私の自我の執着心
05-14(月)01時00分
こんにちは、やまがみてるおです。
ご訪問ありがとうございます。
*みんなで、人間本来の能力を取り戻し、
すばらしい世界の創造に貢献しましょう。
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はじめてお越しの方は、「こちら」を見てね。
私の自我の執着心が再確認されるような出来事を
体験しましたのでシェアします。
三日まえの夜、愛犬(*1)の調子が悪くなりました。
この出来事をきっかけに私は自分の気づかないうちにしばらく、
無意識の思考に巻き込まれていきました。
最悪の状況を想像した私は、
突然、恐怖感を感じはじめました。
自分が恐怖感を感じていることにすぐに気づきましたので、
それを感じることにしました。
恐怖の感情は、感じつくすとやがて消えていきます(*2)。
その日も二時間くらい感じているとしだいに弱まりはじめ、やがて消えていきました。
翌日も少し心の晴れない気分のまま一日をすごしました。
これはいまからだとわかるのですが、
その日も一日中私は愛犬の最悪の状況を想像して
すごしていたからです。
その翌日(きのう)パソコンにトラブルが発生してまったく起動しなくなりました。
すぐにパソコンの復旧作業に取り掛かりましたが、それもうまくいきませんでした。
私はパソコンの内臓ハードディスクを容量の大きいものに取り替えていたのですが、
故障後、古いほうのハードディスクに戻してパソコンを起動させ、
そのデーターをそれまで使っていた容量の大きいものに移して、
それを再度取り替えて修理することにしました。
けれどもこのデータの移しかえがうまくいかず、
両方とものデータに障害が出て、
どちらを使ってもまったく起動しなくなってしまったのです。
仕事でパソコンを必要としていた私は、
これをきっかけに強い不安におそわれました。
そこで自分のなかの不安をじっくりと感じてみることにしました。
すると二日まえの恐怖と今回の不安の出どころがおなじであることに気づきました。
それが執着心でした。
愛犬に生きてほしいと願う執着心、
生に対していくら執着したとしても、
それが聞き届けられるわけではありません。
パソコンが動かなければ仕事ができないといくら執着しても、
状況が好転するわけではありません。
それがわかった私は、ようやくその状況にゆだねることができるようになりました。
そうすると解決策が見えてきました。
ハードディスクのデータが壊れたところで、
もう一度パソコン購入時の状態に、
システムの復元をすればいいのです。
取り替えた古いほうと両方のハードディスクのデータに障害が出たことで、
このことが見えなくなり
(もう自分では直せないため、
しばらく仕事ができないという最悪の状況が想像され)、
強い不安におそわれていたのです。
この経験をとおして私は、
自分のなかにまだ強い執着心が
残っていたことを知りました。
復旧作業がある程度落ち着いたあと
入浴してほっとしながら私は、
自分のなかの思考に気づいている存在に意識を集中してみました。
その意識が取り戻されたことによってこの三日間、
自分がどれだけ思考に翻弄されていたかがわかり、ぞっとしました。
けれどもこの経験のおかげで、
思考に気づいている存在に意識を向け続けること、
それを意識し続けることの重要性をより強く認識することができました。
さらにこの経験のあと、自分の意識が
より明晰になっていることに気づきました。
私は最初の目覚めのときにも思考に巻き込まれ、
苦しくてどうしようもなくなったときにそれを経験しました。
私にかぎってではあるのかもしれませんが、
痛い経験をとおして、
私たちはより意識的になっていくのかもしれないと感じました。
(*1)今年14歳になりました。しばらく体調もよくすごしていたのですが・・・。
「我が家のペット事情(1)」~「我が家のペット事情(10)」参照。
(*2)「(74) 感情の抑圧―感情からの逃避―こそが、苦しみの根本原因です
〔3〕 抑圧していた感情を感じつくすと、そこに感情を超越した「私」が残ります」
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この出来事をきっかけに私は自分の気づかないうちにしばらく、
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最悪の状況を想像した私は、
突然、恐怖感を感じはじめました。
自分が恐怖感を感じていることにすぐに気づきましたので、
それを感じることにしました。
恐怖の感情は、感じつくすとやがて消えていきます(*2)。
その日も二時間くらい感じているとしだいに弱まりはじめ、やがて消えていきました。
翌日も少し心の晴れない気分のまま一日をすごしました。
