誰でも「悟り」プロジェクト   意識の中心みいつけた!

やまがみてるお blog   意識の中心―ほんとうの自分―の見つけ方

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私たちにはそれぞれに、特有の能力が与えられている

01-22(火)21時15分
こんにちは、やまがみてるおです。

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今回は、自分自身の才能と能力について

お話しさせていただきたいと思います。




自分の才能、能力に向き合うとは、

自分自身の価値と向き合うということです。




けれども、私たちは自分特有の価値から

目をそらして生きている傾向にあります。




人生経験において、

特別な人間になることよりも、

みんなとおなじ人間になるように求められてきたからです。




このような経験から、

私たちは、自分特有の価値―才能、能力―から目をそむけ

そこから逃れようとする傾向を

知らず知らずのうちに身につけています。




自分特有の才能、能力は

「ほんとうにやりたいこと」の延長線上にあります。




あるとき、私は自分のやりたいことに、

なんとなく気づきはじめました。





そのときの私は、

自分の「ほんとうにやりたいこと」とは

「私たち人類がおちいっている、

思考がつくりだしている人間という幻想からの

目覚めをお手伝いするための本を出版する」ことだと感じました。

そしてその目的は、

世界と歴史によい影響を与えるためである

ということがなんとなく、わかりました。




けれども、こんな大それたことが、

自分にできるなんて思うでしょうか?




思うはずがありません。




私はこの感覚を恐れ、

そこから必死に目をそむけて

生きていくことにしました。




自分(個別意識、自我)から見ると、

それはとっても恐ろしいことだからです。





私になんて、できるはずがない。

本を出版するなんて、私になんて、できるはずがない。

世界を変えるなんて、私にはできるはずがない。

歴史を変えるなんて、私にはできるはずがない。

そんな大それたことが、私になんて、できるはずがない!




