるとは、感じるままに生きること。




私たちには「いまここ」に

完全なる至福を感じる能力があります。




「いまここ」の自分の純粋に感じていることに

ゆだねる練習をしましょう。




「いまここ」の自分の

純粋に感じていることにゆだねると

ほんとうに、思考のいうように大変なことが起こりますか?




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プロフィール

やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

 ご質問には、記事のなかで
 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

著書

『スターピープル vol.56』より、連載がスタート!

ぜひ、ご覧ください!

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