これはいまからだとわかるのですが、
その日も一日中私は愛犬の最悪の状況を想像して
すごしていたからです。
その翌日(きのう)パソコンにトラブルが発生してまったく起動しなくなりました。
すぐにパソコンの復旧作業に取り掛かりましたが、それもうまくいきませんでした。
私はパソコンの内臓ハードディスクを容量の大きいものに取り替えていたのですが、
故障後、古いほうのハードディスクに戻してパソコンを起動させ、
そのデーターをそれまで使っていた容量の大きいものに移して、
それを再度取り替えて修理することにしました。
けれどもこのデータの移しかえがうまくいかず、
両方とものデータに障害が出て、
どちらを使ってもまったく起動しなくなってしまったのです。
仕事でパソコンを必要としていた私は、
これをきっかけに強い不安におそわれました。
そこで自分のなかの不安をじっくりと感じてみることにしました。
すると二日まえの恐怖と今回の不安の出どころがおなじであることに気づきました。
それが執着心でした。
愛犬に生きてほしいと願う執着心、
生に対していくら執着したとしても、
それが聞き届けられるわけではありません。
パソコンが動かなければ仕事ができないといくら執着しても、
状況が好転するわけではありません。
それがわかった私は、ようやくその状況にゆだねることができるようになりました。
そうすると解決策が見えてきました。
ハードディスクのデータが壊れたところで、
もう一度パソコン購入時の状態に、
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取り替えた古いほうと両方のハードディスクのデータに障害が出たことで、
このことが見えなくなり
(もう自分では直せないため、
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この経験をとおして私は、
自分のなかにまだ強い執着心が
残っていたことを知りました。
復旧作業がある程度落ち着いたあと
入浴してほっとしながら私は、
自分のなかの思考に気づいている存在に意識を集中してみました。
その意識が取り戻されたことによってこの三日間、
自分がどれだけ思考に翻弄されていたかがわかり、ぞっとしました。
けれどもこの経験のおかげで、
思考に気づいている存在に意識を向け続けること、
それを意識し続けることの重要性をより強く認識することができました。
さらにこの経験のあと、自分の意識が
より明晰になっていることに気づきました。
私は最初の目覚めのときにも思考に巻き込まれ、
苦しくてどうしようもなくなったときにそれを経験しました。
私にかぎってではあるのかもしれませんが、
痛い経験をとおして、
私たちはより意識的になっていくのかもしれないと感じました。
(*1)今年14歳になりました。しばらく体調もよくすごしていたのですが・・・。
「我が家のペット事情(1)」~「我が家のペット事情(10)」参照。
(*2)「(74) 感情の抑圧―感情からの逃避―こそが、苦しみの根本原因です
〔3〕 抑圧していた感情を感じつくすと、そこに感情を超越した「私」が残ります」
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悟りとは、自分が死ぬということだったとしたら?
05-10(木)23時00分
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悟りに対して、私たちが考えはじめたとすると、
その視点はまず自我の視点からはじまります。
自我(私)は何かを手に入れるために悟りを求めはじめます。
自我(私)は悟りによって何かが手に入るものと考えます。
悟りを求めても、そこに到達する人は、ほんの一握りの人なのかもしれません。
なぜなら、悟りとは、私(自我)をあきらめることだからです。
そこに到達できる人は、悟りによって私(自我)が消滅することに
ゆだねることができた人だからです。
その人は、悟りに対しても、外側の世界に対しても、何も求めなくなります。
私(自我)がいないのですから、当然ですよね。
それまで私(〇〇〇男、もしくは〇〇〇子)と思っていた人(求める人)は
もうそこには存在せず、何も求めていない人
(あるがままの出来事にただゆだねている人)
がそこにいます。
何も求めていないのですから、悟りに意味もありません。
けれども不思議なことに、その人は、
あるがままの出来事に完全にゆだねることによって、
それまでは自我が「NO!」と言ってはげしく抵抗していたような出来事が、
自分自身(自我のいなくなった自分)にとって、
よりよい人生へと導いてくれていたことを目撃します。
*質問:どうして「自我のいなくなった自分」にとってなのでしょうか?