これらはみな、私が、自分のほんとうにやりたいことに

気づきはじめたときに感じたことです。




それから私は長く葛藤を経験することになりました。

この葛藤と私はその後20年、闘うことになります。




完全に無視することはできず、

その感覚が私に求めていることと、

自分なりに向き合いながら、

それでもなんとかしてそこから逃れる方法を

模索しながら、生きていきました。




私たちが感じている自分、信じている自分とは、

どうもそのままで正しいものではないのかもしれないと

感じはじめた私は、自分の感じていることを確認するために、

それに関連する、たくさんの本を読んでその答えを探しました。




読んでいくうちに、自分なりの考えができあがります。

とりあえず、恐れながらも、

その考えを文章にして、まとめるようになりました。




初期のころの文章をいま読み返すと、おそらく、

読めた代物ではないのではないかと思います。

ほとんど紛失していますので、

確認することができないことを幸いに感じるくらいです。




この20年のあいだに、たくさんの文章を書きました。




波長の合いそうな研究機関や、

出版社の主催する出版コンクールなどにも送りました。




ある心理学の学会誌に論文が採用されたことを除いて、

私の書いた過去の文章は、

ほとんど価値なしと判断されました。




この20年のあいだに、

何度も何度も自分の伝えたいことは、

上書きされ、書きなおされ、

書き加えられ、また一から書きなおされる、

というようなことがくりかえされていきました。




そのような過程の最中に、

このブログでお伝えした「悟り」の体験が私に起こりました。




体験がともなったことで、これをお伝えしたいと

ますます強く感じるようになっていきました。




このころから、出版することが重要なのではなく、

ただ「伝えたい」という感覚のほうが

しだいに強くなっていきました。

出版は「伝えたい」のその先の目標として、

見つめるようになっていました。




「自分になんてできるはずのない、大それたこと」から

「いつかは出版をとおしてこれをお伝えしたい」

という目標に変わっていました。




けれども当時の文章は、まだまだ

理解していただけるレベルには到達していませんでした。




しだいに増えていく

私の活動を応援してくださる友人に読んでいただいても

「むずかしくて、ようわからんわ」といわれたり、

手にとった瞬間、ペラペラと見た後で

読んでもらうこともできずに、ソファーの横に置かれ、

否定されるというような経験もしました。




某出版社の主催する出版原稿募集キャンペーンに応募したり、

そのほかの哲学系の団体が募集していた

記念の賞に応募しましたが、

まったく鳴かず飛ばずでした。




友人の反応や、これらのコンペティションの反応の体験から私は

「読んでいただくためには読みやすく書く必要がある」ことや

「本を読むには楽しいという要素も重要だ」

と考えるようになりました。




私の書いた原稿は、まず妻に読んでもらいます。

妻は、もっとも厳しい最初の読者でした。




書いているとき、私はほんとうに気持ちよく、

まるでエクスタシーと呼んでもいいような感覚のまま、

ただパソコンに向かってキーボードを叩きつづけます。

私は、ただ降りてくるものをパソコンに打ち込みながら、

創造がもたらすエクスタシーのなかに没入します。




「私は、こういうときに書いたものこそ、

すばらしい(はずだ)」と自信をもって妻に見せます。




妻は、「こういうときに書いたものこそ、あやしい」と、

そういうときの文章が、読者に与えかねない負担を

指摘してくれます。




たとえば、同じ内容の文章を、

伝えたいがゆえ、ことばを変えながら

何度もくりかえし書いているようなことが起こっているのですが、

私は心地よく書いているがゆえに、

そのようなことをよく見逃しているのです。




しだいに私は、

「わかりやすい文章を書くこと」、

「読みやすくまとまった文章を書くこと」

の意味とその方法を学んでいきました。




ちょうど、そのようなことを学んでいたころ、

テレビでは池上彰さんの番組が人気を博していました。




「楽しく、かつ、わかりやすい、

池上彰さんが書いたような悟り系の本を書きたい」

そう感じた私は、池上彰さんの伝え方を研究しました。




    






このような経験から、私は

悟りをわかりやすく伝えることが

できるようになってきたと、

自分の書くものに自信を感じることが

できるようになっていきました。




そうして、私は

ブログ『誰でも「悟り」プロジェクト』をはじめました。

(その半年後、ナチュラルスピリットさまに企画書を持ち込みます)




私たちは、自分の才能、能力―価値―と向き合うことから、

逃れようとする傾向があります。




私たちは、怖いのです。




それに挑戦することが怖いのです。




私もそうでした。




私になんて、できるはずがない。

本を出版するなんて、私になんて、できるはずがない。

世界を変えるなんて、私にはできるはずがない。

歴史を変えるなんて、私にはできるはずがない。

(もちろん私は、自分に歴史を変えることができる

 なんて思っていません。でも、そのために働くことが、

 自分のほんとうにやりたいことであることがわかっています)




自分の「ほんとうにやりたいこと」に気づきそうになると、

私たちは恐怖を感じ、そこから目をそむけようとします。




「そんな大それたことが、私になんて、できるはずがない。

おまえは何様になったつもりなんだ!」




自我には、私たちの可能性は理解できません。

自我とは、制限された視点だからです。




けれども世界は、

私たち一人ひとりの才能を必要としています。

一人ひとりの真の能力の発現を必要としています。

世界はそれによって、新たな発展を得ることができるからです。




私たちが生まれてきた理由、

「いまここ」に生きている理由、

それは―、

自分の才能、能力を最大限に発揮して

その可能性を謳歌するためなのです。




ちいさな、一歩―。

20年まえ、

最初のちいさな一歩をふみださなければ、

いまの私はありません。




「いまここ」の、

最初のちいさな一歩が、

それぞれの人生にとっての重大な転換点になります。




*ワンクリック、応援おねがいします。

 みんなで世界観を転換しましょう♪

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(50) 「『あるがまま』の受容」について

10-05(水)23時02分
こんにちは、やまがみてるおです。

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私がお伝えしようとしている「『あるがまま』の受容」とは、

じっさいは4000円のクリーニング代金のところを、

6500円請求されたときに、6500円支払うという意味ではありません。

(出来事の詳細は、「近所のクリーニング店のユニークな店員さんの話」をご参照ください)




事実を、事実として伝えることは、悪いことではありません。

たとえばレストランで、温かいはずの料理が冷めていたとしたら、

その事実を伝えたほうが、お互いのためになります。




冷めた料理を無理して食べて (もしくは食べずに残して) 帰っても、

心の深部に、わだかまりを残します。




私たちが事実 (この場合は料理が冷めていたこと) を伝えることで、

そのレストランはその後、別のお客さんに同じような思い (その店に対する不信感)

を与える可能性が少なくなりますし、

また私たち自身も、その店に対する不信感を心に持続させる可能性が少なくなります。




私たちがレストランで料理が冷めていたにもかかわらず、それを伝えなかったとしたら、

その店は料理 (商品) に対する心構えが変わらずに 

(このため同じようなことをくり返し)、

少しずつ大切なお客さまを失っていくことになるかもしれません。


 

このような出来事は人生には往々にして起こります。

私たちは、経験するたびにそのような思いを解消していく必要があります。

それが自分のためであり、

他者 (大きな意味では世界) のためにもなることだからです。




遠慮や、もしかしたら細かい客だと思われるかもしれない

というような思いにおそわれるかもしれません。

けれどもこのような考えこそ、過去の経験がつくりだした条件づけにほかなりません。




事実を事実として表現することは、けして悪いことではありません。

「『あるがまま』の受容」とは、自分のそういう側面を受容することも含みます。




出来事は、たんなる出来事として起こります。

出来事自体には、いいも悪いもありません。

私たちは無意識のうちに、起こった出来事に対して、

いい/悪いと判断します。

そして、その判断に従った行動をおこないます。

これが、私たちが木をゆすって木の実を手に入れようとしている状況です。

(くわしくは 「(49)豊かな人生を生きるために重要なことは「意識性を高めて、あるがままにゆだねる」ことです」をご参照ください)