答え:自我にはこのことが理解できないため、
自我(の思い・希望・願望)が捨て去られるまで
はげしくこれに抵抗しつづけます。
自我がこれに抵抗しつづけるかぎり、
このことは永遠に目撃されることはありません。
自我が捨て去られて私たちがこれを目撃すると、
すでにそこに自我は存在しないからです。
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なぜなら、悟りとは、私(自我)をあきらめることだからです。
そこに到達できる人は、悟りによって私(自我)が消滅することに
ゆだねることができた人だからです。
その人は、悟りに対しても、外側の世界に対しても、何も求めなくなります。
私(自我)がいないのですから、当然ですよね。
それまで私(〇〇〇男、もしくは〇〇〇子)と思っていた人(求める人)は
もうそこには存在せず、何も求めていない人
(あるがままの出来事にただゆだねている人)
がそこにいます。
何も求めていないのですから、悟りに意味もありません。
けれども不思議なことに、その人は、
あるがままの出来事に完全にゆだねることによって、
それまでは自我が「NO!」と言ってはげしく抵抗していたような出来事が、
自分自身(自我のいなくなった自分)にとって、
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自我(の思い・希望・願望)が捨て去られるまで
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悟りを意志の力で起こすことができる理由
04-30(月)22時47分
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悟りとは、思考が起こったときに
それに気づいている意識の定着した状態をいいます。
悟りではない状態とは、思考が起こったときに
無意識のうちに思考と同一化し、その思考の内容に巻き込まれることです。
思考が起こったときに、意識化しないと、
私たちの意識は思考活動のなかへと埋没していきます。
無意識のうちに思考の内容に巻き込まれ、
その思考活動に余分なエネルギーを与えることになり
考えても答えの出ない問題に対していつまでもおなじことを考えたり、
いくつかの種類の考えをいつまでも交互に考えるようなことが起こります。
では、思考が起こったときにそれに気づくとは、
どういうことをいっているのでしょうか?
それは思考が起こったときに、それに気づきその思考を「意識する」ことをいいます。
思考を意識して、さらにその思考に気づいている存在に意識を向けましょう。
この存在こそが、ほんとうの自分です。
何かを意識することは、私たちの自由になることです。
したがって、思考を意識することも、私たちの自由になります。
私たちはこれまで、ずっと思考を起こるがままに自由に解放してきました。
これは主人が、家来の管理を怠ってきたこととおなじです。
このため、思考が起こったときに無意識のうちに思考との同一化が起こり、
意識性が思考に奪われてしまうようなことが起こります。
思考が起こったときに、思考を意識することは、私たちの自由になることです。
思考が起こったときに、思考が起こったことを意識します。
ただ意識します。
思考に気づいた存在に意識を向けましょう。
その存在に気づきましょう。
思考の観察に成功すると、
しばらくののちに思考は自然に消えていきます。
そこに思考に気づいた存在だけが残ります。
思考が起こったときに思考を意識することは、
私たちの自由になることです。
これを何度もくり返すと、やがて思考を見張る習慣が身につきます。
思考を見張る習慣が身につくと、
もう意識しなくても、思考が見張られている状態になります。
これが悟りです。
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悟りとは、思考が起こったときに
それに気づいている意識の定着した状態をいいます。
悟りではない状態とは、思考が起こったときに
無意識のうちに思考と同一化し、その思考の内容に巻き込まれることです。
思考が起こったときに、意識化しないと、
私たちの意識は思考活動のなかへと埋没していきます。
無意識のうちに思考の内容に巻き込まれ、
その思考活動に余分なエネルギーを与えることになり
考えても答えの出ない問題に対していつまでもおなじことを考えたり、
いくつかの種類の考えをいつまでも交互に考えるようなことが起こります。
では、思考が起こったときにそれに気づくとは、
どういうことをいっているのでしょうか?