すべての出来事を、ただ起こった出来事として、

受け入れましょう (「あるがまま」の受容)。

そしてその出来事に対して感じていることに従います。

(判断ではなく、純粋な感覚に意識を向けます。

 最初はむつかしいかもしれませんが、自分の感覚に心を開いていくと、

 しだいにわかるようになっていきます)


事実は、金額の訂正を私たちに求めます。商品の不備を訴えます。

行動としては、金額の間違いを訂正したり、料理 (商品) の不備を訴えたり、

ほかにも、何か誠意のない対応を受けたとしたならば、

それによって自分の感じたことを、事実として伝えます。

(感情の抑圧にも注意しましょう。

 たとえば、悲しいときには、悲しむ必要があります)

これらのたとえのように、自分の感じていることに従うことが、

私の言う「『あるがまま』の受容」、「『あるがまま』にゆだねる」です。




そして、その後の出来事の展開を観察しましょう。




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(49) 豊かな人生を生きるために重要なことは「意識性を高めて、あるがままにゆだねる」ことです

10-01(土)19時26分
こんにちは、やまがみてるおです。

ご訪問ありがとうございます。

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豊かな人生を生きるために重要なことは、

「意識性を高めて、あるがままにゆだねる」ことです。




意識性が高まっていくことによって私たちは

起こる出来事をしっかりと観察することができるようになっていきます。




これにより私たちは、出来事に対する自分の反応と、

受け取る現実との関係を理解していきます。




私たちの自我はある程度、外的世界に働きかけることができることを学びました。
 
「〔44〕 私たちは自分の人生の目的を見つけ、それを達成するようにつねに導かれています」参照)




私たちの自我が木をゆすったら、

木の実を与えてくれるかもしれません。




けれども、じっさいの世界では、

その木の実が頭に当たって痛い思いをするというようなことが起こっています。




私たちは、自分 (無意識の私、自我) が

木をゆすっていることにも気がついていません。

(私たち人間が木をゆするのは当然だと信じており、

 それをおこなっていることにも無意識である可能性があります)




意識性がしだいに高まっていくと、

この関係 (行為とそれによって受け取るものの関係) が見えはじめます。




木をゆすると木の実が頭に落ちてくる (かもしれない。

まだ半信半疑ではありますが、それを経験している) ので、

私たちが木をゆする回数は自然に減っていきます。




すると、それまで木の実を手に入れようとして

(木の実は木の上のほうにあるとばかり思っていたため)

上ばかり見ていた視線が自分の周囲 (足元) に向かうようになります。

(願望とその結果にばかり向いていた視線が、

 あるがままの出来事に向けられるようになります)




すると足元に、木になっていたものよりも

大きな木の実が落ちていることに気がつくかもしれません。

(大きな木の実というのは、自分にとっての価値という意味です)




その木の実を拾いあげると、少し離れたところにもう一つ、

さらに大きな木の実が落ちていることに私たちは気がつくようなことが起こります。




一つ、また一つと木の実 (世界から与えられる恵) を受け取っていくと、

より豊かな恵へと導かれていくことに私たちは気がつきます。




自我の求めること (願望) とは、狭い自己意識の考える範囲内の

自分の目標 (と思っているもの) を、無意識に求めていることだったのです。




意識性が高まっていくにしたがって、

このようなことがじっさいに自分の人生に起こっていることを目撃します。




体験 (目撃) したとき、私たちはもう疑わなくなります。




自己の体験を通して、(いいも悪いも含めて)

すべてがうまくいっていると感じられてくるのは、このあたりからです。




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(32) 私たちは思考を活用して、こうしていまここに不幸をつくりだします

09-12(月)17時06分
こんにちは、やまがみてるおです。

ご訪問ありがとうございます。

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ある人が、そこから学ぶ経験が必要ではない限り、

自我の願望 (思考に翻弄されている願望) は実現しません。

(「大いなるものの計画」 以外は進行しません)

その場合、実現しても、その人はそれが実現したことによって

さらに学ぶべきことを経験します。




大いなるものの計画 (宇宙の働き、自然の営み) だけが進行しています。

シンクロニシティ (自分の周りに起こる出来事) に

いいことだけを求めているものは、自我です。




「私は、幸福になりたい」と言っているのは、自我です。

その場合自我は、以下のように言っています。

「私は、『私の思うとおりの』幸福になりたい」。




それは「私が幸福になるためには、『〇〇が必要だ』」ということです。

逆に言うと、それは「私には、〇〇が不足している」ということになります。




「私には、〇〇が不足している」という感覚は、いまここの否定です。

私たちは思考を活用して、こうして いまここに不幸をつくりだしています。




私たちは、幸福になるために存在しているのではありません (*1)

私たちは、世界のために存在しています。

私たちのほうが、世界のために存在してるのです。


(私たちの個別の側面は、人間という土台のうえに生きています。

 私たち人間は、自然という土台のうえに生きています。

 自然という土台の運命は、私たちの運命でもあります)




自己の、有限の側面が理解されてくるにしたがって、

いまこの瞬間の大切さが理解されてきます。

いまこの瞬間を大切にすることによって私たちは、

人生でもっとも重要視する目的を見つけだし、

実行することができるようになります。

私たちの一人ひとりが、自己の人生でもっとも重要視する目的を見つけだし、

それを実行すること、


(その人にとってそれがもっとも重要視する目的であるがゆえ、

 その実行には、努力は必要ありません。

 ほかの人から見ると、努力に見えますが、

 当人にとっては、努力と感じないくらい、自然に展開します。

 だからこそ、これを見つけだすことが大切です)


それが、私たちにとっての「世界のため」の役割 (人生の目的) です。

このとき私たちは、あるがままの幸福を体感します。

こうして私たちは「幸福になるために」生きているのではなく、

世界 (あるがまま) という幸福とともに生きていることを実感します。




(*1)だからといって私たちは、幸福をあきらめるわけではありません。
「幸福になること」 (いまここの不足。世界への要求) を手放し、いまここにある幸福 (あるがまま。内なる才能への目覚め) を手に入れる方法を語っています。その方法は、私のために世界が存在しているのではなく、世界のために自分が存在していることに目覚め、自分 (その才能) を解放することです。
 




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(31) 私たちがもっとも重要視する目的に目覚めるために、すべての出来事はおこります

09-11(日)17時42分
こんにちは、やまがみてるおです。

ご訪問ありがとうございます。

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私は、「願望実現」や「引き寄せの法則」などで、

「あなたは何にでもなれます」

「あなたは、どんなことでも実現することができます」などと

語ることは、誤解をまねく危険な表現であると考えています。




「願望実現」や「引き寄せの法則」を語る人間として私たちは、

誤解をまねきかねないこのような表現は、今後は謹んでいかなければなりません。

(もっとも、これまでこのように語っていたマスターたち自身が、このことを知らなかったり、

 あるいはこれが売れるテーマであるため、意図的におこなっていました)




私たちは、永遠の命を手に入れることはできません。

肉体的老化を (進行速度を弱めることはできますが) 止めることはできません。 

私たちの個別の側面は、人間という土台のうえに生きているものだからです。




東日本大震災 (東北地方太平洋沖地震) では、二万人近くの尊い命 

(国内、死者15,780人、行方不明者4,122人、2011年9月9日警察庁発表) が犠牲になりました。

(犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします)

犠牲になった人たちが、それを引き寄せたのではありません。

このような自然の猛威も自然現象の一つ――つまり自然のあるがままの姿にほかなりません。

私たちの個別の側面は、人間という土台のうえに生きており、

私たち人間は、自然という土台のうえに生きています。

自然の土台がひっくり返れば、いっしょにひっくり返るしかありません。




それと同時に私たちは、個別性をこえた「大いなる本質」を秘めています。

個別性は有限であり、だからこそいまこの瞬間の大切さを理解することができます。

いまこの瞬間を大切にすることによって私たちは、

人生でもっとも重要視する目的を見つけだし、実行することができるようになります。

このようにして私たちは、生まれてきた意味、いま生きている意味を理解します。

そのためにすべての出来事が、私たちを導くために起こっています。




これがシンクロニシティ――「大いなるものの意図」「大いなるものの計画」――です。

シンクロニシティは、いいことだけで私たちを導くわけではありません。

いいことだけをシンクロニシティに求める限り、真意を取り逃がすことになります。




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プロフィール

やまがみてるお

Author:やまがみてるお
アーティスト
誰でも「悟り」プロジェクト主催

さとりとは
人間にとって
自然な意識状態です。

子どものころ、私たちは
自然にさとりの意識状態で
起こるできごとを
楽しんでいました。

さとりは
むつかしいもののように
感じられているかも
しれませんが
そうではありません。

さとりとは
自分にとっての
自然な状態に戻ること。

自然の、ありのままの自分を
とりもどしましょう!

※現在、コメントへの
 返信はおこなって
 おりません。

 ご質問には、記事のなかで
 お答えさせていただくことも
 ありますので、お気軽にどうぞ。

著書

『スターピープル vol.56』より、連載がスタート!

ぜひ、ご覧ください!

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