それは思考が起こったときに、それに気づきその思考を「意識する」ことをいいます。
思考を意識して、さらにその思考に気づいている存在に意識を向けましょう。
この存在こそが、ほんとうの自分です。
何かを意識することは、私たちの自由になることです。
したがって、思考を意識することも、私たちの自由になります。
私たちはこれまで、ずっと思考を起こるがままに自由に解放してきました。
これは主人が、家来の管理を怠ってきたこととおなじです。
このため、思考が起こったときに無意識のうちに思考との同一化が起こり、
意識性が思考に奪われてしまうようなことが起こります。
思考が起こったときに、思考を意識することは、私たちの自由になることです。
思考が起こったときに、思考が起こったことを意識します。
ただ意識します。
思考に気づいた存在に意識を向けましょう。
その存在に気づきましょう。
思考の観察に成功すると、
しばらくののちに思考は自然に消えていきます。
そこに思考に気づいた存在だけが残ります。
思考が起こったときに思考を意識することは、
私たちの自由になることです。
これを何度もくり返すと、やがて思考を見張る習慣が身につきます。
思考を見張る習慣が身につくと、
もう意識しなくても、思考が見張られている状態になります。
これが悟りです。
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犯罪はニセモノの自己イメージの奴隷になることによって起こる
04-27(金)23時48分
こんにちは、やまがみてるおです。
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*みんなで、人間本来の能力を取り戻し、
すばらしい世界の創造に貢献しましょう。
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はじめてお越しの方は、「こちら」を見てね。
私たちはニセモノの自己イメージの犠牲者です。
犯罪はニセモノの自己イメージの奴隷となることによって起こります。
思考に乗っ取られた人生を生きているからです。
思考―頭のなかのおしゃべり―に乗っ取られたゾンビと化しているのです。
頭のなかのおしゃべりに乗っ取られ、無意識のうちにそれが起こります。
これが私たちの時代のすべての問題の原因です。
犯罪にかかわらずとも、私たちが
自分本来の才能を見つけられない理由もこれにあります。
頭のなかのおしゃべりを観察しましょう。
頭のなかのおしゃべりに気づきましょう。
反応も無意識に起こります。
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私たちはニセモノの自己イメージの犠牲者です。
犯罪はニセモノの自己イメージの奴隷となることによって起こります。
思考に乗っ取られた人生を生きているからです。
思考―頭のなかのおしゃべり―に乗っ取られたゾンビと化しているのです。
頭のなかのおしゃべりに乗っ取られ、無意識のうちにそれが起こります。
これが私たちの時代のすべての問題の原因です。
犯罪にかかわらずとも、私たちが
自分本来の才能を見つけられない理由もこれにあります。
頭のなかのおしゃべりを観察しましょう。
頭のなかのおしゃべりに気づきましょう。
反応も無意識に起こります。
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【まんがで悟ろう(22)】「意図の力」・「ポジティブ・シンキング」・「世界観鏡」の統合(10)
04-20(金)21時52分
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はじめてお越しの方は、「こちら」を見てね。
前回は、私たちの無意識の意図が
どうして完全にネガティブな方向を
指すようになるのかを学んだわね。
私たちはみずからのもつ意図の力の効力を知らずに、
これまで無意識に放任してきたため、
それぞれのいまの状況を受け取っているということなの。
けれどもこれは逆に言うと、
無意識に意図の力をほうっておかずに、
しっかりとした意図をくり返すことによって、
ポジティブ性を増していくことができるということなのよ。
水の入ったコップがあるとするでしょう。

意図と体験の関係をこのコップで説明すると、
私たちがいまとは逆のポジティブな意図を発すると、
コップの水に塩を一粒、投入したことになると
考えるとわかりやすいと思うわ。

水に一粒の塩を落としたところで、
おそらくほとんど味に変化は起こらないわよね。
けれどもこれを何度も何度もくり返すとどうなるかしら?
やがて私たちの味覚(感覚)にも
感じられる変化が起こるということなのよ。
それが体験されるところまで観察に成功するとそのあとは、
受け取る現実のポジティブ性が高まる勢いを増していくわよ。
それはポジティブシンキングでもなく、
アファーメーションでもなく、
現実であることが体感されるからよ。
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けれどもこれは逆に言うと、
無意識に意図の力をほうっておかずに、
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ポジティブ性を増していくことができるということなのよ。
水の入ったコップがあるとするでしょう。

意図と体験の関係をこのコップで説明すると、
私たちがいまとは逆のポジティブな意図を発すると、
コップの水に塩を一粒、投入したことになると
考えるとわかりやすいと思うわ。

水に一粒の塩を落としたところで、
おそらくほとんど味に変化は起こらないわよね。
けれどもこれを何度も何度もくり返すとどうなるかしら?
やがて私たちの味覚(感覚)にも
感じられる変化が起こるということなのよ。
それが体験されるところまで観察に成功するとそのあとは、
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